今の日本では、イスラーム教徒観光客が増加していて、それに伴いハラール食という言葉は話題になっています。さてハラール食とはどういうものでしょうか?イスラーム教徒の禁忌は豚肉を食べるべからずということであるにもかかわらず、数年前、イスラーム最大の国家であるインドネシアで日本企業が化学調味料の製造過程に豚肉から抽出した成分を用いていたことが発覚し、猛烈な非難を浴びたことは記憶に新しいと思います。
ここでは、多くの日本人にあまり知られていない食文化の一つを紹介します。
先ずハラールという言葉はアラビア語が語源でアルファベットでは、Halalと表記します。意味として食べ物に限らず人間が行う全ての行動をイスラーム教に照らし合わせ、やって良いものはハラールといい、やってはいけないものはハラーム(禁忌)といいます。ですので、食べ物についていえば、イスラーム教では食べて良い物と食べていけない物ははっきりしていて、食べて良い物はハラールといいます。食べていけない物はハラームと言います。一文字しか違わないですが、その違いは天と地の違いになります。はっきりしているとは言っても、やはり解釈によって個人差が出てきます。絶対的なものは食べ物では豚肉類、飲み物では酒類です。しかし酒類でも、飲む分だけで料理に入ると個人差が出てきます。酔いの原因になっているアルコール成分が飛んだなら良くて、飛んでいないならダメという人と絶対ダメという人に分かれます。
豚肉に関しては、そういう個人差が少ないのです。豚肉と言っていますが、豚という動物から取った全ての製品ダメです(本当はもっと複雑なのですがここでは省きます)。問題は、豚肉以外の肉です。それがハラール食の原点です。それはそうでしょう。豚肉どころか豚のありとあらゆるものはダメだとはっきりしていますので、ハラールもハラームも議論する余地がある筈はないのです。
イスラームでは食べて良い肉と食べていけない肉と、クルアーンと預言者モハンマド(彼にアッラーの平安あり)の言動によって決まっています。(もちろん既に上記に記したように解釈によって個人差が出てきます。)先ず何の肉かという問題が出てきます。世界中の食べられている肉は数え切れない程たくさんあります。でもイスラーム教では、陸空海に住む動物に分かれて、海のものは、宗派によって若干の違いはあるものの、基本的に何でも食べて良いのです。陸の動物は例えば牙がある動物を食べてはいけないのです。空に飛ぶ鳥では鋭い爪やくちばしを持つ鳥は食べていけないのです。要するに肉食動物を食べてはいけないのです。
肉の種類だけではなく、処理の方法にもこだわります。
先ず、魚類を除き、屠殺しなければならないのです。そのやり方も決まっています。
簡単に言えば、イスラーム教徒が動物をメッカの方向に寝かせ、「アッラーは偉大なり」と言ってから、精鋭の刃物で頸動脈を斬り血液をできるだけ多く流すという方法です。この方法は鶏でもラクダでも頸動脈のある動物は皆同様です。
このやり方で屠殺された『食べて良い動物』のことをハラールミートと言って非イスラームの国においてはその存在を顕わしました。言うまでもないのですが、イスラーム国家では上記のやり方しかありませんので、ハラールと非ハラールいわゆるハラームを区別する必要はありませんでした。しかし、流通の方法が発展して精肉を輸入出ができるようになり、イスラーム国家が非イスラーム国家から肉を輸入するようになり、ハラールミートじゃないとイスラーム教徒は食べていけないとわかり、わざわざイスラーム国家向けのハラールミートが貼られた肉製品を作るようになりました。主に移民の中にムスリムも増えてきたオーストラリア、ブラジル、カナダなどの新世界の国々でした。
それでは、食べて良い物と食べていけない物以外の物はどうだ?という質問が出てくるのですが、基本的に食べてはいけないと明記されていない食べ物は、食べて良いとなっていますが、イスラーム学者がそれを研究して判断する場合がありますが、それはローマ法皇と違って、強制的なものではなく、イスラーム教徒一人一人が受け入れるか受け入れるかは自由です。これが解釈の違いの根本的な理由です。なぜなら、イスラーム教の基本中の基本は、人間一人一人が最後の裁判にアッラーの前に立って、自分のこの世でやったことの一つ一つを答弁しなければならないのです。「人に言われたからだ」という答弁は通用しません。もちろん言う学者本人も、故意に人を惑わしたとしたら、その行為をアッラーの前に裁かれます。イスラーム教では人間は、アッラーと直接つながりがある預言者たちを除き、一人一人が平等で同じ能力を持ち自分で物事の判断が出来るのです。