「だまされた、といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」――。
映画監督である伊丹万作の敗戦直後の言葉 (「映画春秋」創刊号・昭和21年8月)である。「先の戦争では国民みんながだまされていた」と全国から沸き上がった声に応えた重い言葉だ。
翻って現在をみると、政府が、国会での嘘の答弁や書類改ざんのけじめをつけず、結果として国民がだまされている事態となっている。首相官邸を筆頭に財務省、厚生労働省、防衛省など、誰も責任を取らない異常事態が続いている。
この異常事態に平然としていてはならない。与党の中から非難の声が上がる気配がない以上、野党は、政府を正すまで決して追及の手を緩めてはならない。
けじめをつけなければ また、だまされる
気になるのは、首相はじめ政府が何事もなかったかのように振る舞い、国民の中でも問題視する声が日に日に小さくなっていることだ。政府によって国民が再び、だまされないためには、きっちり、けじめをつけなければならない。
かつて、安倍首相は、北朝鮮の核・ミサイル問題と衆議院選挙を無理にからめ、国難突破解散と銘打って総選挙を行った。選挙後、麻生財務大臣は、自民党勝利の理由を「北朝鮮のおかげ」と臆面もなく発言している。
日本を取り巻く安全保障の環境が厳しい中、政府が国民に適切な説明をしなかったらどうなるのか?
国民に本当のことをいわない国の末路は
懸念があるのは、最近、しきりに防衛省がFDO(Flexible Deterrent Options:柔軟抑止選択肢)ということを強調していることだ。これは日米ガイドラインにも明記され、「危機発生時に部隊の展開等を通じ、相手側に当方の意図と決意を伝え、抑止を図る」ものである。その中心の一つには「首相官邸を司令塔として、政府一体となった統一的かつ戦略的な情報発信」があるとされる。いわゆる「情報戦」である。
一概に情報戦の有効性を否定するものではないが、今のままでは、首相官邸の発信は信用できず、国家の安全保障で政府が嘘の情報を出す懸念がある。
国民に本当のことを言わなくなった国はどんな末路をたどるのか。我が国の昭和初期の歴史を学べば、おのずから答えは出てくる。
大本営発表、という言葉が嘘の代名詞となったように昭和初期の戦前から、国民には幾多の虚偽の説明がなされてきた。判断をするための正しい情報を持たなかったため、多くの国民はあの無謀な対米戦争までをも支持し、真珠湾攻撃へと突入した。
嘘の情報で空気が作り上げられた時、極端な方向に一気に動く――。日本が多大な犠牲を払って得た貴重な教訓である。
伊丹万作は、冒頭の言葉にこう続ける。「いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」と。
このままでは国や社会がおかしくなってしまう。我々は、今の嘘にまみれた政府を正常化させるまで決して諦めてはならない。