事故から3年 福島第一原発「全電源喪失」の現場で"あの瞬間"を想像する

3月6日、筆者ら「ヤフーニュース個人」のオーサーら10人は福島第一原発の内部を取材した。
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写真の画像は福島第一原発の1号機の中央制御室で撮影したものだ。

3月6日、筆者ら「ヤフーニュース個人」のオーサーら10人は福島第一原発の内部を取材した。

■東電や政府などの関係者、新聞やテレビなどのマスコミ以外に、インターネットのポータルサイトが「取材」として原発内部への立ち入りを認められたのは初めてのことだった。

東電としては「マスコミだけでなく、いろいろな人たちに現場の状況を見てもらって情報発信をしてもらいたい」として、現場の公開を少しずつ広げて行きたいという。

毎日400トンもの汚染水の処理。廃炉に向けた作業。燃料プールに膨大にある危険な使用済み核燃料の安全な場所への移送。

同時並行で難しい作業を続けている福島第一原発。

通称、「フクイチ」とも「F1(エフワン)」とも呼ばれる場所の心臓部がこの中央制御室だ。

■3年前の「3・11」。

ここで何があったのか。

メルトダウンを起こすかどうか。時間との戦い。

原発で働く人間たちが悪戦苦闘したメインの舞台になったのがこの中央制御室だ。

1号機の中央制御室と2号機の中央制御室はつながっていて大きな部屋になっている。

大地震発生当時、14人の作業員がいたという。

そこで何が起きたのかを振り返り、実際に想像してみることが大切だ。

実際に足を踏み入れてみると、制御盤と呼ばれる計器類は電源が入ってなく、「停止」などの紙が貼られているところが目立つ。

また、床や机、イスなどはビニールシートに覆われていて、当時の様子をうかがい知ることは難しい。

■あの日、この場所で「全電源喪失」。つまり「SBO=ステーション・ブラック・アウト」という恐るべき事態が発生した。

突然、電源がなくなり、真っ暗になった中央制御室。

原発に外から電気を供給するための送電線の鉄塔が地震の土砂崩れで倒壊したことが停電につながった。

電力を作り出す発電所は、実は外からの電気がないと機能しないのだ、ということを私は事故の後で知った。

しかも、原子炉建屋など、核燃料の設置場所に近い建物や設備は大きな地震にも耐えうるように設計されなければならないが、送電線の鉄塔などには国もあまり強い耐震性を求めて来なかった。

ところが実際には強い揺れで、鉄塔が倒れるだけで原発全体に深刻な影響を与えることを私たちは事故で知った。

電気がなくなると核燃料を冷やすことができなくなる。

核燃料を冷やせないと、核燃料がむき出しになって溶けていく。

メルダウンという最悪の事態を想定しなければならない。

これを防ぐための1つの手段として、「非常用のディーゼル発電機」が原発には用意されている。

■外部からの電源が途絶えたら働くはずの「非常用のディーゼル発電機」も機能しなかった。

ディーゼル発電機が置いてあった場所は地下室で、津波による浸水で使えなかったという。

高い位置に置いていれば今日まで続く様々な問題は起きずに済んだはず。

なんという設計思想の甘さだろうか。

あるいは、発電所内においてあった消防車も高台に置いていなかったために大半が津波でやられてしまった。

あるいは、ホースのつなぎのミスで効果的に原子炉を冷やせなかった。

その他にもいろいろなミスや想定外の出来事が重なって、原子炉を冷やすことができず、メルトダウン、メルトスルー、水素爆発という事態へとまっしぐらに進んでしまった。

■中央制御室は、暗闇の中で懐中電灯を手にメルトダウンを防ごうと、運転員たちが命がけで働いた場所だ。

目を閉じて想像すると、家族やいろいろな人たちのことを考えながら、被爆や爆発の恐怖と戦った男たちの姿が思いうかぶ。

今回の中央制御室などの公開は、東京電力がヤフー側に持ちかけた情報公開戦略の一環だった。東京電力は2月末の段階ですでにテレビニュースや新聞には公開していたが、それに続いてインターネットのポータルサイトであるヤフーに公開した、ということになる。

この日、私たち「ヤフーニュースグループ」と入れ替わりにTBSの「報道特集」の金平茂紀キャスターや同局の「サンデーモーニング」の関口宏キャスターらが私たちと入れ替わりで福島第一原発の中に入っていった。テレビでも各番組は「3・11」3周年の特番や特集に向けてこの場所での取材が目白押しだ。

■原子力発電所の安全性に国家機関としての責任を負う原子力安全委員会の「安全設計審査指針」には、「長期間にわたる電源喪失は考慮する必要はない」と書かれていた。

短期間のうちに「送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できる」からだとする。

ところが実際には「長期間にわたる電源喪失」が福島第一原発で起きてしまった。

送電線の復旧も非常用電源説の修復も期待できなかった。

そのことのツケが3年前、この場所にいた運転員が命を覚悟するほどの事態の背景になり、また水素爆発の背景になった。

果たして、今、同じ規模の震災が起きても、全国の原発は大丈夫になったのか。不測の事態に耐えうる仕組みや理念になったのか。

あらためて、事故後3年経った、その現場に立ってみて、そして、最近の国民の議論を振り返ってみて慄を覚えた。

■「原発の事故はなぜ起きてしまったのか」「二度と起さないためには何をすれば良いのか」。

国民の多くはもう覚えていないのではないか。

原発の問題が話題になることは少なくなった。

原発をこのまま日本のどこかで使い続けるのであれば、こうした問題が結局、解決されたのかを厳しく見守る必要がある。

それには、その後、どうなったのか、という報道が不可欠だ。

テレビも新聞も雑誌もネットも、3・11後の原発の規制でどんな変化があったのかを追及すべきだ。

たとえば送電線の鉄塔は?

たとえば非常用のディーゼル発電機は?

たとえば消防車は?

想像力を働かせて、細かい議論の先を見ていくしかない。

(2014年3月7日「Yahoo!個人」より転載)