(文章・鈴木円香 一般社団法人「みつめる旅」理事、ウートピ編集長)
7月26日から8月18日までのちょうど3週間、ワーケーションをしていた。
第1回と第2回に続いて、連載3回目ではお金だけではなく、人と人の貸し借りで回っている島の社会について語ります。
5LDKで始まる不思議な共同生活
福江空港(五島つばき空港)で夫とオジギソウに別れを告げてから、私と娘は海辺のゲストハウスを離れ、東京から五島に移住して5年目になる友人Aの家へ移動した。
そこに、店舗設計の仕事のため島を訪れていたデザイナーの友人Bと、事務仕事のヘルプのためやってきたIT企業勤務の友人Cがジョイン。
5LDKの友人Aの住まいで、大人4人、子ども1人の不思議で愉快な共同生活がスタートした。
この共同生活でも次の4つのルールは守り続ける。五島市は感染防止対策をきちんと守ってくれる来島者はウェルカム!という基本姿勢を打ち出した上で、ワーケーションに力を入れているのだから、当然のことだ。
・お年寄りや基礎疾患のある人と会わない
・外食は減らして、できるだけ自炊する
・買い物に行く時はマスクをつける
・地域の人との打ち合わせも、できるだけオンラインでやる
4人の大人は全員仕事を抱えているので、まさに「ワーケーション」状態だった。おたがいの予定を調整して、2日に1回は友人Aの、そのまた友人の船を出してもらって、釣りをしたり、泳いだりしていた。
あとは交代で娘をみてもらいながら、オンライン・ミーティングをこなす。
特にデザイナーの友人Bと娘は、出会ってからわずか2時間ほどで22歳の年齢差をあっという間に乗り越え、親友のようになっていた。
気づくと、いつも畳か布団の上に寝転んで、えんえんと絵を描いたり、工作をしたりしている。
お風呂に入るのも寝るのも一緒で、いつまでもケタケタ笑いあっている。人間同士として相性がいいとしか思えない。保育園の同じクラスにも、ここまで気の合う友達はいない気がする。
大人4人、ミラクルな調和に包まれる
この不思議な共同生活の中で、4人の役割は特に話しあうこともなく、初日から自然と決まっていた。
私が料理と洗濯、友人Aが予定の調整とロジまわり諸々、友人Bは娘と遊び、友人Cは食事の準備・片づけや買い出し他、持ち前の細やかな気配りで「名もなき家事」をこなしていく。
こんな奇跡のチームワークは、世界のトップ企業G社でさえ生まれ得ないだろう。なんともミラクルな調和に包まれた、楽しい生活が続く。
ちょっと沖の方に出れば、五島では私のようなど素人でも、おもしろいくらい大きな魚が釣れる。
地元の人が「今日はダメや、ぜんぜん釣れん」とため息をつくような日にさえ、ほんの2、3時間で、40cmくらいの真鯛、50cmくらいのオオモンバタ(5000円くらいで売れる上物らしい)、30cmくらいのアカハタ、40cmくらいのナベタ(イラと呼ばれるベラ科の魚)などなど、「これでぜんぜん釣れないってどういうこと???」と首を傾げるほどに釣れる。
夕暮れの時の港で黙々とサザエをかじる
あまりに釣れるので、滞在中はほとんどずっと魚を食べていた。
メンバーの中で唯一魚を捌ける友人Aが、夜なべして捌き続けた肉厚の身を、刺身、アクアパッツア、フィッシュ&チップス、あら汁、スープなどにして、朝晩と食べ続ける。
どう食べてもうまい。調味料がキッチンにない、薬味の類を買い忘れたなど、多少の不備があっても、圧倒的な素材力で易々と乗り越えてしまう。自分の料理の腕が急にあがったと錯覚してしまう。
滞在中、食べた物の中で一番感動したのが、「サザエの丸かじり」だった。友人Aのそのまた友人が、船底の生簀にへばりついていたサザエを剥がして、港の岸壁でおもむろに金槌で割り始める。
そして、サザエの、あの緑のうんこ型の部分を手でちぎり捨て(五島ではあの部分は「苦い」と言って誰も食べない)、海水で洗ったものを「このままかじってみ」と渡してくれた。
大人4人、夕暮れの時の港で黙々とサザエをかじる。
うまし。
なんだこれは? 貝というより、フルーツに近い。
あー、もうずっと五島にいたい。東京の存在感が、自分の中でどんどん霞んでいく。
「借り」をつくる楽しさ
しかして、最後の8日間は過ぎていった。
「島ぐらしワーケーション」というものを実際にやってみて今一番心に残っているのは、「人に頼り、頼られることの楽しさ」だった。
五島は、島の中でも特に「国境離島」と呼ばれる僻地だ。列島全体は有人・無人約150の島々からなり、最大の島・福江島(ふくえじま)の人口が約3万4000人。
もっとも”都会”な福江島にはショッピングモールもあれば、マツキヨやコンビニもあって便利だが、やはり「人」の助けを借りなければ、快適に過ごすのは難しい。
まず、必要な情報が、いい意味で一箇所に整理されてまとまっていない。
宿のこと、食べること、車を借りる場所、遊ぶ場所や遊び方……いろんな情報が、地域の、それぞれの人の脳みそにバラバラに格納されている。
だから、人に聞かないとわからないし、一人捕まえて訊き始めれば、「ああ、それならあの人が知ってるよ」と次々におもしろいソースに出会える。
もちろん最低限の情報は、ガイドブックや観光サイトに掲載されているが、最良のものにアクセスしようとすれば、「人」を介さなければ、何も始まらない。が、いったん「人」を介して何かが始まると、芋ずる式にどんどん楽しくディープな体験ができる。
それが五島の一番の魅力だし、何度も訪れ続けてしまう理由だ。
「お金で解決すること」と「人の助けを借りること」の違いとは
「人の助けを借りる」と聞くと、めんどくさいな、と思ってしまうだろうか。「借り」をつくってしまうようで、心地悪いだろうか。
でも、やってみると、何かで助けてもらって「借り」をつくり、それを自分ができる何かで「返す」という人同士のやりとりが結構楽しいと気づく。
東京では、お金で解決できない問題が基本的にない。たいていのことは、お金さえ積めば何とかなってしまう。お金を払って何かをしてもらうのだから、そこに「貸し」や「借り」が生まれる余地はない。一度で、瞬時に、やりとりが完了する。
五島に通うようになってからは、そういう一見便利な仕組みが、どんどんつまらなく思えてきた。
どんなに小さくても「その人しか知らないこと」「その人にしかできないこと」があって、それを自分がとても必要としている。だから、それをGIVEしてもらうと、心の底から「ありがとう」と思う。
自分にも何か役に立てることがあれば、お返しにして差し上げたいと、ごく自然に思う。
こういう小さな「貸し」と「借り」の積み重ねが、「その人にまた会いたい」「五島にまた来たい」という気持ちを生んでいるのだろうし、ごく小さなことでも、一人ひとりに誰かに必要とされている実感を生み出す、離島ならではの「不便さ」はかえって偉大だとさえ感じる。
人間らしいスピードで考え続ける
3週間の滞在を終え、帰路につく飛行機が羽田空港に向けて高度を下げ始めた時、「なぜ、この場所に帰らなければいけないのだろうか?」と正直釈然としなかった。
帰る意味が、見出せなかった。
大学時代を過ごした京都から、就職を機に東京にやってきて11年目。この場所でしかやれないことを、まだ自分は何かやり残しているだろうか。
コロナウイルスの蔓延から、仕事がフルリモートに切り替わり、対面の仕事は3月からこの原稿を書いている8月末までの半年間まったくしていない。しなくても何の支障もない。
どのプロジェクトも、オンラインのやりとりだけでスムーズに進行している。むしろ、移動時間がゼロになり、毎日運動する時間や読書をする時間など余暇が増えた分、コロナ前は過労気味だった身体もすこぶる調子がよくなった。
3週間の五島でのワーケーション中も、仕事は東京にいる時と何ら変わりなくできた。
むしろ、場所を変えることで新しい知覚刺激を得て、「あれもやりたい、これもやりたい」と力がみなぎり、心がプルプルしている。
だとしたら、東京にいる意味は何なのか?
陽炎の向こうで溶けかける氷のように並ぶビル群を、飛行機の窓から眺めながら考え込む。でも、焦ることはないのだ。この3週間の滞在が教えてくれたように、人間らしいスピードで時間をかけて決めればいいだけのことだ。
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五島市は2021年1月16日(土曜日)~1月31日(日曜日)まで「島ぐらしワーケーション in 五島列島 2021」の参加者を募っています。もし興味を持ったらぜひこちらのサイトをのぞいてみてください。
【筆者略歴】
鈴木円香(すずき・まどか):一般社団法人みつめる旅・理事。1983年兵庫県生まれ。2006年京都大学総合人間学部卒、朝日新聞出版、ダイヤモンド社で書籍の編集を経て、2016年に独立。アラサー女性のためのニュースメディア「ウートピ」編集長、SHELLYがMCを務めるAbemaTV「Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜」レギュラーコメンテーター。旅行で訪れた五島に魅せられ、五島の写真家と共にフォトガイドブックを出版、Business Insider Japan主催のリモートワーク実証実験、五島市主催のワーケーション・チャレンジの企画運営。その他、五島と都市部の豊かな関係人口を創出するべく活動中。
【写真撮影】
廣瀬健司(ひろせ・たけし):福江島在住の写真家。生まれも育ちも五島列島・福江島。東京で警察官として働いたのち、1987年に五島にUターン。写真家として30年のキャリアを持つ。2001年には「ながさき阿蘭陀年 写真伝来の地ながさきフォトコンテスト」でグランプリを受賞。五島の「くらしと人々」をテーマにした作品を撮り続けている。2011年には初の作品集『おさがりの長靴はいて』(長崎新聞社)から出版。