「パパ、ママいらん」でも「帰りたい」 亡くなった5歳児が、児相で語っていたこと

モデル体型でないと許さない。両親の厳しすぎる「しつけ」とは
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写真はイメージです
spukkato via Getty Images

東京都目黒区で3月、船戸結愛ちゃん(5)が死亡した。虐待をしていた疑いで、父・ 雄大容疑者(33)と母・ 優里容疑者(25)が警視庁に逮捕された。

結愛ちゃんは、2018年1月に東京に来るまで、一家で香川県善通寺市に住んでいた。

県や児童相談所は、どのように対応してきたのか。

県の記録からは、一家のいびつな関係が浮かび上がってきた。

「子どもの泣き声がひどい」

県西部子ども相談センター(児童相談所)が、初めて虐待の疑いを認知したのは、2016年の夏だった。

この年、優里容疑者は雄大容疑者と再婚。

雄大容疑者は4月に隣の三豊市の会社で働き始めたという。

8月25日、近所の人が「子どもの泣き声がひどい」と児相に通報した。

優里容疑者は、19歳で結愛ちゃんを妊娠したとき「若年妊婦」として善通寺市の保健師がケアしていた。児相は市の保健師に問い合わせたが、出産当時の記録では、虐待をする兆候や育児に困っているような相談歴もなかった。

児相は、結愛ちゃんが通う幼稚園に問い合わせたが、園の回答は「特に問題はない」。家を訪ねたが不在だった。

これらの情報から、児相は保護ではなく「簡易相談事案」として様子を見ることにした。

クリスマス、結愛ちゃんを一時保護

翌9月には、弟が生まれた。

9月5日の記録には「第2子出産のため、健診などで結愛ちゃんのフォローを」などと記された。

その後は通報なども無かったが、12月25日のクリスマスの日に、結愛ちゃんが一人で外に出されているところを、近所の人が目撃。通報から香川県警が結愛ちゃんを保護し、児相が対応することになった。

この時、病院では「下唇が切れ、まぶたの上にはたんこぶがあった」と診断された。担当した医師は「日常的な虐待の傾向がある」と診断書に記した。

結愛ちゃんは軽度の傷ではあったが、虐待ケースとして児相に一時保護された。

一時保護施設では、担当の職員にとてもなついており、楽しそうに過ごしていたという。

担当職員は結愛ちゃんについて「かわいらしく、よく甘えてくる子だった。そして明るく、とても人懐っこい子どもだった」という印象を持っていた。

結愛ちゃん「うまく言えない」と父に手紙

年が明けた2017年の1月29日、親子面談があった。お父さんへ言いたいことはないか、と問われた結愛ちゃんは「気持ちを口でうまく言えない」と言った。

雄大容疑者は結愛ちゃんに手を挙げたことを認め、「悪かった」「もうしない。できるだけ優しくするから、いい子にしててくれ」などと謝った。

結愛ちゃんは、久しぶりに会った両親を「バイバイ」と、元気に見送った。言えない気持ちは「手紙にする」と話し、覚えたての文字ですらすらと手紙を書いていたという。

この親子面談の様子、そして幼稚園での見守りで毎日様子を確認できるという判断で、2月1日、一時保護が解除された。結愛ちゃんは自宅に戻った。

雄大容疑者は、香川県警に傷害容疑で書類送検されたが、のちに不起訴になった。

初めての一時保護だったので、指導措置は付かなかった。この措置が付くと、保護者は児童福祉司の指導を受けることになり、従わない場合は子どもが一時保護されたり、強制入所させられたりする。

「措置がないからと言って、何も無いわけではありません。常に様子を見て、とにかく本人確認ができる体制を整えるため、家庭訪問をつづけ、民間との連携を進めていた」と県の職員は話す。「この頃は、行政の呼び出しや指導にも、拒否することなく応じていた」という。

2月23日、幼稚園からの聞き取りでは「元気で変わりないが、食べすぎる傾向があった」と報告されている。

父親は、普段は仕事で忙しく、帰宅は深夜に及ぶことが多かった。そのため、子どもたちと話す時間はほとんどなかった。

その後、3月14日の家庭訪問では「徐々に父子関係に改善が見えてきていた」という。

パトロール中の警官が見つけ、2回目の保護

児相から一家を注視するよう伝えられていた地元の丸亀署では、警官が頻繁に見回りにまわっていたという。

3月19日、一人で外にいた結愛ちゃんを警官が目撃した。

母は「一緒に遊んでいて、私だけちょっと家に戻っていただけだった」と話した。

しかし、結愛ちゃんはけがをしている様子で、署で身柄を保護し、病院での診察をすることになった。

舌が切れて唇に赤い傷があり、両膝には擦り傷、お腹には5cm程度のアザがみられた。

傷について問われた結愛ちゃんは、病院の医師に「お父さんに叩かれた」と訴えた。

だが、両親は「転んだだけ」「叩いたわけでない」と否定した。

この件を受けて、2回目の一時保護が決定した。

このころ、結愛ちゃんは「パパ、ママいらん」「前のパパが良かった」と言うようになっていた。

だが、5月14日の親子面談では、一時保護所の心理士に「おもちゃもあるし、お家に帰りたい」と話すこともあった。

児相は、育児支援対策室やこどもメンタルヘルス科のある善通寺市の四国こどもとおとなの医療センターに協力をあおぎ、結愛ちゃんが病院のセラピーを受けることや、祖父母の家に定期的に預けること、叩かないことなど五つの約束を両親ととりつけた。

雄大容疑者は5月にも傷害容疑で書類送検されていたが、再び不起訴になっていた。

そして児相は、7月31日に、指導措置付きで保護を解除した。

5歳児に対し過大な期待「モデル体型を維持」

父親は、児相の聞き取りに対し「きちんとしつけないといけないから」と繰り返し説明していた。

県の職員は「5歳児に対して、父親が過大な期待をしていた。とにかく養育や作法について、強いこだわりが見えた」という。

細かなこだわりは、結愛ちゃんの言動からも推し量られた。結愛ちゃんは職員に対し「勉強しないと怒られるから」と伝えていた。

人に会うときは、しっかりおじぎをして、あいさつをしないといけない。

ひらがなの練習をしないといけない。

はみがきは自分でやり、怠ってはいけない。

太りすぎてはいけない。

また、雄大容疑者は体重に対しても異常に気にするそぶりがあり、優里容疑者に「子どもはモデル体型でないと許さない。おやつのお菓子は、市販のものはダメだ。手作りしろ。野菜中心の食事を作れ」と言っていたという。

また、一時保護を解除したときにした「祖父母の家に定期的に預ける」という約束も、「祖父母は子どもを甘やかす。歯磨きすら一人でできなくなる。だからもう行かせたくない」などと言い、だんだんと預けることがなくなったという。

虐待の兆候が見分けにくかった

結愛ちゃんは、家に戻されてからも、週に1~2回程度、善通寺市の子ども課(児童センター)か四国こどもとおとなの医療センターに通うようになった。

一時保護が解除されて一週間ほど経った8月8日、児童センターに結愛ちゃんと優里容疑者が来なかったことを不審に思った職員は、児相に連絡を入れた。

だが、特に虐待の兆候が見られたわけではなく、8月中も結愛ちゃんは4回児童センターへ来た。

その後「児童センターは遠くて通いにくい」という優里容疑者の申し出から、家に近い医療センターへ通うことになった。

8月30日、医療センターに訪れた結愛ちゃんを、医師が診察したところ、けがをしていることが分かった。

医療センターは児相へ報告。「こめかみにアザがあり、太ももにもアザがある」と伝えた。

優里容疑者は、けがを特に隠す様子はなく「気が付かなかった。私は見ていないので、分からない」と返答。

しかし、結愛ちゃんは「お父さんが叩いたの。お母さんもいたんだ」と訴えた。

これに対し、優里容疑者は「最近、結愛はよく嘘をつく。家ではしつけも厳しいし、一時保護所の居心地が良かったので、そこに行きたいがためにそういうことを言っている」と説明をした。

アザは数cmであったことや説明などから、児相は虐待と判断するかどうか見極めが厳しかったという。

なにより、一時保護をしたくても、2カ月以内の短期的な親子分離はできるが、長期的な分離を考えたとき「家庭裁判所の許可が下りないレベル」※文末の補足を参照)と判断。

親との関係性を築き始めたなかで、無理やり一時的に親子を引き離す「介入的関わり方」をした場合、対立的関係になり、かえって親の児相に対する反発を強めて、児相が関われなくなる恐れがある。

寄り添って親のケアを含めて関係を切らないことが安全だとし、引き続き、医療センターなどを通じて見守りをしていくことに決めた。

この騒動後、児相は9月8日に家庭訪問をしている。

このとき、優里容疑者は結愛ちゃんの最近の様子について職員に「父親が怖い、という気持ちはあると思う。だけど、父親は遅くに帰ってくるので、接する時間が少ない。なので、ぎこちないけれど話をすることもある」「土日には祖父母のところに行っている」と言った。

父親の雄大容疑者についても「できないと、すぐ怒って手を上げてしまっていた以前とは、違うように接している」と説明した。この日、結愛ちゃんにアザは見られなかった。

ただ、9月13日に様子を確認した際に、太ももにまたアザが見られた。しかし、この日結愛ちゃんは、父親に殴られたとは言わなかった。8月末と同じように、一時保護ができるレベルではなかったという。

幼稚園を辞め、日々の確認も難しくなったので、警察署や病院、市の子ども課と連携をし、定期的に結愛ちゃんの様子を直接確認できるように体制を強化した。

これ以降、結愛ちゃんにアザなどのけがは確認されなかった。

週2回ほどのアートセラピーが好きだった

このころ、結愛ちゃんは医療センターで行われていたアートセラピーが好きで、週に2回ほどの頻度で通っていたという。

このセラピーは、言葉でうまく気持ちを表現できない子どもや、自己主張が苦手な大人でも利用される手法のひとつだ。

アート(芸術)とサイコセラピー(精神療法)の二つの要素を併せ持ち、絵を描いたり話したりしながら、自分の思いを表現していく。

結愛ちゃんの生活にも、改善の兆しが見えていた。

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船戸結愛ちゃん
優里容疑者のFACEBOOKより

10月23日の家庭訪問では、ニコニコと笑顔を見せて会話をし、月末に訪問した時は、「どうぞ」と元気よく玄関を開け、職員を迎え入れてくれたという。

アートセラピーについては「いろいろ話を聞いてもらえる」ととても気に入った様子だったという。

だが、優里容疑者は「もうすぐ仕事の都合で、東京へ引っ越すことになっている」と話すようになっていた。

優里容疑者は「引っ越しても、同じような病院を紹介してもらう」と職員へ伝えていた。しかし、「もうすぐ小学生にあがるので、期間が短いし、幼稚園や保育園には預けるつもりはない」とも言っていた。

転居によりケアが途切れることを恐れた児相職員は「社会的なつながりが途絶えてしまう」と懸念し、園に入るよう強く勧めた。

雄大容疑者が先に東京へ、体重も増えてきた

11月末の家庭訪問では、少し陰った表情をしていたという結愛ちゃん。しかし12月に入り、雄大容疑者は先に東京へ引っ越した。

週1回ほどのペースで体重を量っており、だんだんと体重は増え、2018年1月上旬には16kgを超えていた。

結愛ちゃんにけがもなく、健康的な生活ができていたため、検診をした1月4日、児相は所内協議をして指導措置を解除した。「父親がいなくなったからもう大丈夫、などという安易な判断ではなかった。親子としての改善ができてきたように見えていた」という。

児相は解除の理由について「指導ではなく、ケアや支援が必要なケースだった」と話す。

緊急性が高いケースとして移管

結愛ちゃんたちは後追いで「1月8日に引っ越す」と優里容疑者は伝えていたが、転居先についてはかたくなに言わなかった。

1月中旬に結愛ちゃんと弟を連れ、優里容疑者は東京へ行った。それを受け、児相は1月18日に市を経由して転居先を調べた。

1月23日に転居先が分かり、すぐに管轄である品川児童相談所へ連絡をした。

1月29日には「緊急性の高い案件」としてケース移管することになった。担当者は「すぐにでも本人に会って確認をしてほしい。指導措置は4日に解除になっているが、指導を積極的に続けてほしい」と伝え、数百ページあった2016年8月からの全記録を送付した。

弟の健診もあるため、引継ぎの際には「健診の時に結愛ちゃんの確認をして」とも頼んでいた。

品川児相は「転居で環境も変化している。どこまでできるか分からないが、対応は考える」と答えた。品川児相では緊急受理会議が開かれ、ケース移管の受理が決定した。

しかし、その後2回ほど「ケース移管でしたか?情報提供でしたか?」と問い合わせがあるなど、すれ違いが見られた。

県はそのたびに、「ケース移管であり、緊急性が高い。終結したケースではない。早く会って本人確認を」と伝え、2月5、6日には母親に電話を入れた。

しかし、優里容疑者が電話に出ないため、7日に雄大容疑者へ電話をした。

雄大容疑者は児相を拒否

品川児相に引き続きケアをお願いしている旨を伝えると、雄大容疑者は「それはなんなんだ。強制なのか?任意なのか?」と憤りを見せた。「あいさつもしており、地域の行事にも参加している。近所とのかかわりもあるのに、児相の職員が訪ねてくるなんて、周りから変な目で見られるので嫌だ」と受け入れる余地がなかった。

県は「引っ越したばかりで落ち着かないだろうから、香川県の児相もまだ関りを持たせてもらいます」と伝え、品川児相についての紹介をした。

しかし、2月9日に品川児相が家庭訪問をした際、結愛ちゃんには会えなかった。訪問の連絡をしていなかったこともあり、対応した優里容疑者は「弟はいるが、結愛は出かけていていない」と答えた。

連休が明けた2月13日、県が品川児相へ確認の連絡を入れると「信頼を築くにはまだ時間がかかる。警戒されてしまった部分がある」と伝えられた。

県の職員は焦りを募らせていた。この職員は取材に「指導措置があるから対応する、措置がないから安全というわけではないのは、分かっていると思っていた。香川にいたときは少なくとも週に1~2回は本人に会えていたので、かなり心配な状態だった」と話した。

一方で、医療センターも「母親と連絡が取れない」と心配し、品川児相にいままでのアートセラピーの情報やあちらの医療機関について伝えるため、資料提供を申し出ていた。

姿を見せない結愛ちゃん

すでに結愛ちゃんが東京へ引っ越してから、1か月が経とうとしていた。

幼稚園や保育園にも通わされず、ほとんど周囲とのつながりを断たれていたとみられる結愛ちゃんは、弟の健診にも、そして2月20日にあった小学校の説明会にも、現れることはなかった。

この間、品川児相が本人の姿を確認することは一度もなかった。

そして、3月2日、結愛ちゃんは12㎏まで痩せた状態で亡くなった。

品川児相は3月に事件が発覚した際、取材に対し「香川県から援助を引き継いだものがなかった。そのため品川児相の援助方針が決まってないなかった」などと回答していた。

なぜこのような痛ましい事件を防げなかったのか。現在、香川県と東京都で、検証が進んでいる。

【補足:長期の親子分離について】

厚生労働省によると、長期にわたって親子分離をしようとするには、施設へ入所させるなどの措置をとるが、その場合、原則として親権者の同意が必要だ。

一時保護は児相の判断で実行できるが、児童福祉法に基づき、原則2カ月以内と定められている。

その期間内に子どもを家に戻すかどうかを、児相は判断しなければいけない。

親権者などが長期の分離に同意しない場合、児童相談所の所長が、家庭裁判所に「児童福祉法28条1項の承認の審判」(28条審判)を申し立て、そこで承諾を得る必要がある。

家庭裁判所が審判で承認を出す条件は、「児童を虐待し、著しく監護を怠り、保護者に監護させることが著しく児童の福祉を害する場合」。

今回のケースで、香川県の児相(西部子どもセンター)が、「家庭裁判所の許可が下りない」としたのは、結愛ちゃんの虐待について把握した事実では、「28条審判」を申し立てても、家裁の審判で長期分離が認められる条件を満たさないだろう、と判断したことを指す。