小ぶりで、シンプルだけれど可愛らしいデザインと、手頃な価格帯が人気のバッグブランド「フルラ(FURLA)」。
創業91年を迎えるイタリアの老舗ブランドだが、ここ数年、急成長を遂げている。
2018年上半期は、7年連続で売上高の2ケタ成長を達成。特に日本では、本国イタリアの売上を超えるシェアを獲得するほどの快進撃を続けている。
そんなフルラ ジャパンの健闘を牽引するのが、同社にとって初の「日本人社長」でもある代表取締役社長、倉田浩美さんだ。
倉田さんは、電機メーカーの事務職スタッフからキャリアをスタートした"異例"の経歴の持ち主でもある。
「『上り詰めていく』みたいな思いは全然持っていなかった」。そう話す倉田さんに、フルラの人気の秘密や、自身のキャリアについて聞いた。
100カ国以上の国で、471店の直営店を展開するフルラ。2018年上半期の売上高は約330億円(252万ユーロ)で、前年比で10.6%増を記録した。
日本の売上は全体の23%を占めており、本国イタリアを抜き、国単体で売上シェア1位を保持している。
2014年に代表取締役社長に就任した倉田さんは、成長の鍵を「360度のマーケティング」と分析する。
就任した翌年、マーケティングにかける予算額を倍増。ECサイトやSNSなど、どのメディアにも統一されたブランドのメッセージが流れるようにしたという。
「フルラほど、日本で自由度が高い外資ブランドはないんじゃないか。そう思うくらい、本国と良い関係を築けています」
倉田さんはそう話す。
外資系の会社といえば、本国側から無茶な要求を出されたり、承認や決裁を得ることに苦労したりするイメージもあるが...。「売上シェアNo.1」という結果を出しているからか、立場はむしろ逆。
「どちらかというと、日本から本国にいろいろ言う方が多くて...。日本側が、『ごめんね、要求が多くて』と伝えて、イタリア本国が苦笑いをしながらも、きちんと理解してくれる関係性です。すごく風通しの良い環境ですね」
日本発のアイデアが、実際にグローバルで商品化に至ったこともあると言う。
一番人気のシリーズ「メトロポリス」のバッグを自分好みにカスタマイズできるモデルを本国に提案したところ、9カ月で商品化、販売がスタートした。
90年以上の歴史を持つフルラは、1992年に日本に進出。2014年に代表取締役社長に就任した倉田さんは、同社にとって初めての「日本人社長」だ。
福岡出身の倉田さんは、地元の短大に通ったが、就活では内定が出ず、卒業した時点では就職先が決まっていなかったという。
卒業後、変圧器を製造・販売する地元の電機メーカーに就職。一般事務職のスタッフとして働いた。しかし、その会社では自身のキャリアを描けなかったという。
「毎日午後3時に『おやつタイム』があって、男性社員にお茶とちょっとしたお菓子を出す風習がありました。私はずっとこの仕事をするのか、と考えると、続けることは厳しいかなと思ったんです」
海外への渡航資金を貯めながら電機メーカーに2年間勤め、アメリカに語学留学した。留学の理由は、「英語が好きだから」というシンプルな理由だったという。
その後は英語以外のスキルを身につけるため、アメリカのセントラル・ワシントン大学に入学。ビジネスと会計学を専攻し、卒業後に現地の会計事務所に就職した。
「英語を使った仕事に就きたいとは思っていましたが、ビジネス界で『上り詰めていく』みたいなギラギラした思いは全然持っていませんでした」
会計事務所にはファッション業界や小売業に特化したコンサルティング部門があり、その部門で日本向けのプロジェクトに関わるようになったことが、ファッション業界に身を置くきっかけになったという。
アメリカに10年滞在し、1998年にはギャップ・ジャパンに入社。2002年にコーチ・ジャパンでファイナンス・ディレクターとして入社し、売上分析やマーケットリサーチなどを担当した。
「よく『すごい経歴ですね』と言われるんですが、そんなに完璧な道でもなくて。就職先は決まらなかったし、2回仕事を失いかけたこともあります。経歴を端折ってみると、いわゆる『バリバリのキャリアウーマン』に見えるかもしれませんが...。(笑)いろいろな失敗をしたから今があるんです」
コーチ・ジャパンに12年間勤め、2014年にフルラ ジャパンの代表取締役社長に就任した。
「20年以上働きつづけて、一度まとまった休みをとるためにも辞めようと思っていたタイミングで、ちょうどフルラから声がかかりました。引き寄せの法則とはこういうことか、と思いました」
着実なキャリアアップを重ねてきた倉田さんだが、「社長になりたい」という願望は持っていなかったという。
「世間的な"社長像"を考えると、自分には向いていないと思っていました。でも、社長だからといって、完璧でいる必要はないんですよね」
「できないことに関しては、まわりにいるみんなに頼ればいい。そして、社長一人で突っ走るのではなく、『チーム』でやってこそもっといい結果がでる。そう気づいた瞬間に、自分らしくあればいい、社長業をやってみよう、と気持ちが楽になりました」
フルラ ジャパンの社員数は465人。
販売スタッフをはじめ、社員が自発的にアイデアを出しやすいよう、社内研修などを通じて現場の声を聞くことを大切にしているという。
「一番大事にしているものは、商品ではなくて、まず『人』です。やっぱり『人』が一番の財産です。消費者としての『人』、社員としての『人』がいて、それぞれがいろいろな考えを持っている」
「その人たちが、『なりたい自分』に向かって頑張っている過程において、大切なヒントになるようなことを提供する。ブランドとしてのメッセージでも、社員に対しても、そういったコミュニケーションを心がけています。その人の人生がちょっとでも変わる瞬間が見えた時の喜びは、私にとってこの上ないものだ、と思っています」
アパレル業界は斜陽産業とも言われ、明るいニュースばかりではない。
9月には、英高級ブランド・バーバリーとのライセンス契約が2015年に終了したアパレル大手、三陽商会が250人程度の希望退職を募ると発表。また、動物愛護や環境保護の観点から、アパレルメーカーによる動物の毛皮(リアルファー)の使用や、売れ残り商品の大量廃棄などに対する世間からの風当たりも強い。
フルラも、2018年11月より展開するクルーズコレクションからリアルファーの使用を一切禁止することを発表した。
「これだけ世の中でデジタル化が進むと、消費者はより賢くなっています。いまはデジタルで、全世界の情報を瞬時に得ることができる。そうなると、ショッピングに対する価値観も変わっていきます」
「価値観が変わってきていることにいち早く気づいて、先をいく戦略を打っていかないと、何かが崩れ落ちていくと思います。お客さまを理解することは、小売業やファッション業界にとって、ある意味原点とも言える。自戒を込めて言いますが、その原点を振り返ることが、今はすごく大切だと思っています」
ターゲット層にとって、身近な存在でありたい。その思いからフルラは"スタイル抜群"のスーパーモデルをキャンペーンのモデルには起用せず、インフルエンサーを起用している。
体型や「芸人」という職業にとらわれず、ファッションを楽しみ、ポジティブなメッセージを発信しつづける渡辺直美さんにもいち早くアプローチ。
2016年、2017年9月にミラノで行われた展示会に渡辺さんを招待した。
「本当に大切なものは何なのか。その価値観をわかっていたり、探していたりする女性たちを支援したいと思っています」
社長だからといって、完璧でいる必要はない。そして、一番大切なものは「人」。そう断言できる倉田さんだから、フルラは女性たちの心をつかみつづけるのかもしれない。