オランド仏大統領「最後の昼餐」モロッコとの因縁--西川恵

マクロン新大統領は、モロッコ、アルジェリアのどちらを先に訪れるだろう。

フランスのオランド大統領が5月14日、エマニュエル・マクロン新大統領にバトンタッチしてエリゼ宮を去る。任期の最後となる外交饗宴は5月2日、モロッコのモハメド6世国王を迎えた昼食会だった。

国王は昼前、エリゼ宮の玄関前でオランド大統領の出迎えを受け、カメラマンの前で固い握手を交わした。約20分の会談では、テロとの戦いや温暖化問題での提携、文化面での協力などで意見を交換した。次いで歴代のフランス王や王妃の絵が飾られた「ポルトレ(ポートレート)の間」で、昼食会がもたれた。

笑い転げた出席者

テーブルを囲んだ十数人の顔ぶれから、堅苦しい政治や外交の話が中心となる食事会ではないことが分かる。

両国の数人の閣僚のほかは、パリにあるアラブ世界研究所のジャック・ラング所長(元仏文化相)とモロッコ美術館財団のメフリ・コツビ理事長が出席。モロッコ出身の女性作家レイラ・スリマニさん(35)はいま時の人である。

モロッコ・ラバトでフランス語教育を受け、17歳で渡仏。ジャーナリストをしながら小説を書き始め、2作目となる『優しい歌』で昨年11月、日本の芥川賞に相当する仏ゴンクール賞を受賞した。やはりモロッコ出身のゴンクール賞作家のタハール・ベン・ジェルーン氏(72)も招かれた。柔道家のテディー・リネール氏(28)はロンドンとリオデジャネイロの夏季五輪で金メダルを獲得した。

フランスで活躍するモロッコ出身のコメディアンやイスラム学者も招かれ、フランスにおけるモロッコ人脈の幅広さをのぞかせた。

メニューである。

ヨーロッパアカザエビ、新鮮なコリアンダーとカレイの蒸し煮、ロブスターのブイヨンとサフランをまぶしたポテト

エリゼ宮では昼食は前菜、主菜、チーズ、デザートと簡潔だ。ワインは白ワインか赤ワインが1種類。イスラム教の戒律を守るモロッコ側出席者のグラスには、事前の打ち合わせ通り注がれず、料理とのマリアージュを楽しんだのはフランス側主席者だけだった。

約1時間半の食事を終えて出てきたスリマニさんは、待ち構えるジャーナリストらに、「とても楽しい昼食でした。オフィシャルなものはまったくない親密感に溢れたもので、モロッコとフランスの関係をそのまま反映したものでした」とコメントした。両国のことわざや笑い話が披露され、出席者らは笑い転げたという。

最初の賓客も「モロッコ国王」

実は、オランド大統領が就任して最初に迎えた外国元首も、モハメド6世国王だった。大統領就任わずか9日目の2012年5月24日で、国王が非公式ながら押しかけに等しい形で来訪したのには、フランスに対する懸念があった。

モロッコ南部の西サハラでは、1970年代、住民らで作る「ポリサリオ戦線」が独立を宣言し、モロッコ軍と武力衝突を繰り返してきた。国連の仲介で1991年に停戦が実現したが、行われるはずだった住民投票は実現せず、膠着状態に陥っている。モロッコの隣国アルジェリアは同戦線を一貫して支援し、ティンドゥフに同戦線の亡命政府の拠点を提供してきた。

モロッコとアルジェリアの旧宗主国フランスは、両国の間でバランスをとってきたが、オランド大統領の前任のサルコジ大統領(2007~2012年)、その前のシラク大統領(1995~2007年)と、いずれもモロッコに親近感を抱いてきた。モハメド6世国王がオランド大統領の就任直後に来訪したのは、前任者たち同様、モロッコの立場への理解を求めるためだった。

歴代フランス大統領のモロッコへの親近感には理由がある。モロッコはフランスから平和裡に独立した。しかしアルジェリアでは、民族解放戦線とフランス軍の間で8年にわたる武力闘争が繰り広げられ、フランスは屈辱的な形でアルジェリアを追われた。植民地支配、独立闘争をどう総括するかの歴史問題でも双方に齟齬がある。またモロッコが親欧米だったのに対し、アルジェリアは1989年に複数政党制を採用するまで社会主義路線を推進。クーデターも起き、権威的な政権が続いてきた。

それでもモロッコには、社会党のオランド大統領に対して懸念があった。サルコジ前大統領はモハメド6世国王の別荘でバカンスを過ごすなど、国王と親密な関係にあったため、前任者と一線を画したいオランド大統領はアルジェリアに比重を移すのではないか。また社会党の大統領として、王制の国を最初に訪れることを望まないのではないか......。

「関係悪化」と「手打ち」

モロッコの懸念は当たった。モハメド6世国王を早々に迎えたオランド大統領だったが、国王が来訪する前日、アルジェリアのブーテフリカ大統領と電話会談し、「両国のパートナーシップをあらゆる分野で発展強化していく」との共同声明を発表した。

そしてオランド大統領が2012年12月、最初の訪問先として選んだのがアルジェリアだった。歴代フランス大統領はまずモロッコに行っており、オランド大統領が初めて慣例を破ったことになる。もっともその直前にエロー仏首相をモロッコに派遣し、バランスをとってはいる。同大統領が国賓としてモロッコを訪問するのはその4カ月後だった。

オランド大統領がアルジェリアを先に訪問した理由について、モロッコと比べ外交、経済、文化面で停滞している対アルジェリア関係の打開を図ったこと、社会党の大統領として歴史問題に決着をつけたかった、との分析がなされた。

実際、同大統領はアルジェリア議会での演説で「アルジェリアは植民地という不正義の暴力的システムの下に置かれた。これがアルジェリアの人々にもたらした苦しみを私は認める」と述べた。明確な謝罪ではなかったが、歴代フランス大統領と比べ踏み込んだ。

どちらを先に訪問するかだけだったら、それほどギクシャクはしない。フランスとモロッコの関係が2014年に入って急速に悪化したのには理由があった。

同年2月、パリ高級住宅地にある駐仏モロッコ大使の公邸を仏警察が訪れ、公邸に滞在していたモロッコの諜報機関の高官に対し、裁判所への召喚を求めた。この高官が、モロッコ国内で拷問を指揮したとしてモロッコ人がフランスで訴えを起こし、受理されたのだ。

これにモロッコは反発。さらにパリ・ドゴール空港の税関でモロッコ外相が荷物を徹底的に検査される事態も起き、関係悪化の火に油を注いだ。モロッコはフランスとの司法協力を打ち切り、テロとの戦いで一切の協力を拒否した。

両国が関係正常化に動き出したのは1年後だった。2015年2月、モハメド6世国王が訪仏し、オランド大統領との会談で司法協力の復活で合意。3月にはファビウス外相がモロッコを訪問して手打ち式を行った。

モロッコには仏企業750社が進出し、外国からの投資では1、2を争う。また観光が大きな収入源のモロッコにとって、数ではフランス人観光客が最大だ。また敵対するアルジェリアとの関係でも、フランスの外交的支援は大事だ。

フランスにとっても、テロとの戦いでモロッコは不可欠な国だった。2015年1月にパリで起きた『シャルリー・エブド』紙襲撃事件以降、フランス国内ではテロが続くが、モロッコとの司法協力が途絶し、イスラム過激派の情報が入ってこなくなったことは、仏諜報機関に大きなハンデとなっていた。

恩讐を越えて

欧州の南翼にあるモロッコは、イスラム過激派の欧州への浸透を防ぐ防波堤となってきた。モロッコからは約2000人がイスラム国(IS)に参加しているといわれるが、親欧米のモロッコは、穏健なイスラム王制国家のモデルでもある。フランスとモロッコの関係悪化は、改めて両国に相互依存関係の大きさを知らしめた。

2015年9月には、オランド大統領がモロッコを訪問したが、大統領は「モロッコとの司法協力は欧州におけるテロのリスクを、幾つか未然に防ぐ効果があった」と述べている。

2015年11~12月、フランスは国連気候変動枠組み条約の第21回締約国会議(COP21)を開いたが、翌2016年にモロッコでCOP22が開かれたのも、両国の提携の一環だった。

この流れの中で今回の国王の訪仏があったが、2015年9月、オランド大統領が国王の招きでモロッコを訪れたことへの答礼の招待だった。和気藹々とした昼食会は、2014年の1年にわたる両国の関係悪化の記憶を遠いものにした。オランド大統領にとってささやかだが、忘れがたい昼食会になったのではないだろうか。

さてマクロン新大統領は、モロッコ、アルジェリアのどちらを先に訪れるだろう。

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西川恵

毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、論説委員を経て、今年3月まで専門編集委員。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、本誌連載から生れた『ワインと外交』(新潮新書)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。本誌連載に加筆した最新刊『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)、さらに『知られざる皇室外交』(角川書店)が発売中。

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(2017年5月11日「フォーサイト」より転載)