2020年東京、64年ぶりに日本で開催される夏季五輪。レスリング、体操、水泳、柔道など、日本がこれまでメダルを獲得してきた種目だけではなく、多くの種目で日本選手が大活躍し、メダル・ラッシュとなる…。日本人の誰もが夢見る光景であろう。
それを実現するためには、運動能力・素質の優れた競技者を幅広く発掘し、最先端の科学的・合理的なトレーニング・強化の手法を用いて競技能力を向上させていく必要がある。その中心的な役割を果たさなければならないのが、公益法人等として設立されている各種競技の競技団体である。
しかし、多くの競技団体は、メダル獲得に向けて一致団結しているというのとはかけ離れた状況にある。法人としてのガバナンスが崩壊し、合理的な選手強化に向けての主体性を発揮することなど到底期待できない惨憺たる状況にある団体も少なくない。
テコンドー協会は、不適正経理などで2度にわたって是正勧告を受けたことから、今年5月に、公益社団法人の認定の取消しを申請し、内閣府の監督下から外れることになった。
強化方針の違いなどで対立が続いていた日本ホッケー協会は、6月7日、総会で、吉田大士会長ら執行部の理事8人全員の解任を決めたが、議決の手続等をめぐって対立が続いている。
多くの競技団体で、内紛や、ガバナンス上の問題が続発する中、政府の監督下にある公益財団法人でありながら、権限を逸脱してナショナルチーム総監督解任決議を強行し、東京地裁から仮処分の審尋への出頭を求められるなど、まさに「ガバナンス崩壊」を露呈したのが、橋本聖子参議院議員が会長を務める日本自転車競技連盟(以下「JCF」)だ。
過去にメダル獲得の実績のある自転車競技は、東京五輪でのメダル・ラッシュに向けて期待が高い種目である。この自転車競技連盟をめぐる混乱は、今後の東京五輪に向けての各種目の選手強化にも重大な影響を与えかねない。
私は、この問題に、総監督松本整氏の代理人の立場で関わっている。まず、問題の背景・経緯と現状をまとめておこう。
自転車競技には特殊な要因がある。サッカーなどでは考えられないが、自転車競技の中心を担う競輪選手にとって、競輪に出場した方がナショナルチームで国際大会等に出場するよりも高収入が得られるため、競輪界では、ナショナルチームでの活動よりも日本の競輪でレースに出場することを優先し、ナショナルチームを、競輪よりも低く位置づける傾向があった。そのため、ナショナルチームの合宿への参加者も少なく、選手自身の独自の練習メニューの実施に偏り、チームとしての組織的対応は十分に行われていなかったのである。
しかし、公益財団法人たるJCFにとって、税金を投入して、ナショナルチームの強化を行い、国内外への大会へ参加する以上、ワールドカップやオリンピックでメダルを継続的に獲得できるよう、ナショナルチームの組織的な強化を行うことは、社会的使命である。そのような認識から、前会長の富原忠夫氏は、競輪を知り尽くし、プロスポーツ選手のトレーナーとしても活躍し、科学的トレーニングの造詣も深い松本氏にナショナルチーム総監督就任を要請した。
松本氏は、順天堂大学スポーツ科学部での研究成果等に基づく科学的・合理的なトレーニングによって、競輪選手としての自己の能力を極限まで高め、高松宮記念杯競輪での優勝を含め、最高齢G1優勝記録を3回更新した実績を持つ。
松本氏とJCFとの間との総監督委嘱契約の期間は、2017年3月31日までで、期間内は解任できないことが契約上明記されている。
松本氏としては、リオデジャネイロオリンピックまでの長期的な計画に基づいて、責任を持って選手強化に臨むため、契約期間内は解任されないことを条件に総監督就任を受諾したものであった。
松本氏が総監督に就任したのは、ロンドンオリンピックの前年である。松本氏は、さっそく、個々の選手のトレーニングに関する情報を監督が把握する組織的な管理手法を導入するとともに、日本人がパワーで劣る部分をスキルで補うべく、中野浩一氏のデータを分析し、日本人の得意な巧緻性を活かして力の利用効率を向上させる科学的なトレーニングプログラムを取り入れた。その成果は、日本記録の更新回数を見れば明らかである。松本氏の就任前は2008年3回、2009年4回、2010年6回、2011年3月まで1回であるのに対し、松本氏の就任後は、2011年4月以降9回、2012年14回、2013年15回と、着実に成果が上がっている。
それに加えて、イギリスで採用しているKPI(医科学的指標)を日本版に加工し、選手の選考・強化・育成指針の指標とすることなどに取組んでいる。松本氏の科学的トレーニングは、平成25年7月28日(日)NHK BS1のドキュメンタリー番組【為末大が読み解く!勝利へのセオリー】でも紹介された。
ところが、このように斬新な方法でナショナルチームの選手強化を真摯に推進する松本氏を疎む勢力があった。チームとしての組織的な情報管理や、科学的なトレーニング手法に対する反発もあり、それが松本総監督を引きずりおろそうとする画策につながった。 それは、まず「パラハラ騒ぎ」という形で顕在化した。
女子選手が松本総監督のパワーハラスメントの申告をしたとして、2013年4月に、連盟内に倫理委員会が設置され、調査が行われた。委員は、松本総監督降ろしの画策の中心人物の副会長を含む連盟内部者2名と弁護士、大学元教員の4名である。
しかし、調査を行っても、松本総監督を解任に追い込むようなパワハラの事実は出てこなかった。それにもかかわらず、無理にこじつければパワハラと言えなくもない程度の発言があったことを強引に認定し(パワハラとされた発言については、松本氏が否定しているだけでなく、その場に同席した連盟幹部も強く否定している。)、2013年12月に、松本氏に対して「厳重注意処分」を行った。そして、そのパワハラ認定及び処分について、松本氏側が一貫して強く反発しているにもかかわらず、2014年3月に、行為者を匿名にしてはいるが、パワハラ行為があったとしてJCFのホームページで公表した。
そして、パワハラによる松本総監督解任の画策に失敗した副会長サイドが、「成績不振」を理由に解任決議を強行した、というのが今回の騒ぎである。
そもそも、リオデジャネイロオリンピックまでの期間、総監督を継続して務めることで、選手の育成・強化に責任を持つことを条件に就任を受諾した経緯から、契約上、連盟側には、解任する権限がない(仮に、総監督が連盟の内部機関であれば、理事会決議によってただちにその職を失うということもあり得る。しかし、JCFと総監督とは契約関係であり、理事会決議でその地位を一方的に失わせることはできない)。
しかも、解任決議の理由とされた「成績不振」も、上記のとおり、全く事実に反する。新聞記事では、「11年ロンドン五輪では3大会連続のメダル獲得を逃すなどチームは低迷」と書かれているが、松本総監督就任後の唯一の大会であるロンドン五輪は、就任後僅か1年後のことであり、そこでメダルがとれなかったことは、「松本総監督就任による成績不振」ではない。むしろ、日本記録の数などから見れば、ナショナルチームの成績は確実に上向いてきているのである。
このように法的に無効で、しかも、何の理由もない、不当な解任決議に対して、松本総監督は、連盟には解任権がないことの確認の仮処分を申し立て、東京地裁で審尋が予定されていることは既に述べたとおりだが、新聞では、「松本総監督解任」などの見出しで報じられている。法的に無効な解任決議の情報が、このように露骨にマスコミに提供されるのも、連盟のガバナンス崩壊を端的に表わしている。
選手個人の能力・資質や気力・精神力だけで獲得できるメダルの数は限られている。多くの種目でメダル獲得の可能性を高めていくためには、科学的知見に基づいた合理的な手法によって、選手の能力を引き上げていく必要があることに異論はないであろう。しかし、そのような選手育成・強化の中心を担うべき競技団体内部の「数の論理」が、そこに立ちはだかる。
前会長時代のJCFが、一定期間、解任を制限して総監督委嘱を継続していく契約を締結したのは、選手強化の方針・手法が、その時々の競技団体の「数の論理」に左右されることがないようにするための一つの知恵であったと考えられる。それは、スポーツ振興という公益を目的とする法人としての性格上、契約を無視・破棄する行為を行うことはあり得ないという常識に期待するものともいえる。
そのような常識を、ものの見事に覆したのが、今回のJCFの総監督解任決議であった。それが、公益財団法人として行い得ないもので、何ら効力を有しないものであることは、今後、仮処分・本案訴訟の場で法的に確認されていくことになるであろう。
しかし、今回の混乱の代償は、決してそれだけには止まらない。
選手の育成・強化を担う公益財団法人の競技団体において、このような法・契約無視の暴挙が行われ得るという現実は、自転車競技のみならず、あらゆる競技団体にも悪影響を及ぼしかねない。2020年東京五輪でのメダル・ラッシュを「夢まぼろし」に終わらせないためにも、競技団体において、法・契約・ルールをしっかり守るという法的ガバナンスを確立することが急務である。
(2014年6月9日「郷原信郎が斬る」より転載)