「いまでも何かあったら、福島第一原発は再び危機的な状況になりえると思うか?」
こんな質問をされたら、あなたはどう答えるだろうか。事故から5年3カ月。廃炉作業が続く福島第一原発構内では、放射線量が下がり防護服に着替える必要のない作業エリアも増えた。しかし、事故当時の「どうなるかわからない」という情報を持ったままの人も、多いのではないか。固定化されたイメージが、風評被害を招く発言につながるかもしれない――。
そんな懸念から生まれた書籍が、『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版)だ。難解で膨大な情報を整理し、福島第一原子力発電所の廃炉をめぐる現場の様子や、それを取り巻く地域環境などを理解しやすくすることがねらいだという。
著者の一人で、震災前から原発をめぐる社会構造の研究を続けている福島大客員研究員の開沼博氏(32)は、現状を理解することで、福島の「魔術的な語り」が減るのではないかと指摘する。私たちが知らず知らずのうちに語ってしまう「魔術」とは、一体、どういうものなのか。6月上旬、開沼氏に話を聞いた。
開沼博さん(2016年6月9日 東京都内で撮影)
「百科全書は魔術語りに対抗して生まれた」
――“図鑑”と聞くと、子供向けの事典が思い浮かびますが、『福島第一原発廃炉図鑑』は400ページにも及んでいますね。
この本をつくるにあたり、まず浮かんだのは「図鑑」というタイトルでした。単に、絵や図表をたくさん盛り込みたいという理由からではなく、18世紀後半につくられた『エンサイクロペディア(百科全書)』の思想が頭にあったからです。
当時の社会は、産業革命や近代的な科学が急速に発達する一方で、旧来の既得権益・慣習や教会など宗教的権力による支配が強い状況にありました。それは「魔術」が支配する社会であったと言っても良い。どういうことかというと、天災が起きたり伝染病が流行ったりすると、「神の怒りによるたたりだ」とか「呪術師がこの現象を引き起こした」などの“魔術的ワード”が語られ、「ひたすら祈る」「生け贄を捧げる」「魔女狩りをする」などが対処方法として行われていました。
これに対して、『百科全書』をつくった人たちは、学術の力をもって魔術の力を「除霊」しようとした。社会のいたるところに遍在するようになっていた膨大で高度な科学的知見は、タコツボ的にバラバラに専門家の中でのみ流通していたので、普通の人には届かなかった。しかし、これを1カ所に集めて編集し、可能な限り誰でも手に取り理解できるようにした。そうすることで教会や慣習に都合のいい旧来型のやり方でことが進む実状を変えようとした。これが『百科全書』のコンセプトであり、本格的な近代化やいまは普通になっている「科学を前提とした社会」の構築にとって欠かせぬ事件だったわけです。
「科学を前提とした社会」とは、先の例に沿って分かりやすく言えば、「このウイルスが、こういう条件のもとで感染した」とか、「山火事が広がったのは、この部分の木を切っていなかったからだ」と科学的な解決をする社会のあり方です。これをもって、“魔術的な語り”をする人に、「今わかってきている科学的合理性に基づけばこう言える(あんたの言っていることはデタラメ)」と反論しようとし、また、対抗できる人を増やそうとしたんですね。
しかし、現代においても「魔術」は完全になくなったわけではない。オウム事件もスピリチュアルブームもその現れです。そして、福島第一原発の廃炉をめぐっても、「魔術的な語り」が溢れています。「がれきが散乱するぐちゃぐちゃの原子炉建屋」「稼働していない多核種除去設備(ALPS)」などの固定されたイメージのまま、科学的な根拠を抜きに自分の意見(オピニオン)だけを述べてみたり。さらには、「巨大な力が裏で働いて、情報を隠蔽している」「◯年後には人がバタバタ死に始める」といった、要は「あそこには魔女がいる」「呪いがある」と言っているのと同構造の魔術語りが溢れます。
魔術語りの背景には不安と無知がある。しかし、そんなデタラメが、被災地はもちろん広い範囲で、風評被害をはじめ、様々なかたちで弊害になっています。福島における「脱魔術化」を進めること。そして、廃炉というテーマで点在する情報を体系化し、知識の枠組みを示すこと。それが、この本をつくった理由です。
開沼博編「福島第一原発廃炉図鑑」(太田出版)の表紙。執筆には開沼氏のほか、マンガ「いちえふ ~福島第一原子力発電所案内記~」(講談社)の筆者である竜田一人氏や、復興活動に取り組む元東電社員の吉川彰浩氏らが当たった。
「いまでも何かあったら、福島第一原発は再び危機的な状況になりえると思うか?」に、どう答える?
――廃炉に関する状況は、東京電力や政府のほか、新聞やテレビでも頻繁に報じられています。しかし、あまりにも情報が多くて、ついていけない。だから、「もういいや」と諦めてしまう人も多いのではないでしょうか。
そうですね。3・11まわりを追っていると、「情報が隠蔽されている」「情報公開が進んでいない」という語りをよく聞きますが、起こっている事態の背景にあるのが全く逆のことであるのに気づいていない人も多いでしょう。
事態を混乱させているのは「情報不足」ではなく、明らかに「情報過多」です。福島第一原発やその周辺地域に関する情報を少しでも調べれば、ネットで公開されているだけでも膨大な書類、データが存在していることに気づきます。放射線の状況、働いている人の労働環境、周辺地域がいかに急速に変化し続けているのか。
ただ、私たちの多くはそんなことは知らない。調べたこともない。それなのに「情報が足りない」と言う。これは私たち「受け手/オーディエンス」が情報の洪水の中で溺れていることを示しています。溺れて必死にもがきながら「水をくれ」と叫んでいる。一方、情報の「送り手」たる東電や省庁側は「現状、知りうる情報は細かく全部ネットで公開しています」と言う。これでもかというぐらいに水を放出しているわけです。
一言で言えば、情報がいくらあるからと言って、それが知識として伝わるかは別だということです。見る側に伝わっていないなら、伝えたことにならないですよね。それらの情報を「送り手」と「受け手」の間にたって、第三者として整理することも、この本でやりたかったことです。
例えば、「いまでも何かあったら、福島第一原発は再び危機的な状況になりえると思うか?」という質問に、どんな情報をつかって、どう科学的に答えられるかを考えてみましょう。『福島第一原発廃炉図鑑』では、「廃炉を知るための15の数字」を挙げ、それぞれの数字を知ることで何がわかるかを紹介していますが、このなかの、「福島第一原発1〜3号器の原子炉を冷却するために、1時間あたり何㎥ほどの水が入れられているか」という数字がヒントになります。
東電の公式サイトでは、1時間ごとのデータが公開されているのですが、注入されていた水の量は、2016年3月31日の時点では1〜3号機それぞれ1時間あたり5㎥未満でした。これはだいたい、家庭用のお風呂2杯半ぐらいの量です。事故当時は、燃料を冷やすために消防車やら特殊なクレーンやらを使いながら建屋に大量に放水していました。それが、事故から5年経ち、解けてデブリになった燃料の温度が低くなったことで、注水量も少なくなったんですね。
その数字から、「格納容器や、燃料プールの温度はどれぐらいになっているのか」→「もしまた、地震や津波などで冷却用の電源が止まり、冷却用の水が蒸発するなどして燃料がむき出しになるまでどのくらいの期間がかかるのか」などを考える。そうすると、仮に、大きなトラブルで水の注入が不能になっても、使用済み燃料プールでは、「燃料が露出して大変だ」となるまで3カ月ほどかかると計算できる。そのため燃料冷却における現在の問題は、「また地震や津波が来たらすぐに爆発するんじゃないか」ということではないと、考えられるわけです。ただそれは、「だから問題がない」ということでもない。もっと考えるべき新たな問題にそろそろ向き合おうと私たちが認識すべきだということです。
「福島第一原発廃炉図鑑」(太田出版)より。1号機原子炉の様子を示したページには、どの部分から水が注入されているかが描かれ、その量も示されている。
「これは誰による視点で書かれたニュースか」を見る
――数字と一口に言っても、捉え方が人によって異なりますね。
そうですね。例えば5月に、汚染された地下水が原子炉建屋に流れ込むのを防ぐ氷の壁「凍土遮水壁」の、1割が凍っていないことが報じられました。このニュースを見て、「やっぱり凍土壁はダメなんだ」と全てを否定する人もいれば、「以前、建屋の海側の地下にある汚染水が溜まっているトンネルのような“トレンチ”部分を凍らせようとしたけど、最後に一部凍らないところができてしまった問題と似ているな。あの時と同様に、凍らない凍土壁の1割の部分というのは、水の流れる勢いが激しい場所なのではないか」などと捉える人もいます。前者と後者の違いは、知識がない状態で数字に躍らされるのか、知識をもって数字を自ら解釈していく力をもっているのかということです。
何か現象が起こった時に、その数字から何を読み取り、どう判断するのか。それぞれの立場からの意見をもとに、どのように合意形成がなされていくのか。これこそが、これからの廃炉を進める鍵となります。廃炉をめぐる人や組織は、複雑に絡み合っていますので、それぞれがどのような分野を受け持ち、どのような考えから現象を捉えているかを見ると、報じられるニュースも理解しやすくなります。
そして、社会がそれらの情報をどう判断し社会的合意を進めていけるかという点も、廃炉の課題の一つです。直近では「溜まり続ける汚染水タンクの中の水をどうするか」という問題があります。タンクをこのまま増やし続けることは廃炉作業のみならず、地域で暮らす住民にとっても大きなリスクです。
一方、科学的に見ると、浄化済みのタンクの中の水は希釈して海洋に放出するなどしても問題はないものの、なぜそうなのか、社会で知識が共有されていない中で強引にプロセスを進めれば、多かれ少なかれ風評被害が再燃する。これもリスクです。どちらを選んでもいいですが、どちらかを選ぶには、この構図を多くの人が理解している必要がある。そうしてこそ判断、社会的合意形成が進むわけですが、その前提が欠けている。
合意できるのかできないのか、その判断基準となる知識を広めることも、『福島第一原発廃炉図鑑』の役割のひとつです。この本はもともと、2015年10月に立ち上げた「福島第一原発廃炉独立調査研究プロジェクト(略称:廃炉ラボ)」が、政府・行政、事業者などから独立した立場から、福島第一原発の情報を届けることを目的に調査・研究を進めてきたものを、1回目の中間報告としてまとめたものです。事故から5年目という一瞬を輪切りにししましたが、福島第一原発はめまぐるしく変化しています。今後はクラウド・ファンディングなどで協力者を得て、記録映像を制作するなどして情報を発信し続けていく予定です。
廃炉ラボは6月22日、福島第一原発の状況を世界に発信するための本格的な調査を始めると発表。クラウドファンディングサイト「MotionGallery」などで資金を集め、民間・独立機関として活動する。出資金は500円から選択できる。
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【訂正】2016/7/24 21:04
当初の記事で、1〜3号機それぞれ1時間あたりの注水量を「5㎡未満」としていましたが、正しくは「5㎥未満」でした。
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