本日は不登校児のためのフリースクールとして、東京都北区から発祥した「東京シューレ」の30周年記念イベントでした。
フリースクール東京シューレ
「フリースクール」というのは定義が多岐に渡り難しい存在なのですが、基本的には行政上の位置づけはなく、NPOなどで運営される民営の機関で、学校に行けない子どもたちの「居場所」として学習や社会活動を提供しています。
学校によってはフリースクールの通学を単位として認めるところもありますが、基本的にはあくまで公的な教育機関ではないので単位認定もなく、自主財源で運営されているところがほとんど。
様々な原因に起因する「不登校」というものに、世論の理解が示されなかった時代も長く、日本のフリースクールは長年苦難の道を歩み続け、多くの地域で生まれては存続できずに消えていきました。
そんな中、フリースクールの先駆けとも言える存在の東京シューレが30週年を迎え、存在感を保っているのは寿ぐべきことで、昨年には安部首相も
「フリースクールへの行政的な支援を検討したい」
と視察に訪れ、フリースクールに法的な位置づけを与えるための議員連盟の動きも活発になってきています。
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私、東京シューレにはちょっとだけ縁があって、何を隠そう自分が登校拒否児だったんですね、実は。
数年単位で行ってなかったわけではないですが、小学校2年生の2学期を丸々欠席していたので、
「連続30日以上の欠席をしている児童」
という不登校児の定義にはばっちり当てはまっています。
不登校になった理由は、担任の先生との相性。
2年生のときの先生が全然ダメで、
「学校なんか行かなくても、勉強全部わかるし!」
というクソ生意気なガキだった私は、登校拒否を宣言。
アレコレあったような気もするけど、両親はとりあえず私の気持ちを尊重してくれて、丸4ヶ月くらい進研ゼミや図書館・児童館に入り浸って勉強していた記憶があります。
両親は両親なりに心配で悩んだのでしょう。
そんな中で「東京シューレ」を調べて見つけ出したようです。
たしか、入り口まで行って私が逃げ出したような記憶があるんだよなあ...(苦笑)。
結局、私の不登校は三学期になると解消したので、東京シューレにはお世話にならなかったのですが、
「不登校児のための『学校』なんてものがあるんだー」
ということは、私の幼心の中にしっかりと刻まれていました。
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いまだに良くある勘違いとして、
「義務教育なんだから、学校に行くのは子どもの義務だ!」
として、子どもを学校に行かせようとする論調があります。
でもこれ、「保護者が子どもに教育に行かせること」が義務なのであって、教育を受けるのは子どもの『権利』です。
【日本国憲法第26条】
・すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
・すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
そもそも明治時代に作られた「義務教育」とは、農業を手伝わせるために学校に子どもを通わせない親たちに対して、「縛り」をかけるために作られた制度なのです。
「権利とは、誰かの義務である(義務とは、誰かの権利である)」
というのもまた、有名な言葉ですね。
そして子どもたちは強制されずに、自ら教育を受ける環境を選ぶ「権利」がある。
それが自宅でも、フリースクールでもいいではないか...と。すんごく簡単に言うと、そんな議論を繰り返しながらこの30年間、フリースクールは少しずつ社会的認知を獲得してきたわけですね。
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そんなわけで、本日のシンポジウムは13時過ぎから18時までの長丁場でしたが、実際に不登校になった生徒たちのディスカッションあり、芝居や演劇あり、OBOGたちの体験談の語り合いありと、東京シューレを感じるのに盛りだくさんな内容でした。冒頭で申し上げた通り、国政レベルでの支援も検討されているところですが、
地方自治体がどんな支援をしているか&検討しているかはこれまで調べたことがなかったので、これを機に私の方でも調査・研究してみようと思います(おお、また課題が増えた!)。
選択肢が多様になれば様々なコストは上がりますが、現実問題として発生する不登校児に対して、社会が様々な選択肢を用意することは必ずプラスになると思います。
私もかつて当事者だったものの端くれとして、今後はこの分野にも手を伸ばして政策提言していきたいですね。
それでは、また明日。
(2015年7月12日「おときた駿公式ブログ」より転載)