ナチズムは現代の問題でもある。
ドイツ政府やメディアが、国民にナチスの過去について事実を伝え続ける理由の一つは、少数ながら、今なおナチスの思想を信奉する者がいるからだ。たとえば極右政党NPDは、全ての外国人をドイツの社会保障制度から締め出し、雇用を制限することを綱領の中で要求している。旧東独のメクレンブルク・フォアポンメルン州の一部の地域では、市民の4人に1人がNPDを支持している。NPDは同州の州議会で議席を持っているので、他の主要政党同様、政府から交付金を受けている。外国人排斥を求める政党が、外国人も含む市民が払う税金によって援助されているのだ。噴飯物である。
また近年ネオナチが武装し、テロリストとして地下に潜る傾向が見られる。極右のテロ組織「国家社会主義地下活動(NSU)」は、2000年から11年間にわたってドイツ全国でトルコ人やギリシャ人の商店主ら10人を射殺し、爆弾テロや銀行強盗を繰り返した。しかし警察はトルコ人の犯罪組織の抗争という見込み捜査を行ったため、2人の犯人が自殺するまで、極右による計画的なテロ事件であることを見抜けなかった。メルケル首相は摘発が遅れ、警察がトルコ人による犯罪と思い込んでいたことについて、昨年遺族に謝罪した。
1992年にネオナチがこの家に放火し、トルコ人の女性と子ども3人が焼死した。(メルンにて筆者撮影)
ドイツのユダヤ人組織の幹部が、極右から脅迫状を受け取るのは日常茶飯事。幹部たちは武装した警察官の護衛なしには外出できない。彼らの公用車は、防弾ガラスと装甲版で車体が強化されている。外国人を憎む勢力は、死に絶えていないのだ。
社会の主流派ではないものの、「ホロコーストに関する自虐的報道はもう沢山だ」という勢力もいる。1998年に作家マルティン・ヴァルザーはドイツ書籍業販売協会から平和賞を授与された時に、「過去との対決」に挑戦する講演を行った。
彼は「メディアによってナチスの犯罪を毎日のように突きつけられると、反発する心が芽生える。ドイツの恥部が、我々の頭を押さえつけておくための道具として使われている」と述べ、過去の問題を繰り返し取り上げるのは、いいかげんにしてほしいと訴えたのだ。ヴァルザーは、市民から「よくぞ言ってくれた」という激励の手紙を1000通近く受け取った。もちろん彼はユダヤ人虐殺やドイツ人の罪を否定しているわけではない。しかし文壇の重鎮が、メディアによる「心に刻む文化」を「自虐史観」と批判したことは、この国に住むユダヤ人たちの眉をひそめさせた。
NPDやNSUの問題は、ナチスの問題が決して過去の出来事ではなく、今なおドイツ社会に影を落としていることを物語っている。イスラエルやポーランドなど、ナチスの被害を受けた国々は、ドイツの一挙手一投足を常に見守っている。
■ 歴史リスクと取り組むドイツ、放置する日本
ドイツがナチスの蛮行を心に刻もうとするのは、そのためである。彼らの反省は、主に道徳的な理由によるものだが、それだけではない。貿易立国ドイツにとって、過去と対決することは、歴史から消えることのない犯罪を犯した国が生き残る「処世術」でもある。この国はナショナリズムを減らし、欧州連合の中に身を埋没させることによって、周辺国の信頼を勝ち取ることに成功した。
私は、ある国が過去に犯した罪と批判的に対決することを怠ると、「歴史リスク」が生じると考えている。ドイツはこの歴史リスクの重大さを理解しているので、今なお歴史教育や報道によって国民に対する啓蒙活動を続けているのだ。ドイツがイスラエルやポーランドに批判されることは、今も皆無ではない。しかしドイツは、具体的な例を挙げながら「自分たちは半世紀にわたって歴史と対決してきた」と反論できる。
アウシュビッツ強制収容所に残された、遺体の焼却炉。(筆者撮影)
わが祖国日本の状況はどうだろうか。東アジアでは、日本と中国、韓国との間で領土問題をめぐる緊張が高まり、企業活動にも悪影響が出ている。その根底には、歴史問題がある。もちろん地政学的な理由から、日独の状況を単純に比較することはできない。しかし地域の安定化に成功したのは、欧州とアジアのどちらだろうか。
私はヨーロッパに比べると、日本、中国、韓国の歴史をめぐる一部の報道機関の報道姿勢に、ナショナリズムの高まりを感じる。
欧州の20世紀の歴史は、ナショナリズムが最終的には全ての国の市民を不幸にすることをはっきり示した。今こそ「品質の高いメディア」による、ナショナリズムに踊らされない理性的な報道が求められている。
朝日新聞社『ジャーナリズム』掲載の記事を転載