日銀「マイナス金利」で「生活」はどう変わるか

長期金利がマイナスになると、個人の生活やマクロ経済にどのような影響が出る可能性があるのだろうか。
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10年物国債指標銘柄利回りが、2月9日の債券市場でマイナス0.035%まで低下し、史上初の「マイナス金利」を付けた。1月29日に日本銀行が金融政策決定会合で「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」の導入を発表してから、わずか11日後のことだった。

この10年物国債指標銘柄利回りは一般に「長期金利」と呼ばれているもので、住宅ローンの金利を決める際の基準金利になるなど、われわれの生活にも密接に関係している。では、長期金利がマイナスになると、個人の生活やマクロ経済にどのような影響が出る可能性があるのだろうか。

銀行が「儲かる」仕組み

まず、10年物国債指標銘柄利回りがマイナスになるというのは、どのようなことなのかを説明しよう。わかりやすくするため、一切の条件を無視して、基本的な部分だけを単純化して説明する。

現在指標銘柄となっている国債は、年0.3%の金利で発行されている。例えば、この国債を100万円購入すると、年3000円の利息が10年間(合計で3万円)もらえ、10年後に元本の100万円が戻ってくる仕組みだ。

しかし、国債は市場で売買ができるため、価格が変動する。この国債の人気が高まり、101万円で取引が成立したとする。そうすると、10年後に償還される元本は100万円なので、1万円の損が発生する。だが、10年間で利息が3万円付くので、そこから1万円を引くと、10年間合計の利息は2万円となる。つまり、101万円で買ったことにより、年0.3%だった利回りは年0.2%に低下したことになる。

従って、この場合には、元本と10年間の利息の合計である103万円が損益分岐点となる。103万円で購入すれば、儲けはゼロとなり、実質の利回りはゼロ%となる。もし、103万円を超える金額で取引されれば、損が発生することになり、利回りがマイナスとなる。取引金額が高ければ高いほど、利回りのマイナス幅が拡大する。

では、何故、銀行は最初から損が出ているマイナス金利で国債を買うのだろうか。その答えは至極簡単、日銀という買い手がいるからだ。マイナス金利政策導入を決定した時、日銀は「長期国債買い入れの下限金利は設けず、マイナス0.1%を下回る金利でも買い入れを行う」と宣言している。つまり、銀行は国債を買う時点では損が出ていても、それ以上の値段で日銀に売ることで儲かるため、マイナス金利でも売買が成立するのだ。

「保険」「年金」運用破綻の可能性

ならば、長期金利がマイナスになることでわれわれの生活にはどのような影響が出るか。

直感的に浮かぶのは、預金金利もマイナスになるのではないか、という不安だろう。この点については、黒田東彦・日銀総裁も、「個人の預金金利がマイナスになることはないだろう」と言っており、可能性は低そうだ。事実、マイナス金利政策を日本よりも先に導入した欧州でも、個人預金金利がマイナスになっているケースはほとんどない。

次いで予想されるのが、住宅ローンや消費者ローンの金利が大きく低下し、あわよくばマイナスになるのではないかという期待だ。すでに、住宅ローン金利の引き下げなどが出始めており、一定の金利低下は期待できそうだが、スイス、デンマークの前例を見ると、貸出金利は住宅ローンを含めて高止まりしており、一部には金利引き上げの動きまで出ている。

銀行はマイナス金利で利ザヤが縮小しているため、収益確保からこのような行動に出ている。また、ATMなどの手数料の引き上げの動きが起きている。残念ながら、日本でも同様の動きになる可能性は十分に考えられる。

それより深刻なのは、個人の資産運用が大きな打撃を受けることだろう。短期国債など安全性の高い資産で運用するMMF(マネー・マネージメント・ファンド)や債券での運用を中心としている公社債投信などでは、すでに新規募集停止となるものが出ている。安全性が高い資産運用手段はなくなり、株式投資などリスクの高い運用を余儀なくされることになるだろう。

さらに問題なのが、保険や年金といった個人のセーフティネットが崩壊する可能性だ。そもそも、保険や年金など長期間の資金運用の中心は国債となっている。リスクが少なく、確実に運用実績を上げられるためだ。その国債がマイナス利回りになれば、運用は崩壊する。生保は予定利率の引き下げが市場金利の低下についていけず、逆ザヤ状態が拡大するのは間違いない。配当金の支払いができない状況に陥るのは確実だ。

すでに、生保各社は運用方針の見直しを行っており、より高い運用実績を目指して外国株や外国債券での運用比率を高めようとしている。しかし、こうした運用は為替リスクを抱えることにもなり、運用に失敗するリスクも高まる。年金運用も、ほぼ同様に状況になっている。

国債「価格暴落」「金利上昇」のリスク

個人だけはなく、企業にも影響は及ぶ。マイナス金利により運用実績が上がらなくなれば、企業の資産運用も影響を受ける。その最たるものは「退職給付債務」だろう。つまり、退職金支払いのための積立金だ。計画通りに運用が進まなければ、退職金の支払いに支障が出てくる可能性がある。

ただ、企業は設備投資資金などの資金調達では、低金利の恩恵を受けそうだ。特に、社債での資金調達が活発化する可能性がある。社債発行により、企業は長期間の固定の低金利で資金を調達することができるようになるからだ。

だが、もし企業が社債での資金調達を活発化させれば、銀行の貸し出し先が減少することにつながる。そもそも、日銀がマイナス金利政策を導入した理由の1つには、銀行による貸し出しを活発化させる狙いがあった。しかし、企業が銀行から借りずに社債を発行して資金調達をすれば、追い込まれるのは銀行だ。安全運用先を求めて、個人の資金がMMFや公社債投信などから銀行預金に流入する可能性は高いが、銀行が十分に運用できる環境にないことは明明白白だろう。

確かに、銀行は日銀に高価格(マイナス利回り)の国債を売り、儲けることはできる。しかし、これとて非常に不安定な取引だ。日銀はマイナス金利で国債を購入すれば、それだけ損失を貯め込んでいくことになる。従って、いずれかの時点でマイナス金利での国債購入を停止する可能性は高い。もし日銀がマイナス金利での国債購入を中止したら、あるいは購入額を削減したら、日銀にマイナス金利の国債を売却できなかった銀行が損失を被ることになるとともに、国債の価格は暴落し、金利は急上昇する可能性が高いだろう。

政府の予算が執行できない!?

結局、マイナス金利政策により最大限のメリットを受けるのは国だ。マイナス金利でなくとも、超低金利は政府の財政負担を軽くする。特に、低金利が長期間継続した場合には、政府が発行する国債の金利が低下し、利払い負担が大幅に軽減される。これから発行される国債の発行利率は史上最低となる可能性が高い。これは、マイナス金利により国民の金融所得を抑え込む一方で、政府の財政負担を軽減させることになり、つまりは国民が得られるはずだった利息で、国債の利払いを肩代わりさせていることにほかならない。

ただし、マイナス金利になるほどの高値の国債を日銀が買い入れれば、日銀で損失が発生する可能性は高く、その場合には日銀の国庫納付金が減少することになる。政府にとっては、国債の利払いは減少しても、事実上の税金である日銀の国庫納付が減少するのは"痛し痒し"だろう。

銀行側にしても、前述のように不安定な状況の中で、いつまでも国債を購入し続けるかは微妙だ。たとえ日銀に国債を売れるとしても、売却益を「超過準備預金」(2016年1月22日「日銀『債務超過』という『悪夢のシナリオ』」参照)として日銀の当座預金口座に積み増ししても、マイナス0.1%の金利となるのであれば積み増すだけ損をするため、日銀に国債を売却する必要もない。となれば、損をしてまで国債を購入する必要すらなくなる。

そうなると国債の引き受け手が減少し、政府の資金調達、つまり歳入に支障を来たす可能性が出てくる。最悪の場合、予算が執行できないなどの影響が出かねない。

人工的な「デフレ状態」

そもそも、日銀がマイナス金利政策を導入したもう1つの理由には、低金利を背景とした消費の活性化がある。しかし、住宅ローンや自動車ローンが超低金利になり、消費が促進したとしても、それは本来健全な金利状況下では支払わなければならない金利を割り引いていることだ。つまりは、住宅や自動車の価格が割り引かれていることと何ら変わらないわけで、結局は物の価格が値下がりしていることと同じであり、つまるところ「デフレ状態」ではないか、との議論もある。

このように、マイナス金利の世界は、個人、企業、銀行、日銀そして政府にとっても、必ずしも"明るい未来"を予測させるものではない。むしろ、マイナス金利がどのような影響をもたらすかを知るための"壮大な社会実験"としか言いようがないのだ。

鷲尾香一

ジャーナリスト

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(2016年2月18日新潮社フォーサイトより転載)

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