「家事・育児ができても、仕事ができなければ男としては二流?」縮まらない男女格差に潜む「男らしさ」問題

「男らしさ」に、向き合った小説「たてがみを捨てたライオンたち」の作者、白岩玄さんに聞いた。
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作家・白岩玄さん
Yuriko Izutani/HuffPost Japan

日本の男女格差が縮まらない。どうしてなのか。

この問題を考える上で「必読」と2018年に話題になった本が、白岩玄さんによる小説「たてがみを捨てたライオンたち」(集英社)だ。「男らしさ」と格闘する男性3人を主人公にした異色のストーリーが描かれた。

「家事や育児が問題なくできたとしても、仕事が人並み以下だったら男としては二流のような気がしちゃうんです。そういうのってわかりますか?」

主人公の1人は、「二軍」扱いの部署に異動が決まり、専業主夫になるべきか悩む出版社社員。その言葉に、胸がえぐられる。

1983年生まれ、現在35歳の白岩さん自身も、20代で「男らしさ」の呪縛に苦しめられたひとりだという。話を聞いた。

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Yuriko Izutani/HuffPost Japan

なぜ「男らしさ」をテーマにした小説を書いた?

例えば、女性とお付き合いする中で支配的な感情が出てきたり、尊厳のあるひとりの女性として相手を扱えてない瞬間があったり。そういう欲の奥に、相手の女性が怖い、本当は自分は弱いのに「強がらざるを得ない」みたいなところもあって...。

女性が従順な時だけ自分を好きでいてくれるんじゃないかと感じたり、性欲を解消するために彼女とそういう行為をしてるのか、それとも...とハッキリしない時もあった。彼女を大切にできる時とできない時との波があって、身勝手な自分っていうのを内に感じていました。

白岩さんは、21歳でデビューした作品「野ブタ。をプロデュース」(河出書房新社)が2005年の芥川賞候補になり、テレビドラマ化された。周囲から大きな期待が寄せられる2作目がなかなか生み出せないという苦しみも20代で味わった。自信を失った時期には、自分が何かに縛られていることにもまた気づいたという。

年齢にそぐわない知名度だったり、収入だったり、何もわからないままそういう状況に追い込まれましたね。

すごくわかりやすく言うと、収入が多かった時と少なかった時、自分の自信の持ち方が違ったり。それって、『何か』に完全に縛られてるなってわかってはいたんです。デートする時、女性には奢らなくちゃと思ったりとか、弱音を吐いちゃいけないんじゃないかとか、生活の中で色んな男性ならではの問題をずっと感じ続けてました。それが、全然苦しくなく順応できる人もいるんでしょうけど、僕の場合は苦しかったっていうことなんでしょうね。

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lzf via Getty Images

その後、32歳で結婚。生活の中でも「男らしさ」から自覚的に離れるようにしていったという。

20代の頃は、逃れ方はわからなくて。でも結婚相手が僕に対して『男らしさ』をあまり要求しない人で、いや、実際には今まで要求されていたかどうかもよくわからないんですが。

相手も働きたいし、はっきりと「別に好きなことやればいい」「お金やあなたの収入がどうとかって言わない」という感じでした。車の運転とか、いわゆる「男の仕事」とみなされていることも「やってもやらなくてもどっちでもいい」と言ってくれたり、それで随分「あ、そんなこともあるんだ!」って思って。

僕自身も家の中のことしたりするのは苦にならないので、お互い「らしさ」を押し付けない家庭になって初めて「じゃああれは何だったんだろう?」っていう、20代の苦しみを、距離を置いて考えられるようになったっていうのは大きいですかね。

「男性の問題を女性が語ってることが多すぎる」

加えて、近年では「男性学」を研究する学者が現れるといった社会の変化もあって、ようやく35歳で「男らしさ」問題と向き合う小説を書くことができたという。

本当に20代は全く書けなかったですね。わかってるのに書けない。書くことに抵抗がある。でも最近思ったのは、男性の問題を女性が語ってることが多すぎるということ。男性側から本当は語ってもいいのに。

2018年にTwitterなどで広がったセクハラや性暴力についての女性たちの告発「#MeToo」運動。白岩さんは、その運動に反応する男性の言動に注目していたという。

「またフェミニストが騒いでる」と拒絶するタイプの男性の声と、「そうだよね」って女性の味方になる男性の声がありました。でも、僕はその両方にしっくりこなくって。

自分も味方になりがちなんですけど、よくよく考えると「いや、お前だってセクハラとかしてないか?本当に?」っていう問いが欠けてるような感じがしていて。

例えば男友達と何人かで飲みに行ったときに、店員さんが綺麗な女の人だった。その人にちょっかいをかけたり、その場のノリで絡んだりする時とかってやっぱりあるなって思ったんです。でも自分は、その時すごい勢いでその友達を止めたりはしない。『やめとけ、やめとけ』ぐらいは言いますけど、胸ぐらつかんでまで止めないなと思って。

私生活で色々やってしまってるのに、その時だけ女性の味方になっているふりをして、自分が加害者だったりとか、抑圧者だったりすることを忘れて、それを抜きにして話している人が多い感じがすごくした。「それはなんか違くない?」っていうのがあったんです。そこはすごく気になってたところです。前から。

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Neydtstock via Getty Images

とはいえ、「自分が抑圧者である」ということを突きつけられるのは、辛く勇気がいる作業なのではないだろうか。しかし、男性読者からの意外な反応もあったのだという。

男性に読んでほしいけれど、自覚すらしてない人が多いテーマなので届かないだろうな、という思いはありました。遠ざけて生きている人も多いから難しいなと。一方で、自分と似たような感覚の男性も実はいるんです。「実は共感してるんです!」と、コソッと言ってきてくれたりとか。

そういうことは言えない人がいっぱいいるんだろうなと思うし、僕も結婚してなかったらどうだっただろうな、とは思うんですよね。もし奥さんが僕に「男らしさ」を押し付けてくるタイプの人で、「いっぱい稼げよ!」とか、「もっと男らしくしてよ!」みたいな感じで言われて、折り合えなかったら、自分が「男らしさ」で悩んでいた気持ちは、そのまま秘めていただろうなと思います。

一方で、男性の生きづらさだけに焦点を当てることの危険性にも自覚的だ。

とはいえ、男らしさの問題や男性の生きにくさが云々って言うと、「私の方が生きにくいわ!」と言いたくなる女の人もいると思います。まずは男性が女性に何を強いているか、徹底的に理解して、その上で男性の生きづらさを語るしか方法はないと思っていますね。

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Yuriko Izutani/HuffPost Japan

「本当は全部男性の問題じゃないですか」

日本の男女格差については、とかく「女性の社会進出」や「育児・家事と仕事の両立」などに焦点が当てられ、「女性側の問題」と思われがちだ。

しかし、白岩さんは「本当は全部男性の問題じゃないですか」と指摘する。

子供がいるから働けない女性の云々と言いますけど、「男は、どこへいった?」という疑問が常に頭に浮かぶところで、それもすり替えられてるのが本当の今の実情だと思うんですよね。

女性問題にしてしまって、「女性だけが悩んでそこで解決すればいい」みたいにしているのは、本当は絶対に違いますよね。

僕もこの国で「何が邪魔してるんだろうな?」っていうのを考えています。

ニュージーランドで女性の首相が産休を取ったニュースがありましたね。あんなことができる世の中は、既に同じ時代にあるのに、なぜそれが全然進まないのか。その問題の根っこはどう考えても「男らしさの呪縛」の問題になるんだろうなって、僕自身も感じています。

そういう風に生きてきたから変えられない上の世代の男性たち。そして、その生き方がすごく楽だから、乗ってしまえば自分が家事育児をやらなくて済むという理由で、その権利を手放せずにいる男性たち。僕らの世代は、その境目にいると思うんです。

それに気づいて、「これはおかしくない?」と思い始めている男性と、「いや、ちょっと見ないふりしていこうかな」って目を背ける男性がいるなと感じていて。

もっと下の世代はフラットで自由なのかもしれない。でも、今30代の我々の世代が一番過去の旧来的な価値観を引きずったまま生きている世代だと思いますね。

なぜ30代なのか。

僕たちの頃って、小学校のランドセルの色が黒一択だった世代だと思うんです。他の色もありましたけど、選ぶっていう発想自体が無かったですね。

昔、父親に歩き方を直された経験があるんです。内またで歩いていたんですけど、「男らしくなきゃいけない」って。どう頑張ってみても、育てられた価値観をやっぱり吸収してしまっている部分はある。

全員が抗う必要はもちろんない。それぞれの生き方です。でも、誰かと一緒に生きていく時に、相手が明らかに苦しんでいるのに自分の生き方だけを貫くのは、また別の問題だと思います。

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国連総会で、演説後に子供を抱き上げるニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相
Carlo Allegri / Reuters

「自分の内面を掘り下げる、と決めた」

こうした問題を「ニュース」ではなく、まして説教でもなく、白岩さんは悩める男性たちが主人公の小説として昇華させた。

専業主夫になるべきか悩む出版社社員、離婚して孤独を持て余す広告マン、モテないアイドルオタクの公務員。

3人の主人公はそれぞれが、社会に求められる「男らしさ」と自分の気持ち、置かれた現実とのギャップにもがき苦しんでいる。決して「模範的」な答えを見つけるわけではないが、一つ一つの出来事に折り合いをつけていく。

この問題をどう伝えるか試行錯誤する上で、色々失敗もしました。男性同士で対談して傷の舐めあいになったり...。誰かを否定したり「こんなの間違ってる!」と言うと、絶対反発が起きるんです。それは生き方の問題なので、誰かに強要すると、反発が返ってくるのは間違いないんです。その壁を超えるのは難しい。

だったら、もう僕は自分の中を掘る、と決めたんです。内面を掘り下げて、俺が勝手に反省したり、自分のことを顧みたりする分には僕の自由だなと思ったんです。(笑)

責めるとか誰かを説得するとかではなく、ただただ自分の心の声を聞き続けるっていう方法が、ひょっとしたら一番味方を増やすんじゃないか。

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Yuriko Izutani/HuffPost Japan

男性でそういうことを感じてる人は聞いてくれるかもしれないし、期待してはいけませんが、女性もひょっとしたら、自分のことを考えて「私もこういうふうに要求してたな」とか、「男性に対してこうあたってしまったな」とか思ってくれるかもしれない。

そういう状況を生み出すためには、自分の中を掘り続けるしかないんじゃないでしょうか。僕はずっとその方法でやっています。

プロフィール 白岩玄(しらいわ・げん)さん

1983年、京都府京都市生まれ。2004年「野ブタ。をプロデュース」で第四一回文藝賞を受賞しデビュー。同作は第132回芥川賞候補作となり、テレビドラマ化される。他の著書に『空に唄う』『愛について』『R30の欲望スイッチ―欲しがらない若者の、本当の欲望』『未婚30』、『ヒーロー!』など。