福島第一原子力発電所 構内視察備忘録(2014年6月)

福島原子力発電所事故は終わっていない。これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに世界中の人々は驚愕した。
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福島原子力発電所事故は終わっていない。これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに世界中の人々は驚愕した。世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。 (2012年7月5日、国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)報告書本編「はじめに」より)

2014年6月20日、福島第一原子力発電所の構内視察の機会に恵まれた。

所属する研究プロジェクトチームの視察が許可されたのだ。当時、民間の社会科学系研究チームの視察が許可されたことは今までになかったようで、貴重な機会に巡り合えたことに感謝したい。視察の直後のタイミングで上梓した拙著「災害復興法学」(慶應義塾大学出版会、2014年9月)では、その「おわりに」で、視察した事実に触れた上、「...このとき得た視察の成果は、別の機会で報告させていただきたい。」と記載した。その後、幸運にも所属する第一東京弁護士会や日本弁護士連合会の各機関誌に寄稿する機会を持ち、一応は約束を果たしてきたつもりであった。

それからさらに月日が流れ、東日本大震災から4年が経過した。今、改めて、現場を見たからこそ伝えられる声があるのではないかと思うに至った。以下は、日本弁護士連合会機関誌の2014年12月号の巻頭言に掲載した寄稿記事に微修正を加えたものであり、現在は、この記事を書いた時点とはだいぶ様相が異なる点もあるだろう。本稿は、あくまで、いち民間人が得た気付きを書き綴ったものに過ぎないが、少しでも臨場感を伝えられたらと願う。

福島第一廃炉推進カンパニー最高責任者・ICSの効果

視察の拠点は、楢葉町と広野町にまたがるサッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」だ。メインスタジアムやコートは資材置き場や仮設宿泊所に変わっていた。ここで、東日本大震災発生当時の福島第二原子力発電所所長で、現東京電力福島第一廃炉推進カンパニーの増田尚宏プレジデント・最高責任者より、現状のレクチャーを受ける。トップによる直接の説明には大変恐縮したが、明快で簡潔な語りが印象的だった。原子炉1号機から4号機の現状や、汚染水対策の現状について、これから克服すべき危機、不明なこと、技術的に可能なこと、まだできないこと等々を明確に区別して話していた。また、事故後に採用された「インシデント・コマンド・システム」(ICS)による指揮命令系統の明確化は、通常業務においても役立っているとのことであり、事故直後に見られた混乱を重い教訓として受け止めたうえで、改善策を講じている点も確認できた。

福島第一原子力発電所への入域と各施設の視察

構内の様子や各施設について印象的だったことを挙げていくことにする。

① 入退域管理施設   

福島第一原子力発電所のすぐ外側に2013年に建設された。これができるまでは20km離れた「Jヴィレッジ」で装備を整えていた。今回は、車上視察が条件だったため、装備は、マスク、手袋、足カバーのみであった。胸ポケットに積算線量計をセットし、入退域管理担当の方と「ご安全に」と挨拶を交わして視察車両に乗車した。

② 多核種除去設備・汚染水タンク群

汚染水処理の切り札とされる「多核種除去設備」(ALPS)が稼働している。これにより、トリチウムを除く62種類の放射性物質を除去可能だ。視察当時で約40万t中、9万tが処理されていた。ただ、トリチウムが残された水の最終処理方法は決まっていない。行き場のない汚染水や放射性物質除去後の水は、1000t級巨大タンクに貯蔵され、かつて「野鳥の森」とよばれた敷地内の森林跡地などに林立している。目下、新たな多核種除去設備が建設中であった。

③ 地下水バイパス揚水ポンプ

汚染水は、雨水を源とする地下水が原子炉建屋に流入することで発生する。そこで、地下水を元からくみ上げて、流れを変更させて放流するという、地下水バイパスの手法が用いられている。一部ではあるが地下水の建屋流入を抑制できる。

④ 原子炉建屋

1号機から4号機までの原子炉建屋は標高10mの台地にある。建屋に行くためには急な坂を下ることになる。その途中で津波の到達点を確認できる。津波で変形した設備が当時のまま残っている場所もある。水素爆発を起こした1号機は、建屋がカバーで覆われているが、今後はこれを撤去し、燃料棒の取り出しを目指す。2号機は、間一髪で水素爆発を免れているが、建屋内は、交代作業もできないほどの高線量である。3号機は、水素爆発で吹き飛んだ建屋上階のがれきを撤去した結果、ほかの建屋よりも背丈が小さくなっている。線量は高く、無人の巨大クレーンによりがれき撤去が進められている。4号機は、水素爆発を起こしているが、原子炉運転中ではなかった。現在は、使用済みの燃料棒取り出しのために建屋を覆う建築物が構築され、順次取り出しを行っている。建屋の中で通常の作業現場らしい作業が可能になっているのは4号機のみという趣旨の説明もあった。

⑤ 大型工事現場としての「いちえふ」

広大な敷地のあちこちが土木工事現場になっている。視察までは、テレビなどで頻繁に流れる凄惨な光景の建屋映像のイメージが強かった。しかし、稼働する無数の重機と懸命の作業を続ける作業員の方々、建設中の大型設備などは、「進捗」を感じるのに十分な光景だったと言える。

巨大津波の爪痕、最悪の中の奇跡

最もショックを受け、背筋が寒くなったのが、5号機と6号機の建屋の裏側にある海側の道路に入ったときだった。福島第一原子力発電所を津波が襲ったとき、標高13mにあった5号機と6号機は間一髪、全電源喪失を免れた。海側の岸壁をのぞいたとき、これが奇跡的な幸運にすぎなかったことを思い知らされた。津波により防潮堤はバラバラ。大量のテトラポットで隙間が埋められているだけだ。海側に設置された3つの巨大タンクは、アルミ缶を手で力任せにねじったような、ありえない形状のまま放置されている。これだけの力が福島第一原子力発電所を襲ったことには、戦慄せざるを得なかった。あと1mでも津波が高かったら5号機も6号機も全電源を失っていた可能性がある。

免震重要棟「緊急対策室」と福島第一原子力発電所所長との面談

構内で唯一車から降りたのが免震重要棟に入るときだった。入棟の際には汚染の有無について機械で全身をチェックする。ここでは、事故後3代目の所長となる小野明所長から、現在の課題と進捗状況について説明を受けた。現場トップによる淡々とした説明は、冷静に最善を尽くし、変化し続ける個々の現場を実感するに十分な臨場感があった。

その後、「緊急対策室」も見せていただいた。東京電力本社や福島第二原子力発電所などをつなぐビデオ会議設備がある、あの有名な場所である。当時の状況を担当者から聞くと、こちらも緊張してくる。

こうして、「いちえふ」構内の施設は、駆け足ながらもほぼ全て目にすることができた。なお、入域から退域までの1時間弱の積算線量メモリは、「0.01」、すなわち10マイクロシーベルトを示していた。胸部X線写真1回の5分の1程度ということのようだ。

リスクコミュニケーションの重要性、法律家が考えるべきこと

増田プレジデントや小野所長の説明を受け、「リスクコミュニケーション」の重要性に思いをいたした。リスクコミュニケーションとは、危機(リスク)に関する正確な情報を、ステークホルダー(住民、行政、民間企業、専門家等)と共有し、相互理解を促進したうえで、合意形成を目指す手法である。情報開示を徹底しつつ、冷静に課題と変化を発信し続けることが、今後の原子力政策や廃炉政策にとって最も必要なことだと考える。そうであれば、法律家が中立な立場で、組織の内外での関与を深めるこことで、相互理解や合意形成に資する橋渡し役ができるのではないだろうかと愚考した。未曽有の危機の現場を目の当たりにして、法律家としてできることがまだまだ残されていると強く感じた。