「新宿駆け込み餃子」プロデュースの玄秀盛さん 出所者に「人生の駅づくりをやりたい」

活動の中心となっている理事の玄秀盛さんに聞いた。
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刑務所から出てきた人に、居酒屋で働きながら社会に定着する訓練をする、東京・歌舞伎町の「新宿駆け込み餃子」。2015年4月末のオープン後、出所者を従業員として受け入れていることで話題になってきた。

店をプロデュースする一般社団法人「再チャレンジ支援機構」は、罪を犯し、償って出てきた人に、社会での居場所をつくるための活動を続けてきた。2015年1月には歌舞伎町に、すべて出所者でつくる食堂を開くほか、人材派遣業にも乗り出す予定だ。

活動の中心となっている理事の玄秀盛さんに聞いた。

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げん・ひでもり 1956年、在日韓国人として大阪市西成区に生まれる。中学卒業後、自動車修理工やすし職人などを転々。2002年5月、NPO法人日本ソーシャル・マイノリティ協会を設立。3万人以上の悩みの相談に乗ってきた。2011年7月、一般社団法人「日本駆け込み寺」を設立(2012年11月、公益社団法人に)。2012年に日本国籍を取得。2014年4月、一般社団法人「再チャレンジ支援機構」を設立。

――なぜ、こういう店を?

13年半ほど、「日本駆け込み寺」で、被害者の相談に乗っとった。多重債務、自殺、引きこもり、DV、ストーカー...。必ず加害者とも100%相対して話した。その中で3割ぐらいは、出所して職もない、働いても続かない、その反動で女性や連れ合いの子に暴力をふるったり、金品を詐取したりする。こういう人間、何とかせなあかんと、ずっと思っていた。

自分自身、出所者を建設業者や介護施設とかに紹介してきたけど、意外に続かへん。金ができたときに歓楽街へ行って、そのまま羽目外す。はっきり言って意志も弱い。いわゆる前科者が、なかなか職につけないのを何とかできないか。「駆け込み寺」でやると被害者が相談に来にくいから、別組織でやることにして、一般社団法人「再チャレンジ支援機構」をつくったのが2014年の4月。

歌舞伎町の中で居酒屋をやることで、出所した人間に社会的なルールを学ばせようと思った。3カ月をめどに研修という位置づけで、挨拶を覚える、声を出す、モノを運ぶ。サービス産業で、枠を作って型をはめる。受け入れたのはのべ15人になります。

――現在働いているのは3人ですね。巣立っていった人はどんな進路をたどったのですか。

1人はタクシーの運転手になった。1人は実家に帰った。1人は刑務所に戻った。1人は所在不明。あとはコンビニや人材派遣、それぞれやってます。うちが分かるのはそこまで。たまにみんな遊びに来んねん。離れていっても、一生の付き合いができる。

大事なのは出所して1、2年後や。どうしても地元に帰る。昔のワル仲間が訪ねてくる。そこで声をかけられる。こういう業界おらへんかったら分からんやろけど、世話になった兄貴分に「おい、昔、100万貸したやろ」と言われたら逆らえへん。普通の社会では給料になるはずやけど、あいつら明細出さへんから。そのとき「いやいや、玄さんとの約束があるから」と言うてくれたらええねん。俺の本は刑務所にも揃ってるし、その世界では有名人なんやで。

1人でも加害者がなくなれば、被害者はなくなる。うちは「駆け込み寺」で被害者を救ってるけど、被害者は増えてばっかり。やっぱり加害者が加害者にならないようにやらなあかん。こんなんやってったら、せめて3割でも犯罪減るんちゃう?

――どうやって面倒を見ているのですか。

まず身元引受人になって、働くところを紹介する。この機構のビルの隣に5人まで住み込める。社会のルールを守るという研修は当然、うちでやる。一番大事なのはコンプライアンス。こういうこと学んだことない奴らやから。「俺は裏切るな、ウソつくな、時間守れ」、たったそれだけの話や。3年も5年も刑務所に入っていた人間は人間不信、社会不信にもなっている。再出発いうたって、何かの窃盗がばれただけで「あいつは前科者やから」と言われるのが現実。最後は俺が砦や。

誓約書を書かせて、客商売に向く奴しか連れていかへん。待遇は一般のバイトと何らかわらへん。バイト研修も普通のバイトと同じ。

――そうは言っても裏切る人もいるのでは?

かまへん、かまへん。10人面倒見て8人裏切られてもええんや。たった1人でも助かればそれでええ。

■ちょっとでも出所者に慣れてほしい

――あえて歌舞伎町で飲食店の形態を取ったのはなぜですか?

サービス産業で忙しさに慣れていく。オーダー取る。これが初歩や。「ありがとうございます」と1日100回ぐらい言う。当たり前やな。酒飲んでちゃかす奴も出てくる。それが普通や。3カ月たったら人慣れする。どんどん自信がついていく。刑務所も拘留も長ければ長いほど人ずれしているから、心のケアみたいなもんや。同僚を頼り頼られて「こんな俺でも役に立つんや」と意気に感じる。

歌舞伎町は24時間眠らない街やから誘惑だらけ。組関係もお姉ちゃんもいっぱい。そういう中を歩いて帰ってくる。それもまた訓練。歌舞伎町は面白いところで、しょっちゅう警察が職務質問してくるから逆に安心や。

――トレーニングという意味では、あえて出所者であることを明らかにしないという方法もあると思いますが...

あかん。うちは堂々とうたう。「再チャレンジ機構協力店」って札も貼ってるし、俺もばんばん取材受けてる。歌舞伎町の真ん中で堂々とやれば目立つやん。店でも本人たちは全部オープンや。「こいつ前科は5犯、おまえはシャブや、おまえは傷害」。自慢せんでええけど隠さんでええ。

――お客さんの反応は?

一般の従業員と混在してるから、まったくわからへんやろ。きかれたら「えっ?」という顔をする。最初はそんなんでええねん。

――世の中の認識を変えたいと。

当然。ちょっとでも慣れてほしいねん。出所者も1人の人間やで。頑張ってるんやで。

――世の中の見る目はそこまで厳しいですか。

捕まったらニュースで顔写真も全部出て、ネットで特定される。長いこと付き合いのなかった幼なじみもみんな「ああ、あいつが」、それが一生残る。家族もろとも白い目で見られる。出所しても家族から「あんた帰って来たらまた言われるから」と拒まれる。真面目に働いても楽しみがない。友もいない。ワル仲間から誘われる。8時間で稼ぐ金を1時間で稼げる仕事を紹介される。「まともに暮らして何がええことあるんや、家にも帰られへん、今さらなんの人生が」と思うと、流される。

「40過ぎてもやり直し効くで」というのは人の輪や。ちょっとでも堅気に未練を残すようになったら、人間、違う。時間はかかるけど、少しずつな。

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■2016年はオール出所者の店、人材派遣業も

――「駆け込み餃子」の8カ月をどう中間評価しますか?

上出来。お店ももうかってる。法務大臣も芸能人も来てくれてる。逆に、これだけ反響大きいとは思わんかったから、出所者を収容する部屋数が足りない。就労する場所もない。だけど10人のうち3人と、提携先の会社と取り決めているから、今の店では限界。

――餃子店では殺人などの凶悪犯罪者は入れていないそうですが。

8カ月前はまだ誰もそんな店作りしたことないから、難産やったな。最初お願いして頼んだ部分もあるから「組関係が来たらどうするの?」「お客さんとトラブルあったらどうすんの?」という不安も持たれたけど、それでも普通、あそこまでよう許可せんよ。

餃子店は最初の3カ月、研修的にはかまへんけど、それ以上になったら夢を与えたいわな。たとえばラーメン屋させてやりたいな、金の計算できるように事業主させたいな、という奴も出てきた。

だから2016年1月にもう1店、歌舞伎町に出します。厨房も含めて全部ムショ上がり、フルタイムで働かせる。出所者の相談ブースも作りたい。たまにムショ出たばかりの奴が夜の8時ごろ、餃子店に突然やってくるんや。まずメシ食わして、寝るところを手配するステーションいうんか、ハブっていうんか、人生の駅づくりをやりたい。

何でもそうやねん。1店つくるのが大変。2店目が試される。これがうまくいったら、あっという間に3店、5店になるで。

それじゃ足りへんから、前科者の人材派遣もつくるよ。世の中は前科者のこと知らん。車に乗ってて、相手が自転車で飛び込んできて死なせても前科者やで。世の中はそこで線引きして、なかなか受け入れんから再犯する奴がどんどん多くなる。

前科者を3日でも使って下さい。ええ人材やで。美容師、理容師、調理師、詐欺師までおる。セールスさせたら抜群ちゃうの? なんとかとはさみは使いようで、ええ知恵もってんねん。度胸もある。こんな発想持って、ひとつでもいい、道を開いてあげたい。

――ここまでする背景には、玄さんの生い立ちも大きいのかもしれませんね。

17歳まで大阪・西成で育った。絶えず暴動の世界や。25歳から人材派遣、いわゆる人夫出しを17年やった。1万人の日雇い労働者を使ってきた。西成に流れてきた、言うたら、8割は前科者か逃げてきた奴か指名手配や。こういう人間は扱い慣れてるから「おい、おまえ、そこ座らんかい。どっから出てきてんねん」という会話ができる。組には所属したことないけど、組ともめてばっかりやった。俺自身は刑務所に入ったことないけど、ここに俺のルーツがあんねん。

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