昨年9/5、福島県楢葉町の避難指示が解除され、楢葉町は町民の帰還と復興に向けて動き出しました。楢葉町は未来に向かって進んでいけるのでしょうか?
1/13〜14の2日間、原発のない社会をめざす自治体議員連盟「グリーンテーブル」の活動の一環として、福島県楢葉町といわき市を視察しました。
本記事は、1/13の楢葉町視察のご報告です。
楢葉町役場の入口でいきなり目を引いた「いま、ここで生きている展」のポスター。
「この国は、すぐ忘れる」...。
あまりにも重いキャッチコピーです。
東京においては、3/5〜6にJR上野駅で展示されるそうです。
まず町役場において、楢葉町政策広報室の説明をお伺いしました。
避難指示解除を受けて、楢葉町では3つの重点施策「安心できる生活環境の回復」「生活再建支援策の充実」「住み良い魅力あるまちづくり」を掲げています。
平成29年春に全町民が帰町する目標とし、それをめざして、除染や健康管理はもちろん、飲料水の安全確保や住宅の再建、商業の再活性化や学校・病院の再開に取り組んでいくとのことです。
以下は、役場の説明時の資料です。(メモ書きがあるのはご容赦くださいm(_ _)m)
私からは、原発事故対応の前線基地となっているサッカーのナショナルトレーニングセンター・Jヴィレッジを「本当に再生できるのか?」と質問したのですが、説明としては「Jヴィレッジは楢葉町が東電にお貸ししている形になっているので、2019年までに原状復帰してお返しいただくことになっている」とのことでした。
...原状復帰て...。
賃貸物件ってわけですか^^;
まあ、どうなるかはわかりませんが、そういうことになっていると理解するしかないでしょう。
「仕事」「学校」「買い物」がなければ、町民は帰ってこない
避難指示解除については楢葉町民の間で賛否両論あるようですが、いずれにせよ、それだけで町民が返ってくるものではないことは明らかです。
楢葉町内で「生活」ができなければ、帰町することは困難です。
楢葉町の全町民数は、平成27年11月末時点で7,365人。
そのうち、1/4時点で帰町している人数は421人。全体の5.7%にすぎません。
ここから、平成29年春の「全町民帰町」にどうやって持っていくか。
様々な話を総合すると、帰町の鍵となるのは「仕事」「学校」「買い物」の3つがあることではないかと感じました。
「買い物難民」は被災地に限らず全国的な問題ですが、近所で買い物ができないと、生活するにあたって大きな困難を生じます。
楢葉町内を見る限り、営業している店舗はほとんどないように見受けられました。
コンビニは営業していて、工事関係者や除染関係者で賑わっているようでしたが。。。
楢葉町役場の敷地内にある仮設商店街「ここなら商店街」です。
震災被災地ではおなじみともいえる仮設商店街ですが、津波の被害が比較的少ない楢葉町においてこのような仮設商店街が必要だということは、通常の店舗の営業ができる環境にはまだないということを示していると思われます。
楢葉町役場を後にした視察団は、その後、視察団メンバーである薮原太郎・武蔵野市議のご親戚のお宅を訪ねました。
楢葉町民のご親戚がいたという偶然に驚きました。
津波による被災直後の写真に、このお宅が写っていました。
避難指示が解除されたとはいえ、元の家に帰るかどうかは、本当に住民それぞれの考え方になります。
ただ、広い農地と広い家をお持ちだったような方々にとって仮設住宅の暮らしは辛く、自宅に帰りたいと考える方も多いようです。
「夜は仮設に戻ってるけどね。このへんにいま、誰もいないもの。やっぱり不安。あと、買い物できるところがないからね」
「仕事」についても、工業団地の復旧が進められていますが、現在3分の1程度の状態だとのことです。
「ほら、あそこに見えるパーマ屋。あそこももう戻らないことに決めたからね。自営業は厳しいよ」
水は1時間に1回検査。安全。...そうは言っても、心理的に...。
生活していくにあたって、いうまでもなく水の安全は必要不可欠です。
楢葉町役場の説明では、水道水は1時間に1回チェックし、1ベクレル以下であることを常時確認しているそうです。
双葉地方水道企業団ではバスツアーなども実施し、水道の安全をアピールしているとのこと。
ただ、薮原議員のご親戚によると、
「水は検査してもらってるけど、飲まない人が多いね。やっぱり心理的に」
だそうです。
そりゃそうですよね。。。
グリーンテーブル代表の山田実・前滋賀県議によると、「琵琶湖の水がすべて入れ替わるには、270年かかるんだよ」だそうです。
琵琶湖の水は飲料水としても使われていますが、もし近隣の美浜原発、あるいは現在再稼働の手続きが進んでいる高浜原発で福島第一クラスの事故が起こった場合には、琵琶湖の汚染が非常に懸念されるわけですね。
影響を受ける住民の数は、甚大です。
指定廃棄物の最終処分場受け入れ。どうなる楢葉町
楢葉町の復興を考える上で、放射能を含む「指定廃棄物」をどうするのかは、避けて通れない問題です。
除染を行った地域ではおなじみとなった「黒い袋」フレコンバッグの山。
楢葉町では、津波がかぶったエリア一帯にフレコンバッグが積み重ねられています。
津波が来たところには家を建てることはできないので、そこが仮置き場になるのは避けられないですね...。
フェンスで仕切られ、人の接近を拒絶しています。
少なくとも「生活」のイメージとは程遠い光景です。
さて、復興をめざす楢葉町ですが、その楢葉町と富岡町が昨年12月、放射性廃棄物を含む「指定廃棄物」の最終処分場受け入れに同意したとのことです。
富岡町にある「フクシマエコテッククリーンセンター」が国有化され最終処分場となり、楢葉町では指定廃棄物を2年くらい置いて減量化を行い、それを富岡町に持っていくのだそうです。
内堀雅雄・福島県知事は「両町にとって苦渋の決断だが、福島県の環境回復のために不可欠な施設」と述べたそうです。
それはそのとおりでしょう。
しかし、だからといって、これから復興をめざそうとしている楢葉町の住民が「はいそうですか」と言えるはずがないわけです。
13日の夜にいわき市に戻ったところ、いわき市に避難している楢葉町民と偶然出会い、住民が作っているニュースレターをいただきました。
「住民の理解も得ず、マスコミを通じてしか伝わってこない『苦渋の決断』とは一体何なのでしょう。なぜ町民と向き合って話せなかったのでしょう。ある時突然の『苦渋の決断』では、まちの復興や住民の帰還などは望めません。」
これまた、そのとおりだと思います。。。
以前もこのブログで「原発と放射能は家族同士、地域の仲間同士の分断をもたらす」と書いたことがありますが、またもそのようなことが起こっています。
あまり私個人の予断を書きすぎないよう注意し、できるだけ「楢葉町のいま」をわかっていただけるよう書いたつもりです。
様々な見解はあるでしょう。
しかし、「原発健忘症」になることだけはいけません。
私たちには、考え続け、解を探し続ける責任があるはずです。
(2015年1月15日「中妻じょうた公式ブログ」より転載)