JR福知山線脱線事故10年 3つの成果、3つの葛藤、3つの課題

この10年にわたって被害者の人々と共に歩んできた支援者の立場から、いくつかの"成果"と"課題"と"葛藤"を書き残しておきたい。
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AMAGASAKI, JAPAN - APRIL 25: Rescue workers attempt to free trapped passengers from a crushed commuter train after it derailed and plowed into an apartment building on April 25, 2005 in Amagasaki, Hyogo prefecture, Japan. 49 people have so far been confirmed as dead. (Photo by Getty Images)
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■「節目」の持つ役割

JR西日本福知山線の尼崎市で起きた列車脱線事故から4月25日で10年目の節目を迎える。

たしかに10年は時間の流れの経過点に過ぎない。しかし、過去の足跡を辿り直し、未来の課題を見通すことで、現在の立ち位置を確認するにはちょうどよいタイミングでもある。

この10年にわたって被害者の人々と共に歩んできた支援者の立場から、いくつかの"成果"と"課題"と"葛藤"を書き残しておきたい。

それは、この月日の積み重ねが無意味でなかったことを確認するとともに、これからの見通しを明るく照らすことによって、少しでも被害者の抱える苦悩を和らげる一助になれば、という思いからである。

■「責任」とは何か

事故を発生させたJR西日本の「責任」は明らかであったが、その責任がどのように果たされるべきかについては、10年経過した今もなお混沌としている。

刑事責任について、脱線したカーブの線形変更をした当時の安全管理責任者であった山崎正夫元社長が起訴され、また、歴代三社長(井手正敬氏、南谷昌二郎氏、垣内剛氏)は検察審査会の起訴相当議決を経て起訴された。判決はいずれも無罪。山崎氏の無罪判決は確定している。これだけの大事故で、多くの人々が死傷したのに、誰の刑事責任も問われないというのは、現代の"社会のあり方"として不合理ではないか。感情論を抜きにした遺族たちの正論が、司法関係者に胸に突き刺さる[第1の葛藤]。

刑事責任とは、過ちに対する応報という機能ばかりが強調される。しかし、それだけではない。罰の存在によって行為者の暴走を防ぎ、社会システムを正常化するための社会装置でもある。現代では、社会活動の多くは「法人」(会社や団体などの組織)が担っている。ところが、日本では、あくまで処罰対象は個人であり、法人は原則として対象外だ。JR西日本のような大組織になると、複雑に分業しているので一個人の果たす役割は小さく、責任を問うことは難しい。原発事故を起こした東京電力では、役職員に予見可能性がなかったということで今のところ誰の刑事責任も問われていない。大組織である東京電力とJR西日本を重ねてみると、その問題性がくっきりと浮かび上がる。

現在、JRの遺族らが中心となって組織罰のあり方を模索する動きがある。その動機は再発を防ぎたいという安全を希求する純粋な思いにある。これこそ事故11年目以降の重要な課題である[第1の課題]。

もう一つは民事責任である。すなわち、金銭賠償によって加害者が責任を果たすことである。実際には、賠償交渉という形で加害者と被害者が対峙し、解決を図る取り組みとなる。ところが、現実の交渉の場は、愛する家族の生命や生きてきた意義を金銭価値に換算する作業の場。これまで多くの悲劇の積み重ねにより、一定の実務基準が構築されてきたが、遺族の場合、その枠組みに家族を当てはめること自体に非人間性を感じ、一種の残酷さがつきまとう感覚に襲われ、受け入れがたくなる。

負傷者の場合は、少しでも元の身体に戻りたい、傷付いた人生を少しでも回復したい、というつつましい願いを求めているに過ぎないにもかかわらず、その金銭換算に不条理があると、まるで自分自身の存在や人生を否定されたような思いを感じることとなる[第2の葛藤]。

なぜJR福知山線事故で賠償交渉が進んでいないのか。実は、民事責任のあり方そのものの非人間性にこそ問題があり、それを克服する鍵は社会的な問題意識の高揚だという視点は持っておくべきであろう。決して司法関係者だけの問題ではなく、むしろ無関心あるいは野次馬的興味しか持てない社会の人々にこそ問題があると感じている[第2の課題]。

■「安全」の進展と課題

被害者も、加害者も、そして第三者たる一般市民も、公共交通機関の「安全」を確立すべきことに異を唱える者などいない。ところが、鉄道は本当に安全になったかというと、断言できる者はないだろう。

JR西日本はこの10年の月日を費やして、事故直後の「安全性向上計画」、2008年の「安全基本計画」、2013年の「安全考動計画2017」を次々に策定して、その実施に努めてきた。その取り組みは間違いなく真剣であったと思う。しかし、当初、被害者の多くはJR西日本の取り組みに冷淡な反応を示し、受け入れを拒絶した。なぜなのか。

それは、第1に、事故の原因の究明に消極的であった(=刑事責任の追及をおそれたからか。)、第2に、幹の部分ではなく枝葉の部分に対する各論が中心だった(=組織の問題ではなく従業員の個人的問題ととらえたからか。)、第3に、事業者の視点からまとめた計画に過ぎなかった(=被害者の声に耳を傾けようとしなかったからか。)、というところに理由がある。一言でいえば、その計画が独りよがりにしか見えなかったからである。

被害者たちは、愚直に事故原因を明らかにするよう求め続けた。航空・鉄道事故調査委員会が運輸安全委員会に改組されるなど、政府の事故調査システムも充実・発展を遂げたが[第1の成果]、事故調査委員会の報告も被害者たちが納得できるレベルには至らなかった。

転機は2009年。福知山線事故の遺族・被害者たちでつくる4・25ネットワークの世話人らの呼び掛けにより、被害者と加害企業が「課題検討会」を設立し共に事故原因を探す取り組みが始まったのである。加害者と被害者との共同作業など、これまでの日本の大事故史上で聞いたことがない。

そして双方の衝突と忍耐の末に、2011年に報告書がまとまった。企業の組織に原因があるとする画期的な内容であった。それは「安全フォローアップ会議」に引き継がれ、安全管理体制の外部監査が必要だとする提言に繋がっていく。今年、JR西日本は、社外機関による安全管理体制の評価を受ける決断をした。

こうした歩みは、間違いなく我が国の安全の歴史の前進である[第2の成果]。

もっとも、こうした取り組みが社会に浸透しているかというと疑問が残る。福知山線事故の被害者と加害者が構築した安全の取り組みは、広く普遍化されるべきである。

10年経つと風化が進むといわれ、記憶の薄れも顕著だ。しかし、システムを一般化・標準化すれば、次世代に受け継がれる。それに取り組むのはバトンを受け継ぐ側、つまり一般社会・第三者の役割だ。10年の節目はその自覚を喚起する機会であるべきだ[第3の課題]。

■人が生きるということ

10年経って今なお心の傷が癒えず、事故日から時が止まっていると訴える遺族は多い。むしろ10年を経て悪化しているという声も、各新聞社のアンケート結果などから明らかになっている。時が経てば癒えるという生やさしいものではない。遺族や被害者はそれを身をもって知っている。社会の人々もその苦悩に共感しなければ、遺族や被害者は孤立してしまう。必要なことはそれが広く知られることだ[第3の葛藤]。

事故現場の保存のあり方をめぐって意見が分かれている。今、JR西日本からは一部保存をするという提案がなされ、多くはこれを支持しつつある。しかし、現状のまま保存すべきだという遺族もあり、私もその支援に関わっている。おそらく、全員が一致する結論などないだろう。時が経てば自然と収束する問題ではない。じっくりと対話を何度も繰り返していく作業が必要で、むしろそのプロセスにこそ重きが置かれるべきである。

一方で、事故10年目を迎えて、はじめて事故のことを口に出来るようになったという人がいる。重傷を負って手術を繰り返していた人が、10年目を前にようやく自立歩行できるようになったというケースもある。現在、東京で事故を振り返る展示会が開催中である(「わたしたちのJR福知山線脱線事故-事故から10年展」)。初日(4月22日)に開催されたトークイベントで、ある被害者は「10年間もがき続けてきたが、もがいてきてよかった。それで人生が豊かになった面がある。事故と10年の値打ちはそこにある」と語った。別の被害者は「人生にifはない。事故もひっくるめて私の人生である」とも語った。その言葉に自分自身を重ねてみたとき、視野が大きく広がり、思慮がとても深まったような思いがした。事故という悲劇を、自分の人生の中に取り込んで溶け込ませることこそ、本当のシンポなのかも知れない。

人を喪うということの意味、そして、もがきながら人が生きていくということについて、我が事として考える非常に大切な機会。社会全体で悲劇と教訓を共有する。それが福知山線事故の大切な意義なのだろう。それは10年の月日の重みでもある[第3の成果]。