自由を手にした彼とお別れを言うとき 【これでいいの20代?】

私と違って彼は自由なんだ、と思った。

私の本当の名前は鈴木綾ではない。

かっこいいペンネームを考えようと思ったけど、ごく普通のありふれた名前にした。

22歳の上京、シェアハウス暮らし、彼氏との関係、働く女性の話。この連載で紹介する話はすべて実話にもとづいている。

個人が特定されるのを避けるため、小説として書いた。

もしかしたら、あなたも同じような経験を目の当たりにしたかもしれない。

ありふれた女性の、ちょっと変わった人生経験を書いてみた。

◇◇◇

その日から私は太郎を安心させるように全力を尽くした。昼間は一時間に一回必ずメールをして、彼が私を疑わないようにずっと彼の家に泊まった。週末は必ず二人で過ごした。太郎の帰りが遅かったときでも起きて待っていてあげた。マッサージもしてあげた。

太郎の言うとおりだった。彼は私のために離婚しようとしていた。不満があったとしても別れられなかった。

だけど太郎が夜帰ってきたら、私は必ずスマホを隠した。健太にその後メールをしてなかったから別に隠すことはなかったけど、太郎がまた私の携帯を見るのが怖かった。

見られたくないメールを見られて人生で初めて自分の携帯が脳の一部だというふうに思い始めた。自分のプライバシーだけではなく、自分の脳自体が侵害されたような気がした。

太郎はいつも私を監視していたのかな。私のGmailのパスワードまで分かっているかな、と不安のとりこになった。

それまで、太郎と喧嘩したときは必ずシェアメイトに言った。だけど、健太とのメール、健太のことが好きになったことが恥ずかしくて今回は言えなかった。

太郎は怒っても仕方がない。そんな私に誰も同情できないと思った。私と世界の間に深い谷がひらいたように不安と寂しさが日に日に深まった。

太郎に二度と健太に話さない、会わない、と約束したにもかかわらず、健太となかなか連絡が切れなかった。

「夢を実現したいから」と思いつきで会社を立ち上げた計画性のない健太がいつの間にかスタートアップ世界の星になっていた。社会に貢献している若者の特集に出た。大手新聞社にインタビューされた。フィンテックのコンファレンスにスピーカーとして招かれた。

いいことがあった度に健太は私に報告して、私の地獄みたいな人生を少し明るくしてくれた。成功をしている健太をみて希望が持てた。私が死んでも、健太はまだ成功できる。

あれだけ慎重に注意深く行動していたのに、太郎が健太のメールをまた発見した。

太郎の家で食事をしていたある日で、私がお手洗いに行っていた間に太郎が私のカバンから携帯を取り出した。ちょうど健太からメールが届いていた:「エンジェルインベスターからすごいオファーが来た」。

キッチンに戻ったら、太郎の顔が怒りで赤くなっていた。

「まだメールしてんじゃん!うそつき!」

「彼のこと全部調べた。彼のこと全部知ってる。彼の会社に資金が一円もいかないように彼を潰してもいい。潰してやろうか?僕をみくびるなよ!」

「そんなことしないで。彼は何も悪いことしてない。すべてがあたしのせい」と私が泣き出して言った。

「綾は彼を守ろうとしてる?あり得ない」

結局2時間近く喧嘩した。太郎をようやく安心させて、何回も謝ったら二人ともクタクタになって布団で横になった。太郎はすぐ寝ちゃっていびきをかいた。

私はいびきの音と不安で眠れなかった。私のおかげで健太が自分の夢が実現できた。でも私のバカで彼の夢が潰されたら?

太郎を起こさないように注意して健太にメールした。

「忙しいところ、すみません。明日会える?話したいことがある」

返事がすぐきた。

「僕も話したいことがる。ピンポイントでごめんだけど、明日11時に丸の内のディーンアンドデルーカに来てもらえる?」

ディーンアンドデルーカに15分早く着いて、窓から離れた席をとっといた。

太郎に見られたらどうしよう、と緊張していた。心の中で健太に何を言おうかをリハーサルした。健太がようやく来て、コーヒーを2杯買ってくれた。

「エンジェルインベスター、おめでとう。すごいね」

「ありがとう」

健太が一瞬沈黙した。

「綾が話す前、一つ言っていい?」

「いいよ」

「最近彼女とあまりうまくいってない。先々月から同居しているけど、喧嘩ばっかりしてる。それでも今年中にプロポーズしてほしいと彼女が言っている。7年も付き合って、色々あったけど、彼女と別れられない。僕がスタートアップのやつやってるから彼女は家賃払ってくれてるし...彼女と結婚するかどうかまだわからないけど、綾と会うのも話すのもやめた方がいいと思う。僕が他の女性に会うと彼女がすごい嫌がるかし、僕がこれ以上綾と仲良くするときっと結婚について決断できないと思う。綾がたくさん手伝ってくれたから本当に申し訳ないけど、もう会わない方がいいと思う。」

「うん。わかった」

言わなかったけど、彼の彼女がどんな人であろうが、かわいそうだなと思った。

結婚したいかどうかが不安と彼氏に絶対言われたくない。

家賃払っているから別れられないと絶対言われたくない。

そんなことで決断できない健太とは、やっぱり付き合わなくてよかったと思った。

私は話を変えてスタートアップのことについて聞いた。10分エンジェルインベスターの話をしたら太郎が自分の腕時計を見た。

「お客さんに会わなきゃ。ごめんね。綾はなんか言いたかったっけ?」

「いや、おめでとうと伝えたかっただけ」と私は微笑んだ。

「健太は急いでいるからさきに行ってもいいよ。片付けるよ」

「助かる。サンキュー。またね」

ディーンアンドデルーカを出る健太の姿を見て思わず目に涙が浮かんできた。

絶えず夢を追いかける健太には明るい未来が両手を広げて待っていた。

彼はなんでもできる。無限の可能性を持っている。

私と違って彼は自由なんだ、と思った。