突然浮上「フランス大統領に一番近い男」フィヨンの危うさ

フィヨンが大統領になると一件落着、という訳でもなさそうだ。ロシアの大統領プーチンとフィヨンの親しさは、ルペンの比ではない。

フランス大統領選にはハプニングがつきものだ。1995年には、最有力の首相バラデュールが失速して決選に残れなかった。2002年には、右翼ジャン=マリー・ルペンが決選に進出した。2012年には、一時隠居状態にあったオランドが復活して当選した......。

2017年の大統領選も、その年をまだ迎える前から波乱ぶくみの展開となりつつある。11月20日と27日に実施された右派政党「共和主義者」(旧「大衆運動連合」)の予備選で、ほとんど誰も予想しなかった元首相フランソワ・フィヨンが勝ち抜き、党公認の大統領候補に決定した。現状では、大統領に最も近い男である。

地味だがまじめで政策通

「共和主義者」の公認争いは、長らく前大統領のニコラ・サルコジと元首相アラン・ジュペの間で繰り広げられていた。フィヨンは、その他大勢の1人としか見られていなかった。

フィヨンに対する世論の評判は、決して悪くない。フランスの政治家には珍しく普通の大学出で、エリート養成校のグラン・ゼコールを出ておらず、エスタブリッシュメントとは見なされていない。まじめで政策通。サルコジ政権の5年間一貫して首相を務め、堅実で安定した仕事ぶりはそれなりに信頼された。

ただ、いかんせん、地味である。派手なパフォーマンスを繰り広げる大統領サルコジの陰に隠れていた感は拭えない。2012年の社会党オランド政権誕生後は、野党となった「大衆運動連合」の党首を目指したが、党首選で接戦の末に勝ちが確定していないのに勝利宣言し、結局敗れるという失態を演じた。

『ル・パリジャン』紙の今年5月の世論調査でも、予備選の第1回投票でジュペとサルコジが残り、両者の決選でジュペが63%の支持を集めて勝利を収める、との筋書きが見えていた。フィヨンの話は全然なかった。

しかし、その地味さがプラスに働いたとも言える。首相在任中も、批判を一手に引き受けたのは目立ちたがりの大統領で、フィヨンの評価にはあまり傷がつかなかった。2013年にジュペ陣営からすご腕のスタッフを引き抜き、その協力を得て「目立たないが着実」とのイメージを徐々に浸透させた。特に、予備選の運動期間に入って候補者討論で雄弁ぶりを発揮し、党内で多少評価が上がっていた。

支持率は最後までジュペに及ばなかったのに、決選では3分の2の得票を収める圧勝ぶりだった。土壇場で大きな揺れが起きたといえる。

「サルコジ以外なら誰でも」

米大統領選でのトランプとクリントンの両候補は、どちらも好感度が低く、「不人気ぶりの争い」と言われた。同様の構図が、今回の「共和主義者」予備選にも当てはまる。

サルコジは前回の大統領選に敗れた後、政界を引退したのにすぐ復帰し、党首に就任して再選を目指していた。しかし、いったん愛想を尽かした指導者を再び温かく迎えるほど、市民は甘くない。ニュース専門チャンネル『イーテレ』の5月の世論調査では、78%が「サルコジの立候補を望まない」と答えていた。その嫌われぶりは際立ち、「サルコジ以外なら誰でも」(Tout sauf Sarkozy)との言葉もささやかれた。

そのような意識が、ジュペの高い支持率につながっていた。一時は元大統領シラクの後継と目されながらサルコジに先を越された彼の大復活を予想する声は少なくなかった。しかし、しょせん「サルコジでないから」という消極的な理由である。エリート然としたジュペはもともと、大衆人気に乏しく、誰か他に適当な人物がいれば失速する運命にあったといえる。

そこでふと見ると、フィヨンがいる。サルコジやジュペよりもましじゃないか。フィヨン急浮上の背景には、そのような人々の意識があったと推察できる。

ルペンの勝率は2割程度か

フランスではあらゆる選挙が2回投票制である。来年の大統領選でも、まず4月23日の第1回投票で上位2位に入らなければ、5月7日の決選に進めない。

ほとんどの世論調査は今のところ、第1回投票をトップで通過するのが右翼「国民戦線」党首マリーヌ・ルペンであると、予想する。これに次ぐのは、恐らくフィヨンだろう。社会党は、現職大統領のオランドが支持率10%台と低迷し、諦めムードが出始めている。

多くが今注目するのは、まだ38歳のエマニュエル・マクロン前経済相である。エリート校の国立行政学院(ENA)を卒業後、会計検査院、民間銀行、オランド政権のエリゼ宮(大統領府)スタッフを経て、今年8月まで経済相を務めていた。一時は社会党に属したことがあるものの、現在党員ではなく、立場としては左派とも右派とも言い難い。頭脳明晰、政策通で、偉ぶらない人柄も人気の理由となっている。ただ、支持率はまだ10%前後にとどまっており、決選進出を目指そうとすると相当なブームを巻き起こす必要がある。

通常なら、このまま決選はルペン対フィヨンとなるだろう。フィヨンの政治的な立場はかなり右寄りの保守であり、自由貿易を擁護する一方、移民には厳しい。ルペンの移民排斥姿勢は言うまでもなく、強硬派同士の対決になる。常識的にはフィヨンが勝利するだろうが、左派や中道の支持層の多くは選挙にいかないだろうから、投票率が相当下がる。そうすると、ルペン当選という大ハプニングも現実味を帯びる。

トランプの場合、3対7程度で当選の可能性がある、などと言われていた。3割程度はあったのであり、今回の米大統領選の結果も実はそれほど驚きでもない。ルペンの場合、筆者が推測するに2対8ほどではないか。つまり、トランプほどではないものの、当選の可能性を全く捨て去るわけにもいかない。2割程度は覚悟しておいた方がいい。

プーチンの威厳とカリスマ性を称賛

ただ、フィヨンが大統領になると一件落着、という訳でもなさそうだ。大きな懸念が残るのは、欧州の政治家の中でもとりわけ、彼はロシアの大統領プーチンと仲がいいことだ。フランス政界でも、プーチン政権の意向を最も尊重し、最もプーチン寄りの発言をする人物として知られている。

フランスでロシア寄りというと、すぐにマリーヌ・ルペンが思い浮かぶ。かつて本欄でも報告したが(2014年6月17日「『欧州右翼』とプーチン政権『連携』の不気味さ」)、ルペンは頻繁にモスクワを訪問し、プーチン側近と会っていた。国民戦線はロシアのクリミア半島併合を支持し、ロシア側から資金援助も受けていた。

ただ、フィヨンの親しさは、ルペンの比ではない。ルペンがモスクワで通常会うのはプーチン側近で下院議長を務めた対外情報庁長官ナルイシキンであり、プーチン本人と会ったとは伝えられていない。しかし、フィヨンは何度も会ったどころか、友人とも言えるつきあいを続けている。仏誌『ル・ポワン』によると、モスクワ近くのプーチンの別荘で、ごく親しい人しか入らない部屋にフィヨンは招かれており、南部ソチの邸宅でも一緒にビリヤードを楽しんだことがある。フィヨンは、プーチンの威厳とカリスマ性を称賛しているという。

こうした関係を反映してか、ロシアのクリミア半島併合を受けた欧州連合(EU)の対ロ制裁にも、フィヨンは強く反対している。シリア情勢を巡っても「ロシアと連携すべきだ」と主張する。

ロシア側からは、フランスの現状を歓迎する声が出ているという。『ル・モンド』紙によると、プーチンに近い政治家は「来年の(仏大統領選)決選にはロシア好みの候補者だけが残りそうだ。アトランティスト(親米主義者)はいない」とツイートした。ロシアの新聞は「フランスはロシア側に合流するだろう」と論じたという。

ただ、もしフィヨンがそのような政策に走れば、EUの方針と大きく矛盾し、欧州各国の足並みの乱れにつながるだろう。プーチン政権への接近をうたう米トランプ新政権の対応ともからんで、フランスのフィヨン政権誕生は、情勢の流動化を招く危険性をはらんでいる。

国末憲人

1963年生れ。85年大阪大学卒。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。富山、徳島、大阪、広島勤務を経て2001-04年パリ支局員。外報部次長の後、07-10年パリ支局長を務め、GLOBE副編集長の後、現在は論説委員。著書に『自爆テロリストの正体』(新潮新書)、『サルコジ―マーケティングで政治を変えた大統領―』(新潮選書)、『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『イラク戦争の深淵』(いずれも草思社)、共著書に『テロリストの軌跡―モハメド・アタを追う―』(草思社)などがある。

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(2016年11月29日フォーサイトより転載)