福島の地元紙と全国紙との原発報道の違い、今でも鮮明【争点:エネルギー】

私たちがふだん目にするニュースは、自分が住んでいる地域のニュースか、東京に拠点を置く全国紙や全国放送網が報道する(多くは永田町や霞が関まわりの)いわゆる「全国ニュース」だ。原発が大きな争点でも、それらの多くは「東京発」で書かれており、地元の意見や思いが反映されているとはいえない。地元・福島のメディアは、原発とういテーマとどう向き合い、どう伝えているのだろうか…
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Flickr / Haruhiko Okumura

福島第一原子力発電所の事故から2年3カ月。原子力規制委員会による新規制基準の施行も「7月8日」と決まった。日本はこのまま原発を推進すべきか、反対すべきか、脱するべきか。参議院選挙を控え、「原発」というキーワードを耳にしたり、目にしたりしない日はない。

ただ、私たちがふだん目にするニュースは、自分が住んでいる地域のニュースか、東京に拠点を置く全国紙や全国放送網が報道する(多くは永田町や霞が関まわりの)いわゆる「全国ニュース」だ。原発が大きな争点でも、それらの多くは「東京発」で書かれており、地元の意見や思いが反映されているとはいえない。地元・福島のメディアは、原発というテーマとどう向き合い、どう伝えているのだろうか。朝日新聞デジタルのインタビュー記事で「福島民友新聞」の若い記者はこう答えている。

福島の新聞は今も、ほとんどが原発事故の記事です。でも全国ニュースには、あまり取り上げられなくなっています。一方で福島は怖い、危ないというイメージだけは定着してしまったようにも感じています。地方紙記者の私が訴えても全国には届きにくい。福島は忘れられるのか、という危機感は強いですね。

朝日新聞デジタル「(耕論)苦悩する地方メディア 渡辺哲也さん、比嘉俊次さん」より。2013/6/20)

福島県に本社を置く地元紙には、この記者が所属する「福島民友新聞」のほか、「福島民報新聞」の2社が代表的だ。

「福島民報」のある日の論説では、福島第一原発の事故での被曝が「遺伝に影響する」と懸念する県民が多いことについて、「県の調査で医学的に次世代以降に影響する可能性は低いとされていても、不安を抱えたままの人が依然いる」との現状認識を示し、次のように提言している。

被ばく二世、二世の子どもを招いて語り部をお願いしてはどうか。広島、長崎で悩みや不安を乗り越えて出産、子育てをした人らから話を聴く機会を設ける。若者の不安を解消し希望を与える貴重な教えとなるに違いない。

(福島民報「【被ばく遺伝】不安解消へ啓発推進を(6月17日)」より。 2013/06/17 09:14)

また、「あぶくま抄」というコラムでは、南相馬市での経営者同士の会合で、原発事故の賠償金をめぐる激しい言葉の応酬について触れられたあと、次のように結んだ。

被災地に人はまだ戻らず、将来は見通せない。しかし賠償金に慣らされてしまったら、経営者として大事な芯を失うだろう。原発事故を言い訳にしない努力をしてこそ、地域に生きてきた会社としての誇りも取り戻せるはずだ。

(福島民報「あぶくま抄(6月12日)」より。 2013/06/12 08:30)

一方で、「福島民友」の社説は、6月15日の大熊町の渡辺利綱町長の議会答弁(福島第1原発事故で避難している町民の帰還について一部区域の帰還断念の可能性に初めて言及)を取り上げ、次のように論じた。

震災と原発事故から2年3カ月が経過し、被災地の首長から一部の区域に関してであっても帰還断念の可能性について言及されたことを、国や県は重い事実として受け止めるべきだ。

(福島民友「大熊町長の議会答弁/大きな問題提起と捉えたい(6月15日付)」より。 2013/6/15)

時にはこうした地元メディアのホームページに自らアクセスし、福島の声に耳を傾けてはどうか。その土地で暮らす人にしかわからない気づきや思いがあるはずだ。

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