今週のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」。
戦時体制での政府や軍の愚かさや非情さを克明に描いている。
今週始めのドラマでは、戦時中に流れていたラジオ放送が登場したが、当時は実際にこんな放送が行われていた。
「空襲はさほど恐ろしいものではないと?」
「そうです。爆弾というものはそれほど当たるものではありません。むしろ防空活動をおろそかにして街を焼けるにまかせる方が恐ろしい。敵の思うツボですから」
東京を始めとする大空襲で大勢の市民が犠牲になった背景に、当時の政府による「無謀な」指示や指導があったことをうかがわせる。
今週の「ごちそうさん」は、実はテレビドラマの歴史上で画期的なものだといえる。
戦時中の政府や軍による「愚かな政策」によって、空襲における市民の犠牲者が膨大になってしまったという過去の歴史を直視し、空襲における国などの無策をこれほど明確に示したことはテレビドラマではかつてない。
「ごちそうさん」にも紹介されるが、戦時中の市民には「防空義務」というのがあった。空襲時には市民が一丸となって街の火消しに当たれ、というものだ。バケツリレーで水を渡していって消火に努める、というもので、これまでもドラマなどに登場している。
「空襲は恐るるに足りません。防空壕に避難したら、すばやく消火活動にいそしむこと」
これが市民の義務だった。
「ごちそうさん」では、このバケツリレーが本当の空襲では意味がなかったばかりか、数えきれないほどの市民が逃げ遅れる原因になったことを示唆している。
主人公のめ以子(杏)の夫の悠太郎(東出昌大)は、大阪市の防火改修課の課長。戦時には、建物を「疎開」する作業の責任者だ。「疎開」とは、火災や空襲などでの損害を減らすために、都市に集中する建物や住民を分散すること。
悠太郎がかかわる「疎開」は、建物を減らすことだ。
空襲の際の延焼被害を少しでも減らすため、住宅街に空き地を設けるように邪魔な住宅を「引き倒す」のが彼の仕事だ。
「疎開」に応じない住民に対して、「ならばあなたごと引き倒すまでだ」と言って住宅を破壊する指示を出す悠太郎。
「疎開の鬼」という異名を持つ。
建物を引き倒しても引き倒しても調整が難しく、地元の有力者の家は「疎開」からはずせという指示も来る。
本日2月27日の「ごちそうさん」では、その悠太郎が逮捕されたという知らせが、め以子に届く。
悠太郎は、軍主導の防空演習で実際に火災を発生させて水をかけて防火作業に入るという段階になって燃えているところにガソリンをまく。
「焼夷弾が降ってくるということは空から火が付いたガソリンが降ってくるようなもの。命が惜しかったらとにかく逃げろ。街は人を守るためにある。」
と言いながら。
彼の行為は、防空本部の通達に違反する行為だとしてその場で逮捕されてしまう。
それを知らされた妻のめ以子の言葉がぐっとくる。
「悠太郎さん、何も間違えてないやないですか。正しいことを教えようとしただけやないですか。街の人の命を守ろうとしただけやないですか。捕まらなあかんようなこと何もしてないやなんですか」
悠太郎はなぜ逮捕されたのか。その背景に「防空法」という当時の法律がある。
これを指摘しているのが、早稲田大学法学学術院の水島朝穂教授だ。
憲法改正などの問題について国内外の事情に詳しい憲法学の権威だ。
15年ほど前に水島教授がドイツのボン大学で研究している時に、テレビ局の記者としてインタビューをさせてもらったことがある。
それ以後、同姓のよしみで、「早稲田の水島さん」「日本テレビの水島さん」「法政の水島さん」などとメール交換しつつ、おつきあいさせていただいている。
その水島朝穂教授がまるで「ごちそうさん」の放送のタイミングに合わせるかのように、「防空法」についての本を出版した。
「検証 防空法 空襲下で禁じられた避難 」
出典:法律文化社のホームページ
法律文化社からの出版だ。
この本を紹介しているサイトで「防空法」と悠太郎の逮捕の関連が記されていて興味深い。
2014年2月第4週の放送で、ついに大事件が発生します。主人公の夫・悠太郎さんが逮捕されてしまうのです。
逮捕の理由は、「空襲に備える防空訓練で、火を消さずに逃げるよう指示した」というもの。この背景には、昭和16年に改正された「防空法」という法律がありました。
防空法は、「都市からの退去を禁止する」「空襲のときは逃げずに消火をせよ」という法律です(8条ノ3、8条ノ5)。 悠太郎の発言は、防空法に正面から歯向かうものだったのです。
今からすれば、市民の命を守るため当然の発言ですが、当時は許されなかったのです。
このホームページを読むと、知らなかった事実に触れることができる。
たとえば、空襲から逃げてはいけない、ということ。
逃げると非国民として処罰の対象になった、ということだ。
真珠湾攻撃による日米開戦の前日、昭和16年12月7日には、防空法に基づいて「国民には避難をさせない」とする内務大臣の通達が制定されました。
防空法に違反して退去した人には、最大で懲役6ヶ月または罰金500円が課せられます。この罰金は、当時の教員の給与9ヶ月分の金額です。
政府は、「避難した者は非国民だ。戻ってくる場所はない。」などの思想宣伝も流布しました。そして、「命を投げ出して消火活動をせよ、御国を守れ、持ち場を守れ」と指示したのです。
この方針は、東京や大阪が焼け野原になった昭和20年3月以降も変わりませんでした。 学童疎開や建物疎開は実施されましたが、それ以外は地方への転居が禁止されたのです。
「空襲はこわくない」などという無茶で無責任なことを当時の政府が国民に説明していた、という事実は、私も恥ずかしながら知らなかった。「防空法」という法律で、住民が逃げることさえ禁止していた、ということも初めて知った。戦時中の「空気」のような同調圧力でそうなっていたのかなどと想像していたのだが、法律で明記されていたとは驚きだった。
この本の中で書かれていることをまとめたQアンドAのホームページもある。
「空襲は怖くない」、「逃げずに火を消せ」 ―― 空襲被害を拡大した日本政府の責任を問う
法律文化社から出版された 「検証 防空法 ―― 空襲下で禁じられた避難」。
防空法制研究の第一人者・水島朝穂教授と、大阪空襲訴訟弁護団の大前治弁護士の共著です。
本書の執筆は、「なぜ、空襲があると分かっているのに、日本の都市住民は逃げなかったのか」という疑問から出発しました。 筆者が見つけた答えは、「戦時中の"防空法制"によって避難を禁止された」、「御国のために命を捨てて消火せよと強制された」というもの。 本書は、法律や資料の引用だけでなく、当時の市民がおかれた状況を具体的にイメージできるよう記述しています。 掘り起こされた歴史的事実も盛りだくさんです。
Q1 大空襲を受けるまでは、政府も焼夷弾の怖さを知らなかったのでは?
たしかに、日本が本格的な空襲を受け始めたのは昭和19年6月の北九州空襲以降です(本書p.125)。
しかし、日本はもっと早くから中国への空爆を行っていました。昭和6年10月には錦州、昭和13年12月からは重慶を空襲しており、空襲の威力を知っていました。昭和18年2月には、アメリカ製の焼夷弾(中国に投下された不発弾)を入手して爆発させる演習を行い、約100メートル四方に火焔を噴射する焼夷弾の威力が確認されています(本書p.101)。
さらに科学者は、焼夷弾の消火はほぼ不可能だと指摘していました(本書p.90)。 政府は科学者の指摘も無視して、「空襲など怖くない。逃げずに火を消せ」と国民に指示したのです。
Q2 さすがに、戦争末期の東京大空襲の後は、「危険だから逃げてよい」と認めたのでは?
一晩で10万人の死者を出した東京大空襲(昭和20.3.10)。その被害を目の当たりにしながらも、政府は「都市からの退去禁止」の方針を変更しませんでした。
大空襲の4日後、貴族院議員・大河内輝耕は「火は消さなくてよいから逃げろ、と言っていただきたい」と帝国議会の質疑で政府に求めましたが、内務大臣は最後まで避難や退去を認めませんでした(本書p.202)。
その翌月、政府は、今後の疎開方針として、老幼病者、学童の集団疎開、建物疎開による立退き者だけは疎開を認めるが、それ以外の者の疎開は認めないことを閣議決定しました (本書p.78)。
Q3 地方に転居する「疎開」は認められていたのでは?
子どもたちが親から離れて地方に移住する「学童疎開」は、終戦時まで全国的に実施されていました。しかし政府は、あくまで成人は都市にとどまらせる方針をとっていました。
昭和18年から昭和19年にかけての閣議決定は、疎開の対象者を老幼病者や建物疎開に伴う立退き者などに限定していました(本書p.72)。 さらに、東京大空襲の直前、昭和20年1月には、防空実施のため必要な人員が地方へ転出しないよう国家総動員法の発動を含めた強力な指導をする方針が閣議決定されました(本書p.75~76)。
そして、東京大空襲の翌月にも、疎開を制限する閣議決定が出されたのは「Q2」でみたとおりです(本書p.78)。
このように、都市の市民は空襲から逃れるため自由に疎開できる状況ではなかったのです。
Q4 防空法は、「政府は退去を禁止できる」というだけで、直接には退去が禁止されていなかったのでは?
たしかに防空法8条ノ3は、退去を「禁止できる」と定めるだけでした。しかし、真珠湾攻撃の前日、昭和16年12月7日に内務大臣が発した通達(当時は「通牒」といいました)には、国民を退去させないという指導方針が明記されていました(本書p.54~57)。
法律と政令と大臣通達(通牒)。この3つの法規を通じて、国民は都市からの退去を禁止されたのです。
こうした法規だけでなく、空襲は怖くないという情報操作(本書p.110)と、隣組を通じた相互監視(本書p.153) によって、国民が「逃げたいと思わない」または「逃げたくても逃げられない」という体制が作られました。
Q5 消火活動によって生命を守れたのは事実では?
政府は大空襲に備えた十分な消防車やポンプ設備を整備しませんでした(本書 p.122)。 国民は、効果のない「バケツリレー」などの防空訓練をさせられ、命がけの消火活動を命じられました(本書 p.86)。
さらに政府は、「長さ1mのハタキで火を消せる」(本書p.93)、「手袋をはめれば焼夷弾を手でつかんで投げだせる」(本書p.98)など非科学的な宣伝を繰り返し、市民が空襲の猛火に飛び込んで消火活動に敢闘するよう指示しました。
政府自身が「命を投げ出して国を守れ」という防空精神を国民に流布したように(本書p.50)、およそ防空法制は市民の生命を守るものではなく、生命を犠牲にさせるものだったのです。
手袋で焼夷弾を掴め、という新聞記事
Q6 市民は、防空壕を掘って身を守ることができたのでは?
もともと政府は、防空壕を掘る場所は庭や空き地にせよ、堅固な材料を用いて強度を確保せよと指示していました。ところが昭和16年の防空法改正と日米開戦と同時期に、政府は方針を変更して、「防空壕は簡易なものでよい、床下に穴を掘りなさい」と国民に指示しました(本書p.136)。
政府刊行書には「防空壕は床下に作った方が、焼夷弾の落下がすぐ分かり、直ちに消火出動できる」などと記載されていました(本書p.142)。 こうした政府方針のもと、大型の公共防空壕の建設は不十分のまま、各家庭に危険な防空壕が作られてゆき、家屋の崩壊による生き埋めや窒息による膨大な犠牲者が生じたのです。
東京大空襲の後も「防空法」がそのまま生きていて、地方への避難も禁止されていたという。
現在、政府・自民党は、秘密保護法が成立した後は、「国家安全保障基本法」の成立を検討している。
有事(=戦争状態)などの際に、国や地方自治体、国民を挙げて安全保障に取り組むための法整備が着々と進められつつある。
そういう時に、私たちは「防空法」というかつての法律がどう機能したのかをちゃんと検証しなければならない。
ドラマ「ごちそうさん」での悠太郎の逮捕は、実はきわめて現代的な日本人に対する問いかけだったのだ。
筆者はいいトシをして前作「あまちゃん」にすっかりハマってしまった。東日本大震災の描き方が等身大だったりで引き込まれていった。
続く「ごちそうさん」は戦時中を描く。いやいやなかなか、こちらも奥が深い。
(2014年2月27日「Yahoo!個人」より転載)