中国政府が資格を認めず、消息不明になっているチベット仏教の宗教指導者パンチェン・ラマ11世(ゲンドゥン・チューキ・ニマ)について、中国当局は9月6日、「普通に暮らしている」と明らかにした。イギリスのガーディアン紙などが伝えた。
中国チベット自治区の幹部は、パンチェン・ラマ11世の消息を問う質問に対し「教育を受け、普通の生活を送り、健やかに成長しており、邪魔されることを望んでいない」と答えた。
ニマ少年の現存する唯一の写真 (C)ASSOCIATED PRESS
1989年にパンチェン・ラマ10世が死去した後、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(インドに亡命)と中国政府はそれぞれ独自に後継者探しを始めた。ダライ・ラマ14世は1995年に、10世の「転生霊童」(生まれ変わりの少年)として、当時6歳のニマ少年を認定した。しかし中国政府はこれを認めず、別の少年を継承者に認定。2人の「パンチェン・ラマ」が併存する異常事態となった。1996年5月、中国の国連代表部大使は「保護の目的」でニマ少年を連行したことを認めたが、その後の消息は明らかになっていなかった。
背景には、1956年に始まった大規模なチベット自治区の反中国暴動(チベット動乱)で、インドに亡命政府を樹立したダライ・ラマ14世の影響力拡大を防ぎたい、中国政府の思惑があったとみられる。
パンチェン・ラマは、チベット仏教界ではナンバー2の最高指導者だったが、1959年のチベット動乱の際に国外に出ず、チベットにとどまった。66年から76年にかけての文化大革命では、10年間も獄中につながれた。釈放後は、中国のチベット政策を支持し、ダライ・ラマとは対照的な生き方をしたことで知られる。(「6歳の坊やがパンチェン・ラマ後継に ダライ・ラマ14世が公式指名 」朝日新聞1995年5月15日付朝刊より)
パンチェン・ラマ10世は親北京だったことから、政府は後継者にも同じ道を望む。ダライ・ラマの指名が、チベット社会で受け入れられてしまうと、政府は承認権を否定されるだけでなく、ダライ・ラマの影響力拡大を許すことになる。(「親中国の霊童探し難航 パンチェン・ラマ後継指名問題」1995年5月20日付朝刊より)
2015年9月6日の会見でチベット自治区の幹部は、ダライ・ラマ14世による認定について「歴史的な慣習を無視し、宗教的な儀式を破壊した。正式な権威によるものではなく違法であり無効」と、改めて非難した。