《「高度人材」の永住促進 法務省 最短1年で権利付与》
1月18日、朝日新聞の朝刊1面にそんな見出しの記事が載った。
安倍晋三首相は昨年、外国人高度人材の「永住権取得までの在留期間を世界最短とする(2016年4月19日の政府「産業競争力会議」)と宣言していた。その方針を受け、法務省が発表した政策について朝日は報じたのだ
高度人材に対する「世界最短」の永住権付与は、安倍政権が進める成長戦略の一環だ。外国人が日本で永住権を申請する場合、原則10年以上の在留期間が要る。その期間は高度人材に限って2012年から「5年」に短縮されているが、それをさらに縮め、わずか1年で永住権を与えるというのだ。
法務省の発表を扱った記事は読売、毎日、日経、産経の全国紙すべてに載ったが、1面で扱ったのは朝日だけだった。朝日は〈獲得競争が激しくなっている外国人の人材を呼び込む狙い〉と、他紙にはない解説まで加えている。
確かに、永住権につられて優秀な外国人が来日し、日本経済の成長に貢献してくれるなら結構なことだ。しかし、外国人の働く現場を長く取材している私には、そんなものは「絵に描いた餅」にしか映らない。
「全く欲しいとは思いません」
そもそも「高度人材」とは何なのか。外国人ホワイトカラー向けの滞在資格は、「経営・管理」「教育」「技術・人文知識・国際業務」といったカテゴリーがある。こうした就労ビザを取得できる外国人でも、特に政府のお眼鏡にかなう存在が「高度人材」と認定される。
その方法はポイント制で、学歴や年収、年齢、職歴、日本語能力などが基準となる。職業によって配点基準は異なるが、技術者の場合、修士号を持っていれば「20点」、年齢が30歳未満なら「15点」、年収600万円で「20点」といった具合に加点されていき、合計ポイントが80点以上の高度人材には在留1年、70点以上なら3年で永住権が与えられる見込みだ。
3年前から東京都内の大手財閥系メーカーで働くラジーブさん(仮名・20代)は、インドきっての名門・インド工科大学(IIT)で経営学修士(MBA)を取得した秀才だ。日本語も堪能で、まさに政府が求める「高度人材」の典型である。彼に日本の永住権が欲しいかどうか尋ねると、流暢な日本語でこんな答えが返ってきた。
「全く欲しいとは思いません。米国のグリーンカードなら欲しいですけどね」
「甘く見られ、敬遠される」
インドのトップ人材は米国などに渡るケースが多いが、ラジーブさんは敢えて日本企業への就職を選んだ。だが、その決断を彼は後悔し始めている。
「私には来日前、インド企業で働いていた経験もあります。しかし、会社は私を日本人の新入社員と同じように扱う。自分の能力の10分の1も発揮できていません。永住権より、もっと今の会社で責任ある仕事をさせてもらいたい」
米国に渡った同級生にはビジネスの最前線で活躍し、彼より大学の成績が劣っていても今では年収が軽く1千万円を超えている者が少なくない。ラジーブさんのような人材を日本に引き止めたいなら、永住権を「安売り」する前に企業が改善すべき点はたくさんある。
IIT同窓会の日本代表で、インド人材と日本企業の橋渡し役も担っているサンジーブ・スィンハ氏が言う。
「インド人に限らず、優秀な外国人は英語に堪能で、世界中のどこでも働けます。日本で一生働こうという人は珍しい。永住権を簡単に与えることは、むしろ人材の誘致には逆効果ですよ。日本が甘く見られ、優秀な人材が敬遠するようになってしまう」
首都圏の国立大学で教鞭を取るインドネシア人男性(40代)は、1990年代初めに留学生として来日して以降、ずっと日本で暮らしている。永住権も高度人材の制度が導入される以前の2005年に取得した。
「永住権を取ると、5年ごとのビザの更新手続きは要らなくなりました。だけど、その他の利点は、自宅を購入する際のローンが銀行で組めるようになったことくらい」
男性もまた、外国人に短期間で永住権を付与することには否定的だ。
「日本の言葉や文化を覚えた人に限るべきです。いくら優秀でも、1年というのは早すぎる」
メリットは限られる
実は、高度人材の認定制度は外国人の間で当初から不人気だった。学歴や年収などを重視するあまり、申請できる人が限られたのだ。
しかも、高度人材と認められたところでメリットは限られる。「配偶者が制限なく日本で働ける、配偶者の親を母国から呼び寄せられる、それに家事使用人を帯同できる程度」(制度に詳しい行政書士)なのだ。永住権の取得にしろ、日本に住み続けていればやがて手に入る。そんなこともあって、12年の制度導入から1年半が過ぎても、認定を受けたのは800人程度に過ぎなかった。
その後、高度人材の誘致を「成長戦略」に掲げる安倍政権が誕生すると、13年末に年収などの要件がぐっと引き下げられた。さらに15年、それまで「特定活動」という在留資格の一部に位置づけられていた高度人材に対し、新たに「高度専門職」という資格もつくられた。
結果、高度人材と認定された外国人の数は、昨年10月時点で6298人まで増えている。それでも政府が2020年までに実現を目指す「1万人」にはまだ遠い。そこで今回、永住権の「世界最短」付与をエサに掲げたわけだ。
「高度人材」の65%は中国人
とはいえ、"本物"の高度人材にとって「永住権」の魅力は乏しい。事実、高度人材の資格を得ていながら日本から去っていく人も少なくない。昨年6月時点で、「高度人材」もしくは「高度専門職」として日本に滞在する外国人の数は4732人と、10月段階の認定数「6298人」とは1500人以上の差がある。
それほど多くの「高度人材」が4カ月間で新たに認定されるはずもなく、かなりの人は認定を受けた後、日本を離れているようなのだ。何より、「高度人材」が多少増えたからといって、景気が上向いたという話も聞かない。
一方、高度人材を国籍別に見ると、圧倒的に多いのが中国人だ。その割合は全体の65パーセントに上る。安倍政権と中国は、決して相性が良いとは言えない。その中国出身者が、政権肝いりの制度で最も恩恵を得ているのは皮肉なことである。
高度人材ビザの取得は、一定以上の学歴と年収があったり、また企業経営者の外国人であれば難しくはない。経営者の場合、大学院卒で職歴が7年以上、1500万円の年収があれば、日本語能力などなくても手に入る。今後、さらに基準が引き下げられる可能性もある。そのとき、制度が日本の永住権取得に悪用される危険はないのかどうか。
実際には「単純労働」に従事
高度人材に限らず、外国人に対する就労ビザの発給基準は最近、大幅に緩んでいる。たとえば、「技術・人文知識・国際業務」ビザの発給実態がそうだ。同ビザは、技術者や通訳、もしくは日本の大学を卒業した留学生などが多く利用する。ある意味、高度人材"予備軍"のビザと言える。
この資格で日本に滞在する外国人は16年6月時点で約15万4000人を数え、12年末から4万人以上も増えた。そのなかに、ビザの趣旨に反する「単純労働」に従事する外国人がかなり含まれることは、私の取材経験から断言できる。ホワイトカラーの専門職に就くと見せかけてビザを取得し、実際には工場などで労働者として働いているのだ。
そんな外国人の単純労働者であろうと、現状の制度のもと日本で10年も働けば、「高度人材」の認定を受けなくても永住権が申請できる。安倍政権が頑に否定する「移民」の受け入れが、国民の目の届かないところで、就労ビザを悪用されて進んでいるわけだ。
こうした現状の背景には、単純労働の現場で起きている未曾有の人手不足がある。
外国人が単純労働を目的に入国することは許されない。そこで現場は「実習生」や「留学生」を受け入れ凌いでいるが、もはや限界に近づきつつある。政府が今、最も議論すべきなのは、高度人材に何年で永住権を与えるかといった話ではなく、日本人の働き手が集まらない職種に対し、いかに外国人労働者を供給していくべきなのかという問題なのだ。
政府発表の垂れ流し
高度人材をめぐる今回の政策決定は、安倍政権「成長戦略」の実態のなさを象徴している。実効性など無関係に、成長戦略で「何かやっている」ということを国民にアピールしたいだけなのだ。その意を汲むかたちで、新聞が大きく報じる。朝日の1面に躍った「『高度人材』の永住促進」という見出しを見れば、「成長戦略」の成果に期待を膨らませた人がいても不思議ではない。
前回の拙稿(1月27日「NHKが『歪曲報道』する『外国人実習生失踪』の実態」では、官僚べったりの番組をつくったNHKの問題を取り上げた。それと同様、新聞も政策の中身まで検証することなく、政府発表をそのまま垂れ流す。「知る権利」を奪われた国民にとっては、極めて不幸な状況である。
出井康博
1965年岡山県生れ。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙『THE NIKKEI WEEKLY』記者を経てフリージャーナリストに。月刊誌、週刊誌などで旺盛な執筆活動を行なう。主著に、政界の一大勢力となったグループの本質に迫った『松下政経塾とは何か』(新潮新書)、『年金夫婦の海外移住』(小学館)、『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫)、本誌連載に大幅加筆した『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『民主党代議士の作られ方』(新潮新書)、『襤褸(らんる)の旗 松下政経塾の研究』(飛鳥新社)。最新刊は『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社+α新書)。
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(2017年2月17日フォーサイトより転載)