「2036年、フクシマが希望の言葉になる」 福島第一原発観光地化計画を立ち上げた東浩紀さんに聞く「未来のつくりかた」

福島第一原発観光地化計画。どきりとする言葉が含まれたプロジェクトを立ち上げたのは、思想家、東浩紀さんだ。福島第一原子力発電所の事故から25年後、2036年の「フクシマ」を見据えている。その未来とは?
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ゲンロン

『福島第一原発観光地化計画』(ゲンロン)。どきりとするタイトルの本が2013年11月に刊行された。編集は思想家、東浩紀さんだ。東さんは福島第一原子力発電所の事故から25年後の未来、2036年の「フクシマ」を見据えたプロジェクトをジャーナリストの津田大介さんや社会学者の開沼博さんらと立ち上げた。

この計画では、事故から27年を経たチェルノブイリ原発を取材。廃炉作業が続く一方で今も送電施設として利用され、30キロ圏内ゾーンを見学するツアーが組まれている現状を既刊『チェルノブイリ・ダークツーリズムガイド』(ゲンロン)としてまとめている。このチェルノブイリ取材で得た知見をふまえ、旅行客がアウシュビッツや広島など、負の歴史を持つ地を訪れる新しい観光の考え方「ダークツーリズム」を支柱としながら、福島第一原発跡地の一般見学やJヴィレッジを再開発することなどを提案している。

最初のステップは、チェルノブイリへのツアーを実施、事故を起こした原発が観光地化されている先例に学び、食の安全やツアーガイドの整備などを進める。デジタルメディアを利用して次世代へ記憶を伝えていく。次のステップでは、東京五輪が開催される2020年に向け、日本へ訪れる観光客に福島にも足を運んでもらうべく、Jヴィレッジで災害復興をテーマにした博覧会を開催。東京・品川にも災害博物館を建設する。

そして、2020年から2036年までの最終ステップでは、周辺の放射線量が十分に下がっていることを前提に、Jヴィレッジを巨大なビジターセンター「ふくしまゲートヴィレッジ」として再開発する。事故博物館や研究機関とともに福島の海を再現した全天候型リゾートなどの商業施設も建設、ここを拠点に観光客はバスで廃炉作業の見学に向かう。東北観光の核になることで、「フクシマ」が希望の言葉になる−−というのが、計画が描く未来だ。

「観光地化」という言葉の強さに議論が巻き起こったが、2014年3月に事故から3年となる福島第一原発事故による被災はいまだ続いている。その一方で、人々の関心が失われつつあるという現実も。私たちはこれから、「フクシマ」とどう向きあってゆけばよいのか。東さんに尋ねてみた。

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■官僚や政治家が考えないような「復興計画」

−−「福島第一原発観光地化計画」を立ち上げた、そもそもの経緯を教えてください。

もともと僕は文学や哲学をやってきた人間ですが、2011年3月に東日本大震災があって、社会の危機に対してどのように関わったらいいのか、いろいろと考えました。ジャーナリストや社会学者であれば被災地に行って調査し、政策を提案するということになると思いますが、自分のプロフェッショナルとしての仕事とはちょっと離れているなと。

もちろん僕も取材に行ったり、現実を見たりもしたのですが、自分の本領、オジリナルの場所というのは、「現実を超えるものを考える」ということにあると思ったんですね。そういう立場から、普通の官僚や政治家が考えるようなこととはちょっと違う復興計画を考えることができないか、というのがひとつです。

もうひとつは、僕はもともと大学で表象文化論をやっていたのですが、表象というのはイメージという意味でして、イメージがいかに人を騙していくか、人はいかにイメージによってしか現実を見られなくなっていくか、ということを学びました。今でも原発事故について、除染や補償の問題は常に話題となっていますが、福島のイメージが傷ついたというのが大きな事件でした。

原発事故をきっかけに世界は「フクシマ」という名前を知ってしまった。「フクシマ=原発事故」になってしまった。この状況をどうやって逆手にとるのかということを考えなければいけない。しかし、まわりを見てもそういうことを考えている人はいなかった。そんな中で、文学者、哲学者なりにできることはないかということと、「フクシマ」のイメージを良くしないと話にならないのではないかと考えていた時、チェルノブイリ4号炉が、実は観光客が見に行けることを知って、ここに可能性があるなと思って始めたのが、「福島第一原発観光地化計画」でした。

■「観光地化」という言葉に対する反発

−−2012年秋に「福島第一原発観光地化計画」を立ち上げてから、「観光地化」という言葉が不謹慎であるとして批判や反発も強く、議論を呼びましたが、現在は計画への理解は進んでいるのでしょうか?

1年以上経って、だんだんと変わってきました。特に「ダークツーリズム」という言葉がかなり知られるようになり、そういう考え方があるということを分かっていただけるようになった。「観光地化」という言葉への反発は、ある意味では感情的なものなので、説明しても「やっぱり…」という方はいらっしゃいますね。

−−日本国内でも、修学旅行で広島や長崎へ行くといった「先例」はありますが、この計画はどうしてそこまで反発が起きてしまうのでしょうか?

そうなんですよね。僕は実際に「この計画はダメです」という福島の方には会ったことがないんです。いるんだとは思います。ただ、そういう方とお会いしたことがないわけですよ。現実にいるのは、ネット上で「福島の人たちがどんな気持ちなのか考えたことがあるのか?」みたいな、向こう側に誰がいるのかわからないような代弁者たちです。

何人もの福島の方に話を聞きましたが、計画そのものに対する是非はともかくとしても、「観光地化」というコンセプトに関しては非常に重要である、人が福島に来るためにはかなり過激なことをやるのも大事ではないかと、皆さんおっしゃってくれる。

−−これは東京で暮らす私の個人的な考えなのですが、被災地を被災地以外の人が語る時にはある種のためらいがあるような気がします。「自分たちは未曾有の災害に遭った被災地のことを理解したり、寄り添ったりできないのではないか」という思いが常にあって、「観光」という娯楽のイメージが強い言葉が使われている計画を受け入れることに、二の足を踏んでしまうのではないかと。それだけ、私たちの中では大きな傷となっているのだと思います。

■東日本大震災の風化はすでに始まっている

厄介なのは、傷が癒えてないのに、他方では風化が始まっていることです。この本も含めて、東日本大震災に関する本が全く売れなくなってきていると書店では言われている。特に西日本での売り上げの落ち込みが激しい。僕自身も「東さんはいつまで福島のことをやっているんですか」と言われることが時々あります。わずか2年半で。

振り返ってみれば、2013年夏の参議院選挙で東京では反原発や福島を争点にしたのは山本太郎議員だけだった。これが今の事態を象徴しています。山本太郎さん個人にどうということではないのですが、彼の陣営は福島のことを話題にはしているんだけれども、福島をモンスター化しているところがあった。

「放射能が怖い」とか「福島が怖い」とか、モンスター化している人たちだけが福島に関心を持っていて、他の人たちは福島のことを忘れつつあるという状態になっていると思うんですよ。今でも「原発を忘れていない」とは言うけれども、そこで語られているのは汚染水や健康被害の話で、未来につながる話ではない。事態は悪くなっている感じがしますね。

−−2014年3月で震災から3年になります。2013年10月に開かれた「図書館総合展」のシンポジウムで、東日本大震災のデジタルアーカイブを進めている国立国会図書館長が資料収集は最初の3年が正念場だという趣旨の発言をされていました。裏を返せば、その後は風化が進むということだと思います。

2013年11月にゲンロン(東さんが代表を務める会社)が企画したチェルノブイリツアーには、30人くらいが参加しました。その参加者の方から聞いたところでは、現地の人が「事故から2年くらい経ってから、チェルノブイリを忘れたいという人が増えた」と言っていたそうです。日本でも、今でこそ浪江とか大熊という町の名前を知っているけれど、10年もすれば皆、忘れられてしまうのではないか。だから、忘れられないうちにこの事故が起きた地を人が集まる場所に転換していかないと、関心を持たれなくなってしまうと思います。

■福島第一原発の情報を出すことで関心が高まる

それからこの前(2013年12月)、僕は津田さんと福島第一原発の中に入って来ました。それも衝撃的な体験だったのですが、僕や津田さんが驚いたのが、twitterでそのことをつぶやいてもほとんど反応がなかったことなんです。

つまり、汚染水、汚染水って言っているけれど、それは何かを叩く際の記号でしかなくて、実際に福島第一原発どうなんだろう、ということには関心がないんじゃないかという気がしてならない。そういう状態になってしまった原因として、東京電力の秘密体質--福島第一原発に関する情報をあまり出さないし、取材を認めるのも一部の特定の団体だけに限ってきたこと――の結果、「福島第一原発についてはこんなもんだろう」というイメージが皆の中にできてしまったことがあると思う。

だから、それこそ所定の手続きを踏めば中に入って自由にブログなどを書くことができるような状況を作った方が、福島第一原発に対する人々の関心も高まるし、東電も仕事をやりやすくなると思うんですが、今はそうなっていない。そういう風にしたほうがいいんじゃないですかと、東京電力には意見を言ってはいるんですけどね……。

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■現地で動き出している空間線量の高い場所を案内するツアー

−−風化を防ぐために、浪江町の石田全史さんや富岡町の藤田大さんなど、すでに現地の人たちが自主的なツアーを行うなど動き出していることが紹介されていました。そういった芽を潰さないでこの観光地化計画と連動させていくということでしょうか?

そうです。今すでに観光地化の芽があるわけです。ですが、マスコミはやはり福島の問題に触れたくないのか、岩手や宮城のツアーは紹介するし、その2つの県については「地震や津波などの震災以降の話」は紹介するのだけれども、福島の「原発事故以降の話」は報道されない。

それはちょっとおかしいというか、東日本大震災全体について語ることで、何となく福島第一原発についても語った気になっているというか。とても良くない状況だと思います。現在、石田さんや藤田さんのように街の中にコネクションを持っている人間しかそういった活動をできません。これを制度化するべきだと思うし、一般に開いていくべきだと思います。とにかく多くの人が、原発事故の実態を見ることが大事です。

■今でも不可能ではない福島第一原発の見学

今回、福島第一、第二原発を見ましたが、第一原発はマイクロバスに乗って手袋とマスクと足カバーだけで行けるんです。それでメルトダウンした原子炉建屋の横をバスで走るんです。2時間程度見て、積算線量が20〜30マイクロシーベルト。東京からニューヨークの航空便で50マイクロシーベルトと言われているので、その半分ですよね。

つまりこれが何を意味しているのかというと、物理的には今でもツアーできてしまうということなんです。僕はこれに一番びっくりしました。もっと被曝するかと思っていたし、防護をしっかりしないといけないと思っていた。物理的には今でも見学はできるのに何が問題なのかというと、制度と心情の問題です。

でも、僕はそれでもやるべきだと思うんです。この本に関して、「福島第一原発の観光ツアーなんていつの話だ、夢物語だ」と言っている人がいますが、行けばツアーができる状態だと分かる。そのことをブログにも書いたんですが、これもまた反応がないんですよね。皆、汚染水がすごいとかシーベルトがすごいんだという話を求めているんです。福島第一原発は軽装で見に行けるらしいという話は求めていないんですよね。本当によくないです。「フクシマ」が怖い、モンスター化の情報だけが求められているんです。

−−「福島第一原発観光地化計画」というのは、「フクシマ」を普通にするということですよね。正しい情報に基づいて正しい興味を持ってもらうという……。

正しく興味を持ってもらうということでもあるし、「ヒロシマ」が世界で名前を知られる都市になっているのは、原爆ドームがあるからであり、被爆経験をなかったことにしなかったからですよね。福島も将来はそうなるべきであって、事故をなかったことにしたとしても、それで何に「戻る」のかという話ですよね。

■日本人の原発リテラシーを高め、モンスター化を解除する

仮に除染が終了して、原発の廃炉は終わらないにしても、周囲に住めるようになったとして、原発の交付金ももうない。一時的には災害復興支援でお金が入ってくるとしても、長期的には何も残らないですよ。原発事故があったのに復興した土地というアイデンティティを持って、新しいイメージを得ていかないと人は来ない。

もし、そういうイメージを確立できれば、日本の原子力行政がどうであろうが、反原発にとっての世界的聖地という位置づけを得ることも可能になるわけですよね。政治的に議論はあるだろうけれど、広島が反原爆、反水爆の聖地だったように。今回の事故は福島という地名がグローバルに知られるきっかけにはなったのだから、何とかしてそれを逆手に取って前に進むということを考えないといけないと思いますね。

それから、今回、第一原発とともに第二原発にも行きました。その格納容器や燃料プールを見るなどの大変な経験をしてきたわけですが、その時に印象的だったのは、昔は原発というのは周辺住民に開放されていて、小学生から高齢者まで燃料プールなどを案内していたらしいんです。それが、2001年の9.11以降にテロ対策が意識されるようになってから、見学ができなくなったと。日本人の原発リテラシーが2000年代に衰えていったんですね。中も見られなくなって閉鎖的になっていたその果てに起きたのが、今回の事故だった。

原子力発電への賛否とは別に、巨額な税金は投入されているわけだし、非常に巨大な産業だし、本当だったら−−僕だって恥ずかしながら原発の見学なんて初めてだったけど−−原発の見学そのものをそれこそ小学校や中学校で一度はやるべき、というくらい大きな産業です。僕達は原発がどういうものなのか、イメージすらできていなかったわけですよ。事故が起きて、皆が一挙に恐怖に駆られて、過剰にモンスター化している状態になってしまった。そういうものを解除するためにはとにかく人に見せるということしかないと思います。

■高度経済成長や大阪万博を否定せず、原発跡地でやり直す

−−「ふくしまゲートヴィレッジ」の未来予想図には、「ネオお祭り広場」や「ツナミの塔」といった大阪万博を彷彿とさせるモニュメントが描かれていますね。

高度経済成長や大阪万博−−大阪万博は高度経済成長の象徴、正確には曲がり角に当たるものですが−−を否定するのではなくて、大阪万博をやり直す、みたいなイメージです。高度経済成長を否定して、例えば里山資本主義とか、低成長で小さく縮んでいく国家について語るというのがこの10年ほどの日本の言論のトレンドではあります。

ですが、日本は結構大きい国だし、人口も多いので、そんな北欧の小国のようには簡単にはなれないんですよ。それに成長せずにどこまでも貧しくなっていくというのは国全体にとっては良くないと思うんです。これはすごく当たり前のことなんですが、日本の今の言論状況ってすごく歪んでいると思っていて、貧しくなっていいんだ、お金を稼がなくてっていいんだ、というのが正義で、お金を稼ぎたい、子供のためにもっと豊かな国を作りたいというと、もうアベノミクス応援か、みたいな感じになる。変な国になっちゃったなと思いますけど。なので、もう一度高度経済成長の夢みたいなものを、もっと洗練された形でやり直す。そういう思いを込めて、原発跡地に洗練された大阪万博の21世紀版を作るというイメージで考えています。

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■計画実現のために小さなサンプルを作る

−−しかし、この計画を実現するためのハードルは低くないと思います。その中でも大事なのは、現地の方たちや実際に東京電力との協力を取り付けるといったことになるのでしょうか?

この計画は大きなビジョンです。これを実現するために全てをやっていこうと思ったら、大きな会社が入ってくれないと無理だと思います。僕自身がやるべきだと思っているのは、いくつかのサンプルを実践してみることです。今回、原発の中に入ることができた。これが1年後、2年後にゲンロンの監修で東京電力の原発敷地内ツアーができれば、それは大きな一歩になると思うんですよね。

もしくは、本書にも書きましたが、津田さんと警戒区域ぎりぎりに「ゲンローグハウス」を立ち上げてギャラリースペースとかにして定期的にトークショーなどをやる。それを見に若者が来るということになれば、それもまたまた一つのサンプルになると思うんですよ。ゲンロン監修チェルノブイリツアーも続けて、参加者と福島の人たちとのワークショップや、彼らがチェルノブイリで見てきたことを福島の人とシェアしていくことができればいいなと思っています。そういう、小さいサンプルを作っていきたいです。

■私たちが福島の未来のためにできること

−−この本のあとがきで、東さんは「哲学や文学は、この危機の時代でなんの意味を持つのか」と苦悩したことを書かれています。ご自分なりの責任感を持ってこの計画を立ち上げたという思いを感じました。しかし、立場の違う私たちにはできることも限られていると思うのですが、その中で、福島の未来のために私たちができることとして、何があるのでしょうか?

僕はまず福島に行くことだと思います。福島に行くからには、「ボランティアやらないと」みたいなことはまず考えず、単に物見遊山でドライブに行くべきだと思います。Jヴィレッジの横を通って、富岡や浪江に入る。そこで、ぽつんと開いている楢葉のセブン-イレブンに入ると原発作業員が弁当を買っているわけですよ。

それから、ガイガーカウンターを持っていくと良いかもしれない。こんなに空間線量が高いところまで普通に入れてしまうんだという驚きがあります。今だとどんどん寒くなってきて、雪が降ってきてしまうけれど、秋だとすかっとして自然が美しいです。空気も凛として清々しいわけですが、これが「放射能が見えないということ」なのだなと感じることができますから。そうしたところから、「福島第一原発観光地化計画」は始まります。

【訂正】記事中の「積算線量が20〜30ミリシーベルト。東京からニューヨークの航空便で50ミリシーベルト」という箇所で、ミリシーベルトという単位が使われていました。正確には「マイクロシーベルト」になります。謹んでお詫びするとともに訂正いたします。