【3.11】「家の前に除染廃棄物」 原発事故の被災地を案内する「福島エクスカーション」とは

福島県楢葉町。震災から3年近くが経過し、人々の心から震災が忘却されようとしているなか、福島大学の学生が福島県楢葉町の自宅に県外からの視察会参加者12名を案内した。地元の学生と訪ねた楢葉町の「現在」は−−。
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HuffPost Japan

「とうとう私の家にも泥棒が入りまして、トラクターが盗まれたんですよ」

福島県楢葉町。防犯のため、警察の臨時庁舎となった道の駅「ならは」を見ながら説明するのは、楢葉町出身の福島大学の男子学生。福島第一原子力発電所事故の被災地・福島と、県外の人々の関わり方を探求する「福島学構築プロジェクト」で、日帰り視察会(エクスカーション)の案内役を務めている。

このプロジェクトは、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』で知られる社会学者で、福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの特任研究員、開沼博さんがプロジェクトリーダーを務めるもの。「現状調査を踏まえ、地理的条件や被災程度に応じた産業振興、汚染地域での農業再生などのモデルを作り、未来へとつなげる道筋を描くとともに、シンポジウムや他の研究機関やマスメディアとの連携をはかり国内外に研究成果を発信していく」ことを目的に活動している。エクスカーションもそのひとつに位置づけられる。

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福島エクスカーションで現地を視察する参加者

震災から3年が経過し、人々の心から震災が忘却されようとしているなか、「もう一度より多くの人々に福島の「いま」を見てもらいたい。福島との関わり方を検討してもらう機会を提供したい」。案内役を務める学生は2月22日に行われたエクスカーションで、国道6号線沿いにある福島県楢葉町の自宅に県外からの視察会参加者12名を案内した。地元の学生と訪ねた楢葉町の「現在」は−−。

■「帰れない自宅」からトラクターや母のアクセサリーが盗まれる

「震災のあと、楢葉町では盗難が多発しました。原発事故の被災地域といっても、今、私たちが乗ったバスが何の制限もなくここまでこれたように、昼間は誰でも出入りできるんです。

さすがに国道は車通りもあるので、泥棒が入りにくいと言われていたのですが、それでも国道のそばにある私の家もやられました。

トラクターだけでなく、家の中にも入られて、ツボや母親のアクセサリーなどが盗まれました。父の話ですと、家で生活した痕跡もあったようでした。

幸いなことに、トラクターは見つかりました。盗んだのは同じ楢葉町の人。知らない人でした」

楢葉町は福島第一原発から12km〜20km南に位置しており、2012年8月10日に警戒区域が解除され、避難指示解除準備区域となった。住民は町中を自由に通行することができるようになったものの、自宅に宿泊することは禁じられたままだ。そのため留守になった家を狙った盗難が多発。2012年10月、道の駅「ならは」に双葉警察署の臨時庁舎が設けられ、町の見回りが強化された。

案内役の学生は家の前に置かれた粗大ゴミを指さし、説明を続ける。楢葉町では2014年2月10日にようやく、粗大ごみの回収が再開された。それまで捨てることができなかったガラスや中身がほったらかしになっていた冷蔵庫なども処分できるようになった。

「家具は家の前においておけば引き取りに来てくれます。しかし、女性や高齢者が家具などを外に出すのは大変ですよね」

自分で運べない場合には、東京電力の社員が加勢に来る。東京電力が行う福島復興推進活動の一環だ。東京電力では、毎日百数十名ほどの社員を日本各地から福島に集め、被災者の家の片付けや、仮設住宅の雪かき、墓地の草取りなど、福島の復興に向けた様々な取り組みを行っている。

■東電福島復興本社の石崎社長「復興推進活動で社員が変わる」

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石崎芳行代表「復興推進活動は各自治体の方と一緒にやっているが、自治体によっては、東京電力に活動をやらせていると住民のみなさんからお叱りを受けることもあるため、公開しないよう言われているものもある」

この日のエクスカーションでは、楢葉町と広野町にまたがり、原発事故収束の前線基地となっている「Jヴィレッジ」も訪れた。東京電力福島復興本社の石崎芳行代表が、同社が取り組んでいる復興推進活動について説明を行った。

「東京電力の全社員に、福島の復興推進活動をやらせようとしています。社員が4万人ぐらいいますが、この活動の経験者は今はまだ1万人ちょっとです。

事故はひとりひとりの社員のせいではないかもしれないが、なぜ自分たちが福島のためにやらなければらないかを、社員とのミーティングで直接語りかけます。東京電力の社員であれば、事故を起こした責任を、みんなで果たすんだという思いで来いと話している。

本音では、来るのは嫌だなと思っている社員もいると思う。しかし、福島の現状を見ると目つきが変わる。

例えば、一時帰宅された方の家に行って、2〜3年間放置されてぐちゃぐちゃになった家を掃除する。朝には『お前らのせいでこんなに汚くなった』と怒られても、掃除が終わったときには『朝あんなことを言って悪かったね。ありがとうね』と感謝される。その言葉が社員にものすごく効くんですね。

現地を見せて、活動させて、そういう体験を全員にしてもらいたいと思う」

東京電力は住民の帰還に先んじて、2016年には富岡町に福島復興本社の機能を移す計画を立てているという。福島県民の早期帰還に向け、まずは自社が先駆けとなると、石崎代表は話す。

■住民の帰還を妨げる除染廃棄物

しかし、帰還には後ろ向きになる住民は多いという。その理由の一つが除染廃棄物の中間貯蔵施設だ。

「玄関を開けると、除染廃棄物の仮置き場が目の前に見えるんですよね」

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案内役の学生は、自宅前の田んぼの中にできた、ビニールシートの山を見て苦笑いする。楢葉町のいたるところに、除染作業によって出た大量のゴミが詰められた黒い大きな袋が山積みになっている。中間貯蔵施設の場所が決まるまでの、仮の除染ゴミ置き場だ。

政府は福島県内の3カ所に、除染廃棄物の中間貯蔵施設を作る方針で、楢葉町も候補地の一つとなっている。太平洋沿いの天神岬に登って町を見下ろすと、中間貯蔵施設の候補地が視界に入る。広大な敷地に黒いゴミ袋が山積しているが、周囲には民家もある。果たして、中間貯蔵施設を楢葉町の人々を受け入れることができるのだろうか。課題は少なくない。

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■「他人事」ではなく、「自分事」として福島の復興を考える

これから福島をどのように復興させるのか。震災から時が経つにつれて人々の関心が薄れ、復興予算や支援が先細りするのではと、現地の人々の不安は大きい。

プロジェクトのリーダーである福島大学特任研究員、開沼博さんは、原発事故の風化を食い止め、被災地と県外の関わりを生み出すきっかけとして、「福島エクスカーション」の取り組みを始めたと話す。

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これまでは学者・研究者が集う学会や行政関係者らが勝手に行ってきた視察会(エクスカーション)のプログラム化を通じて、人を呼びこむ仕組みをつくることができるか、ひとつの実験だ。視察に研究者や地元住民が案内役に立つことで、参加者は現地の実態を単純に見るだけではなく、その背景にある文脈を知ることができる。

エクスカーションの参加者は、視察の後に行われるワークショップで自身が所属する企業や組織が、どのように福島の復興に参加できるかを考える。見たことや感じたこと、それらから考えうる課題を、参加者同士が素直に語り合うのだ。

「私がいる岩手では、前向きに復興を進めている感じがするのだけれど、福島は震災当時のままだ」

「こんな状況が残っているとは知らなかった。まずは知らせるところからではないか。組合でツアーを組もうかな」

「廃炉研究を手がかりにした産業を呼べないか」

福島の課題を“他人事(ひとごと)”のままで終わらせることなく、“自分事(じぶんごと)”として向き合ってもらうにはどうしたらよいか。ワークショップではNGワードに「政府が悪い」「マスコミが悪い」「みんなで話しあいましょう」の3つを設定。なるべく具体的な解決方法を考えてもらうような工夫も凝らす。

県外の参加者からの意見を、開沼さんはどのように感じているのか。

「地元からは出てこない発想もでてくるのは貴重ことだと思います。普段、遠くでそれぞれの立場・組織の中で働いている方が、今日だけであっても、福島の課題の当事者になって新しい価値を生み出そうとしているということですから。

震災から3年。『絆』も『つながろうニッポン』も残念ながら賞味期限切れと言っていいでしょう。毎年3月11日になったら、東日本大震災を思い起こす情報が増える。それは今後も重要でしょうが、神妙な顔をして『復興が遅れている』と嘆いてみる、そして来年の3月まで放っておく、のループでは、そこに存在する問題は何も解決しない。『だったら自分は何をするのか』というところまで階段をもう一段上がって頂きたい。そのツールを作るべき時期になっています。

震災から2年以上たってから立ち上がった『福島学構築プロジェクト』はそのためのツールを揃えるプロジェクトで、エクスカーション以外にもいくつかの取り組みをしています。共通するのは、「福島にある課題」を「学ぶ価値がある課題」と見ていること。

例えば、人口が減っている、高齢化が進んでいて手が回らない、既存の産業にテコ入れしないといけない。地域の合意形成が困難。これってどこにでもある問題であり、福島では短期間に凝縮して出てきている問題。

実は少しずつそれを解決するための動きも見えてきてもいる。あるいはそこに関わることで他では得られない経験・ノウハウを身に付けることができる。これまでのような短距離型の被災地支援策ではなく、息の長い長距離走型の策を打っていく必要があるでしょう」