3月15日の到来を世界中が固唾をのんで待ち受けている。オランダの総選挙で反移民、反欧州連合(EU)を掲げる右翼の自由党は第1党となる勢い。
4月と5月に投票を迎えるフランスの大統領選挙で、右翼の国民戦線(FN)のルペン候補への追い風になりかねない――。インテリを自認する人なら、こう言ってポピュリズム(大衆迎合主義)に眉を顰めるのが無難というものだろう。
だがオランダ議会のなかで、欧州単一通貨ユーロからの離脱が真剣に議論されだしたとしたら、どうだろう。
オランダ議会は、3月の総選挙後に国の最高諮問機関である枢密院で、同国とユーロの関係を総合的に議論すると決めた。この議論はユーロ残留と並んで、ユーロからの脱退も俎上に載せる。枢密院と聞くと明治憲法時代の日本みたいだが、その仕組みは以下のような具合だ(在日オランダ大使館による)。
枢密院は、1531年にカーレル5世が設置し、現在でも国家最高諮問機関。政府は法案、議事規則、国際協定の議会批准法など全て枢密院に諮問しなければならない。
ただし政府は枢密院の助言に拘束されるわけではない。枢密院は君主(現在はウィレム=アレクサンダー国王)が議長を務め、副議長と最大28名の顧問官によって構成される。さらに加えて、最大50名の臨時顧問官を任命することができる。
通常の枢密院顧問官は、社会への貢献が認められた人物で、内務・王国政務大臣の推薦と法務大臣の同意に基づき、君主が任命する。枢密院顧問官は終身制だが、実際には70歳になると引退する。
枢密院の副議長が日常の運営を執行する。王位後継者は18歳になると枢密院会議に同席する。君主が亡くなり後継者または摂政者がいない場合、枢密院は君主の大権を行使する。枢密院は行政法における最高司法機関の役目も果たす――。
君主の権威に裏打ちされた社会の安定装置であると察せられる。
その枢密院にユーロへの残留か離脱の判断を委ねることになったのは、それだけオランダ社会にユーロへの不満が鬱積しているためだ。英国はEUへの残留か離脱かを国民投票にかけ、想定外のBrexit(EU離脱)の結果が飛び出した。枢密院が穏当な検討結果を示せば、国民世論の沈静化を図れるだろう。
「マイナス金利」で12兆円の被害
大人の知恵とも言えるが、検討事項がEUとの関係ではなく、ユーロの問題であるのはなぜなのだろか。カギを握るのはユーロの番人である欧州中央銀行(ECB)によるマイナス金利政策だ。
民間銀行からの預入金に0.4%の手数料(マイナス金利)を課している結果、オランダの長短金利は何年にもわたってマイナスに沈んだ。国債など安全資産で資金を運用している年金基金などの機関投資家は逆ザヤが生じてしまった。
「オランダの年金が被った損失額は1000億ユーロ」。野党・キリスト教民主勢力のピーター・オムツィヒト議員は、ECBのマイナス金利政策による被害額が、日本円で12兆円近くにのぼると指弾する。
オランダは欧州でも富裕なグループに属し、世界で有数の年金制度の充実した国として知られる。オランダ経済そのものは欧州の「勝ち組」だけに、年金財政の基礎を揺るがしかねないECBの超金融緩和には、憤懣やるかたない。
イタリア、スペインなど南欧の「負け組」を救済するための超金融緩和の尻ぬぐいを、なぜ「勝ち組」である自分たちがしなければならないのだ。
この辺がオランダ野党の言い分であるが、単なる居酒屋談議と言い切れないところに、欧州の抱える病根の深さがある。ECB傘下のドイツ連邦銀行は保有するマイナス利回りの国債から損失にいら立ちを募らせ、ECBのマリオ・ドラギ総裁に超金融緩和の打ち止めを、ことあるごとに求めている。
移民をめぐる文化摩擦
金融政策は1つだが、財政は各国バラバラ。そんなユーロという通貨の矛盾が募っていることは、本丸であるEUを討とうとしているオランダ・自由党にとっては渡りに船。中東やアフリカからの難民問題が火を付けた、移民に対する不満を煽る作戦は、それなりに有権者の気持ちをつかんでいる。オランダの人口は2015年に1690万人と前の年に比べて7.9万人増えたが、その大半は移民による増加である。
自然増と移民増を比べても、2011年までは年5万人程度の自然増があったが、それ以降は自然増が落ち込んでいる。その一方で、2013~2015年と移民増が増加し、オランダの人口増の牽引役となっている。
移民のウエートが高まっているばかりでない。オランダといえば世界に先駆けてマリファナを合法化するなど、寛容な社会として知られ、人々はそれを誇りにしてきた。が、街行くオランダ人さえ眉をひそめるような、移民をめぐる文化摩擦が広がっている。
「いやなら出ていけ」。1月23日付のオランダ各紙にそんな意見広告が掲載された。反移民の右翼政党による広告と思いきや、広告主はオランダのマルク・ルッテ首相である。国の価値観を否定するなら「出ていけ」と主張する意見広告を、首相自らが打ったのだ。
英BBCによれば、ルッテ首相は新聞広告で「普通に振る舞え。さもなければ出ていけ」と主張。自由を求めてオランダに来たはずの人たちが、その自由を乱用しており、国民は反感を強めていると指摘した。
伏線がある。オランダでバス運転手の職に応募した移民男性が、女性と握手を拒んだ。そのために就職できなかった。そんな事例を首相は取り上げた。この大手バス会社は国内の人権機関に批判されたが、首相はバス会社を擁護した。
「実に奇妙な批判だ」。首相は「会社がもちろん正しい。
『私の宗教信条にそぐわないので女性と握手できない』と運転手が言うなど、認められないはずだ」と述べた。「私を含めて大勢が反発しているのは、まさにこのようなことだ。なぜならここでは、お互い握手をするというのが社会の規範だからだ」。
オランダの握手は、日本で言えば会釈やお辞儀に相当するということか。
「文明の衝突」談議に深入りするつもりはない。この手の話が社会問題になるということは、「意識の高い」系ではない普通の生活者の間に相当な不満が鬱積している証拠と見なければなるまい。
右翼の自由党が反移民キャンペーンに利用するのが目に見えていたからこそ、中道保守の首相は舵を右に切ったのだろう。皮肉にも、そうした対応は世論の8割が移民問題を懸念している雰囲気を、さらに強めてしまう。そしてオランダの総選挙の結果は、フランス大統領選にもドミノ倒しのような影響を及ぼしかねない。
「2度あることは3度ある」
金融市場はもう蠢いている。
国債のデフォルト(債務不履行)リスクを取引する、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場で、フランスが焦点となり始めた。フランス国債の保険料に相当するCDSのプレミアムが、跳ね上がってきたのだ。右翼のルペン候補が当選し、公約に掲げたEUとユーロからの離脱に踏み切ったら......つまりFrexit(フレグジット)の悪夢が市場参加者を覆っている。
フランスの大統領選は2回投票制。1回目の投票で過半数を得た候補がいなければ、上位2人によって2回目の決選投票を行う仕組みになっている。
2回投票制は左翼の台頭を抑えるために、ドゴール大統領がしつらえた安全装置。それが今回は右翼の台頭を防ぐ装置として働くことになる。今のところは、そうした床屋政談が一般的である。
有力候補者は右翼のルペン、中道保守のフィヨン元首相、中道のマクロン元経財相の3人。4月23日に実施される第1回投票に向けた支持率調査では、今のところルペン候補が頭ひとつ抜け出し、マクロン、フィヨンの両氏が追っている。
当初優勢を伝えられたフィヨン氏が苦戦を強いられているのは、実態のない仕事での妻への給与支払いに世論の批判が集中したからだ。マクロン氏は不人気なオランド社会党政権の閣僚を務めたが、若手のテクノクラートといった感じで、人気がある。
いずれにせよ、5月7日の第2回(決戦)投票では、反ルペンの連合が形成されるだろうから、ルペン当選の目はない。そんな読み筋が一般的だが、昨年6月の英国民投票や同11月の米大統領選の前にも、自称専門家たちから盛んに聞かされた見立てである。
「2度あることは3度ある」というのが、何事にかけても用心深い投資家たちの胸算用である。だからこそ、フランス国債を売った資金はドイツ国債に流れ、欧州株は軟調に推移しているのだ。
日本にも「欧州発のとばっちり」か?
いい迷惑を被っているのは日本である。
万一、ルペン氏当選が現実味を帯びてくれば、ユーロ崩壊、EU解体の思惑が一気に高まり、グローバルな投資資金は欧州から逃げ出す。金相場が上昇しだしたのは、そうした動きの前触れだが、いかんせん金市場の規模は小さすぎる。となると、ドルと並んで円が逃避資金の受け皿になりかねない。
2010年に起きた、ギリシャに端を発した欧州政府債務危機に際しても、日本は円高に苦しめられたが、今回も欧州発のとばっちりは要警戒である。
ルペン氏が波に乗れるかどうかのカギを握るのは、トランプ米大統領とイスラム過激派だろう。
不謹慎な言い方を許してもらえるなら、前者はルペン氏の向かい風となり、後者は追い風となるはずだ。トランプ政権が米国内で軋轢を強めるようだと、フランスの有権者もちゃぶ台返しを躊躇するかもしれない。一方、イスラム過激派が再び大規模テロを起こすようなら、世論は硬化しルペン氏を大統領に押し上げるかもしれない。
9月に総選挙が予定されるドイツも、メルケル首相の率いる中道保守のキリスト教民主同盟(CDU)が強烈な逆風に直面している。中道左派の社会民主党(SPD)が第1党の座を得て、政権交代を果たす可能性も取り沙汰されだした。
ドイツの有権者の心象風景はオランダと良く似たものだろうし、日本でも多く紹介されているので繰り返さない。1つ違いを挙げるならば、移民制限を唱える政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の規模が、オランダの自由党に比べて、不満の受け皿としては小さいことだろう。
他人事ではない「欧米の津波」
Brexit、米大統領選と、大西洋を渡った津波はいまオランダに打ち返そうとしている。日本の識者は、トランプ政権が自滅すれば津波も減衰すると見ているようだ。日本で容易に視聴できる反トランプのCNNだけを見ていると、そんな気持ちもしてこようもの。だが、米調査機関の『ピュー・リサーチセンター』の世論調査(2月7~12日)が示す次のような結果を、どう判断したらよいのだろうか。
トランプ大統領の支持率=39%、民主党支持者による大統領支持率=8%、共和党支持者による大統領支持率=84%。民主党のアメリカと共和党のアメリカに米国は見事に分断されているのだ。【In First Month, Views of Trump Are Already Strongly Felt, Deeply Polarized, Pew Research Center, Feb. 16】
大統領の支持率と不支持率を属性別に見ても米国に走る活断層が浮かび上がる。男性が45%対48%、女性は33%対63%。白人が49%対46%、黒人は14%対79%、ヒスパニックは17%対76%といった具合なのだ。
そして大卒でない白人に限ると、支持率と不支持率は56%対38%である。リベラルなメディアが取り上げようとしなかった、「虐げられた白人たち」つまり「アメリカの深部」でのトランプ大統領の人気は、依然として高い。そんな彼らは、オランダやフランスの選挙結果に、膝を打つことだろう。
翻って日本。2016年の難民受け入れは28人。その前の2015年は27人だった。トランプ政権による中東など7カ国からの難民一時受け入れ停止を批判するメディアも、不思議に口をつぐむ。技能実習に名を借りた裏口からの移民政策には批判もあるが、大胆な門戸開放に世論は躊躇している。皮肉にもこの狭き門のおかげで、日本は深刻な移民や難民の問題に直面せずに済んでいる。だが、北朝鮮の体制が臨界点を超え、南北朝鮮が混乱の渦に飲み込まれたら――。
東アジアの地政学リスクが確実に高まる中、欧米を襲っている津波は決して他人事ではない。
青柳尚志
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(2017年3月2日フォーサイトより転載)