フレディ・マーキュリーの死から25年。ブライアン・メイ、クイーン伝説のフロントマンを振り返る

「フレディの作品の中で一貫しているのは…」

間違いなく世界で最も輝かしいショーマン、クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなってからもう25年が経つ。

1991年11月24日、クイーンのフロントマンであるフレディ・マーキュリーは、AIDSに関連する肺炎でウェスト・ロンドンのケンジントンの自宅で死亡した。フレディ死亡のニュースが広まると、世界中のファンたちは才能のある偉大なアーティストであるとともに、クリエイティブな方法で誰にも予想のできないユニークな人生を送り、オペラ歌手モンセラート・カバリェと共にポップソングのスターダムからオペラにまで登り詰め、そして最愛のパートナーであるメアリー・オースティンに愛を誓いながらも、時代の偏見に抗いゲイの男性として大胆に、オープンに生きたフレディの死を悲しんだ。

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11月24日、ブライアン・メイはフレディ・マーキュリーのユニークな伝説を振り返った。

クイーンのギタリストであるブライアン・メイが、フレディ・マーキュリーが残した遺産、多くのヒット曲、そしてユニークで、光り輝きながらも思慮に富んだフレディ自身の存在について振り返った。

ブライアンはハフポストUK版にこのように話している。

フレディの作品の中で一貫しているのは、『僕は特別だ。自分で特別になることを選んだからだ。だから君も特別になれる』というメッセージだと思う。

フレディは自身のキャラクターがどのように隔離したか生前に話していた。ザンジバルで生まれたフレディ(本名ファルーク・バルサラ)は物静かでシャイな、音楽が好きな少年だった。そして曲を一度聴くだけで、その曲をピアノで演奏できるという特技があった。

彼が自身をフレディと呼び始めたのはインドの学校に通っていた時のことで、その後フレディはイギリスに渡った。

2カ月前、優秀な天文学者でもあるブライアンはフレディの70回目の誕生日を記念し、彼の死を悼むために小惑星にフレディの名前を付けることを発表した。

9月に、ブライアンはフレディ・マーキュリーが世界に与えた影響を称え、惑星番号17473の小惑星を「惑星番号17473フレディマーキュリー」とすることを発表した。

9月5日、「Don't Stop Me Now」で「僕は空を跳ねまわる流星」と歌ったフレディは、まさにその通りになった。しかしブライアンによると、この幅2マイル(約3キロ)ほどの小惑星は、木星と火星の軌道という遠い場所に位置するため、大きな望遠鏡でないと観察できないという。

「点のような小さな星だ。でも、他にはないとても特別な星なんだ」と、ブライアンは話した。  

ハフィントンポストUK版より翻訳・加筆しました。

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