「車さえあれば…」豪雨災害からの再建 いま、経験者が伝えたい「3年前の教訓」

「苦しみ抜いた経験を活かしてほしい」
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自衛隊員と川底にたまった土砂を取り除く人たち=7月11日、広島市安芸区
時事通信

西日本を中心に、豪雨による被害が拡大している。7月11日午前の段階で、全国で176人が亡くなり、 心肺停止が3人、行方不明が9人いる。

今回のような大災害は、避難・救助といった「命を守る緊急対応」の直後から、家に帰れない状況が続きながらも生活を再建する「生きるための段階」に移行していく。

家だけでなく、浸水して自家用車が故障したり、流されて使えなくなってしまうことも多い。だが、地方では車は生活の足だ。

水害の場合、浸水したところや、土砂崩れのある場所は地震災害などと比べて局地的で、数km離れた隣町であれば店舗が開いていたり、道路が普通に使えていたりと日常の風景が広がる。

2015年9月に起きた関東・東北豪雨の被災地である茨城県常総市で家族が被災した吉川彰浩さん(38)は、「車なら日常が続いている数km先に行くことができる。車があるかないかで、再建のスピードが違う。どこかで支援車を提供してくれるところがあれば、被災者が自分で再建するための大きなツールになる」と話す。

過去の水害、被災地で必要だったのは「車と情報」

2015年の関東・東北豪雨では、台風18号の被害もあり、20人が命を落とした。被害が特に甚大だった茨城県常総市では、約200mに渡り鬼怒川の堤防が決壊。

国土交通省によると、市内では流入した水に流されたほか、鬼怒川と小貝川に挟まれた範囲に行き場を失った水がたまり、全壊した家屋が50棟、大規模半壊914棟、半壊2,773棟にのぼり、市内の広域に浸水の被害が出ていた。

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水位が下がり、市街地への水の流れが止まった鬼怒川(右)。中央は決壊した堤防= 2015年09月11日午後3時20分、茨城県常総市
時事通信

3年前、常総市で家族が被災し、豪雨の一報が入った翌日に実家に向かった吉川さんは「車さえあれば」と痛感した。「移動手段を持っていたら、避難所にこもっているだけじゃなくて自分から動こうという希望が出てくる」

車は、被災した直後の段階から必要性を感じたという。

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被災した知人の家を訪ねる吉川彰浩さん(左)=2015年9月
HUFFPOST JAPAN

吉川さんは、「避難所にこもっていたり、移動範囲が徒歩圏内で狭い状態に置かれると、入ってくる情報は人づての話などの限られたものか、テレビなどのニュースになる。被災地は『今』という言葉が大切。きょうと明日でニーズが違い、必要なものが必要な人に渡らないといけないのに、きちんと情報が伝わらない。そして情報を自分で確認に行くこともできない」と振り返る。

必要な情報面では、外部から流されるニュースではなく、デマに惑わされないよう地元の人たちだからこそ分かる情報をつなぐ常総市復興コミュニティ 常総市をぜってー復活させる!をFacebook上で作った。地元の住民ら約2300人が登録している。

そのような状況の中で被災者の声を拾っていくと、車のない人とある人では、再建に大きな差が出てしまうことに気が付いた。車をもっていれば、日常生活が送れている隣の市で、必要なものを買うこともできる。家族を避難所から外へ出すこともできる。

吉川さんは「再建の主役は、被災した住民。個人の努力でやっていくしか復興はできない」という。

ボランティアや支援物資は本当にありがたい。だが、それは最低限のもので、「今自分に必要なもの」とは限らない。衛生用品や洋服、食品や水などは、必要な瞬間が限られている。日常の生活に戻るには、数カ月から年単位の時間が必要で、そこで「機敏に動ける環境」を作らないといけない。

届いてくる物資を待つのではなく、必要なものをその場で、自分で物資調達が出来れば、「再建できる領域が広がる。それは余裕につながる。レストランにも行けるし、お風呂にも行ける、少し離れた親戚の家に行くこともできるかもしれない。『町の中』『避難所の中』だけで考えると、すごく時間がかかり、心も荒んで希望が持てない」という。

隣市の中古自動車会社が支援を始めた

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カーショップドンキー公式ホームページより

必要ではあると言っても、車は簡単に手に入るものではない。

常総市の水害では、その需要にいち早く応えたのは、地元の自動車販売会社だった。

豪雨から10日ほど経ったころ、隣接するつくばみらい市の販売会社のカーショップドンキーは、社内にあった約20台の代車の無償提供を始めた。被災後から、同社には「車がないと不便で何もできない。1日だけでいいから借りられないだろうか」「荷物を運び出したいけど、車がなくて」と連絡が来ていた。

担当者は「この辺りは、公共交通機関も少なく、交通の利便性がとても悪い。車がないと移動ができなくなってしまう」という。青谷清司社長は「目と鼻の先で被災している人たちに何かできないか、地域に自分たちができることをしないといけない」と支援を決定。だが、問い合わせが多く、自社の持つ代車だけでは足りなくなり、知り合いの自動車販売会社や、名古屋市の会社から代車を集め、提供した。

下妻市のトラスト企画の寺田実社長は、会社が無事だったものの、自宅が被災した。水が引き始め、家に戻ると、自宅にあった車はすべて水没して使えなくなっていた。水も出ない状態が続き、泥のついた家の中のものは洗うことも使うこともできず、捨てるしかなかった。

「運び出さないと始まらない」と思ったものの、乗用車では泥のついたがれきは運べない。家の周りの人たちもみんな同じような状況だった。

「お金とか、余計な心配をする余裕はありませんでした。家が水浸しで、被災したからこそ分かった」と妻の廣子さんはいう。すぐに会社で軽トラなど5台の購入を決めた。「新品だと気を使って泥のついた足で使いにくいだろう」と、中古車を選んで千葉県にあるオークション会場から運び、保険の手続きをした。

自宅の庭に軽トラと軽乗用車を「復興支援車無料貸し出し中」の張り紙とともに並べた。運転免許の確認をし、時間を決めて貸し出し、ガソリン代は無料、事故の際の対人や対物保障も会社で負担した。

水が引いてから約1週間後の9月19日には、「汚れても構いません。気にせず、大切なお家の復興に大いに使って下さい」とFacebookで呼び掛けた。

投稿は、予想を超えて4657件もシェアされ、翌週には台数を増やした。数台の軽トラックでは待ち時間も多かったが、順番に貸し出した。1人暮らしの高齢者の家などには、被災しなかった従業員が、軽トラックで片づけの手伝いに行ったという。

廣子さんは「車屋だからできたことだと思います。被災直後は、報道や救助のヘリが飛んで防災無線も聞こえないし、消毒剤の配布などの大切な情報も人づてに聞くほど、情報がうまく回ってこなかった。今回の西日本豪雨でも、どこで何をやっているのかSNSを使って伝えるのは、ありがたい。便利だと思います」という。

Facebookで復興支援車を見て「ぜひ自分の車も使ってほしい」と、車を運んできてくれた人もいた。

家族が被災していた吉川さんは「もしこのニーズが伝わり、資本力のある大手自動車メーカーなどが早い段階で動いてくれたら、もっと多くの人に余裕が出て、さらなる希望が生まれたかもしれない」と話す。

日本中の支援団体に考えてほしいこと

今回の西日本豪雨でも、被災した岡山県総社市や愛媛県大洲市などでは、小中学校の授業が再開するなど、避難から「次の生活」が始まりつつある。

家がなくなっても、すぐに次の段階に進んでいかなくてはならない。

「支援団体の方々に伝えたい。どうかこの、地域の足である『車』の部分について動いていただきたい。3年前に苦しみ抜いた経験を活かしていただけたらと思います」と吉川さんは訴える。