7回目の3・11を迎えて:フクシマにおける「抵抗」の精神の発掘の意義について考える

7回目の3・11を迎えて:フクシマにおける「抵抗」の精神の発掘の意義について考える
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進行する無関心化

もうすぐまた日がやってくる。

原発事故につらなる東日本大震災の周年の日であるが、筆者が住んでいる名古屋では、日というと、当日行なわれる名古屋ウィメンズマラソンのほうに注目が集まっている。

原発事故はいまだに収束したとはいえず、被災した人々(特に小児甲状腺がんを患っている、あるいはその可能性がある子どもたちやその家族)は苦しみの声さえ上げられない状況にある。

しかし被災地以外では、ここ名古屋を含めて、人々の無関心化が加速度的に進んでいる。

果たしてこれでよいのだろうか?

(筆者は凡庸な研究者であり、何も被災した人々のために、これといった骨折りをしてきたわけではないが、以下に恥じらいを感じつつも、大上段に構えたような筆致で論を進めることをお許しいただきたい)。

これまでにも日本では同様のことが繰り返されてきた。

広島・長崎の原爆問題しかり、沖縄の基地問題しかりである。

当該地域では、今もなお被害に苦しんでいる人々がたくさんいるにもかかわらず、それ以外の地域では、人々の無関心化が進んで久しい。

(特に沖縄の基地問題に至っては、無関心化どころか、傷口に塩を塗る態度さえ散見されるようになっている)。

上からの国民形成が一因

なぜ日本では、一部の国民が様々な問題で苦しんでいるのに、その他の国民はかくも鈍感でいられるのか?

(もっともこれは日本だけに限ったことでないのはいうまでもないが)。

誤解を恐れずに単純化すれば、日本の国民形成のあり方に、その一因があるのではなかろうか?

明治以降、日本ではもっぱら上から国民形成がなされてきた。

その際、国民(当時は臣民)は一つ屋根の下の天皇の赤子に擬せられてきた(いわゆる家族国家観である)。

おそらくその構造は今日でもあまり変わっていないといえるのではなかろうか。

赤子は自分のことさえままならないから、同じ屋根の下の兄弟姉妹の赤子が何らかの問題に巻き込まれたとしても、何が起こっているのか分からぬまま、結果的に鈍感でいるよりほかにない。

赤子に擬せられた日本国民も、それと同じように振舞ってきただけだと言えよう。

同じ国民の苦しみにさえ鈍感なのだから、ましていわんや同じ屋根の下にはないとされる外国人の苦しみなど存在しないも同然だろう。

(国際社会から人権侵害という批判が殺到していても、いまだに根本的に是正されることがない外国人技能実習制度の存在は、その証左だといえるだろう)。

日本に欠けてきたのは、下からの国民形成である。

下から国民形成がなされるに当たって、鍵になるのは「抵抗」である。

人々は圧政に対して「抵抗」に立ち上がる過程で、自由意志による契約に基づいて国家をつくり、国民になっていくのである(いわゆる社会契約説である)。

下から国民形成がなされていれば、たとえ圧政に苦しんでいるのが一部の国民であろうとも、その他の国民は鈍感でいることなく、ともに「抵抗」に立ち上がろうとするだろう。

それどころか、たとえ圧政に苦しんでいるのが外国人であったとしても、国民の多くは無関心を決め込むことなく、できる限り外国人の「抵抗」を支援しようとするだろう。

さもなければ、次は自分たちの頭上に、圧政が降りかかるような事態になりかねないと考えるからである。

下から国民形成がなされてきた西欧諸国に、そうした事例が今日もなお散見されるだろう。

日本国民には「抵抗」が今日もなお希薄である。

それ故に、日本国憲法施行から約年経った今日でも、下からの国民形成が不十分なままなのだろう。

フクシマにおける「抵抗」の精神の発掘

私事になるが、このたび年あまりの歳月をかけて『フクシマ・抵抗者たちの近現代史:平田良衛・岩本忠夫・半谷清寿・鈴木安蔵』(彩流社)を上梓した。

原発事故の被災地は、奇しくも近現代の日本ではまれな「抵抗」の精神が充溢したところでもある。

平田良衛・岩本忠夫・半谷清寿・鈴木安蔵の人は、いずれも一般には知られていないが、南相馬市小高区、双葉郡双葉町・富岡町にゆかりがあり、政治的立場は革新から保守まで幅広いものの、いずれも「抵抗」の生涯を送っている。

本書では、人の人物を通して、フクシマにおける「抵抗」の精神を発掘しただけでなく、もし彼らが今日まで存命だとしたら、原発事故に対して、どのような態度をとったかを、それぞれの思想的ロジックを踏まえて推測するというユニークな試みも行なっている。

筆者が本書を執筆したのは、原発事故の被災地の人々のためというよりは、私たち、すなわち筆者を含むそれ以外の地域の人々のためだと言える。

私たちが、フクシマにおける「抵抗」の精神からエンパワーメントされて、被災地の人々とともに「抵抗」に立ち上がるようになれば、私たちの頭上に、再び被曝などの被災が降りかかる事態にはならないだろう。

本書にご興味があれば、ご一読されたい。

人のプロフィールは以下の通りである。

社会運動家で農民運動に半生を捧げた平田良衛()。

反原発運動の草分け的存在から県議となり、最後は「転向」した岩本忠夫()。

実業家で郷土開拓に半生を捧げ、衆議院議員も務めた半谷清寿()。

日本国憲法の実質的な起草者として知られる鈴木安蔵()。