編注:イタリアで5月11日、同性カップルに結婚に準じた権利を認める「シビル・ユニオン」の合法化法が下院で可決。このブログはそれを受けて執筆されたものです。
傍らには、高齢者たちが立っている、彼らは、私たち全てが生まれる前に苦しんできたのだ。彼らは手酷い侮辱に耐え、故郷から追放され、父や母に卑屈になり、警察からの殴打や屈辱に耐えてきた...多くのことに耐え、たくさんの恐怖と闘ってきたが、たくさんの楽しみもまた持っていた、と私は確信している。このような年老いた男性や女性は先駆者であり、彼らはわずか10歳か20歳の頃に、敢えて危険を犯してきたのだ。
闘争の40年。忍耐、希望、冗談、中傷、守られない約束、侮辱、噂の40年。この間に彼らは全てを受け入れてきた。ここに至るまでには、恋人、友人、仲間を失ってきた。苦汁をなめ(バーで苦い酒を注文するという意味ではない)、彼らは権利のために闘い、カラフルな旗を振り、変化に富んだスローガンを唱えた。彼らは怒りを表し、裏切り者を抗議して追い払った。
彼らの多くは、もはや私たちと共にはいない。中には、これを原因に、または絶望から自殺した者もいる、中には、どんな具体的な結果も目にすることなく、老衰や病気で死んでいった者もいる。私はその名前を挙げることはないだろう。何故ならきっと誰かの名前を挙げ損なってしまうから、そして誰一人として、または彼らが挑んだどんな闘いも忘れてしまいたくないからだ。彼らは笑い、叫び、そして時には殴られ、傷ついた。しかし彼らは、決して歌うこと、踊ることを止めなかった。
私は皆さん全員に敬意を表したい、そして皆さんのひとりひとりに感謝したい。皆さんがいなかったら、私は決して妻と結婚していなかっただろうし、そして今いる子供たちをもうけることもなかっただろう。皆さんは、私や、皆さんの後に生まれたあらゆる人々に、道を開いてくれたのだ。私たちは全員、皆さんが示してくれた模範によって、駆り立てられ、鼓舞されたのだ。皆さんがいなかったら、イタリアの議会はシビルユニオン法案を可決することはなかっただろう。
こういうわけで、本日皆さんが祝杯を上げているのは、よく理解できる。本当に。これは皆さんの祝賀会だ。そしてこれは、当然のことなのです。私は皆さんに感謝したい、それも心の底から再び感謝したい。
しかし私は、イタリアの政治家たち、民主党の又はレンツィ首相に感謝する気は毛頭ない。なぜなら、本日彼らが成立させる法律は、有益で重要な法律ではあるが、明らかに依然として不公平な法律でもあり、同時に、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダーの人々にとって、差別的で侮辱的な法律だからだ。
この法律には、私たちの存在、家族、選択権を脅かす不平等な内容が含まれている。
この法律は、大きな二つの欠陥がある。まず一つ目に、私たちのようなゲイやレズビアンが、異性愛者に与えられているのと同等の権利や保護を受けるに値しない、という発想が、この法律には再び含まれ続けている。この法律は、私たちが築く関係が、より低い価値と低い社会的立場しか持たない、と述べているのだ。これは同性愛への嫌悪を含意する法律だ。この法律が通ったのは、そうせざるを得ない事情があったからに過ぎない。イタリアは今だに西欧諸国の中では醜いアヒルの子だ。この法律は適用範囲に制限があり、悲しい、恥ずべき論争から生まれたものだ。これは下品な論争であり、期待はほんのわずかしかなかった。
そして、私たちの子供たちのこと。養子縁組の権利が削除されている。イタリア議会と民主党は、情熱的に懇願する同性愛者恐怖症の人々を満足させたが、「私たちは子供たちをどのようにして守ったらよいのだろうか? 私たちが話しているのは、どちら側の子供たちについてだろうか? 同性愛恐怖症の人々の子供たち? それ以外の人々の子供たち? 削除されたのだ! ちょうど多くの他の子供たちが定期的に抹消されるように。地中海で溺死させられる子供たち、跡形もなく消え失せる子供たち、イタリアの地で公的に認められることなく働いている子供たちのように。ゲイやレズビアンカップルの子供たちは、何を差し置いても、人生から、人間の尊厳から、この法律から抹消された人々の中で、最も幸運な子供たちであり続けているというのに。
この法律の二つ目の欠陥は、この法律が、ゲイやレズビアンの両親であることの威厳と価値を、私たちに与えていないことだ。養子縁組は、個々の場合に応じて裁判所で決定される。みっともない!これにより、ゲイやレズビアンの両親は、何年間も苦行の生活を強いられ、弁護士、裁判官、精神分析医、ソーシャルワーカーへの出費のや家庭訪問といった負担を引き受けることになるのだ。みっともない! 実際には、自分の子供を虐待し、ひどく苦しめる親がいる。ソーシャルワーカーと精神分析医は、もっと素晴らしいことができるはずだ。つまり彼らは、虐待をするにもかかわらず単に二人が異性愛者同士であるからという理由だけで見過ごされているような、そんなカップルの間の子供たちを守ることに焦点を当てるべきなのだ。
まさに今後は、私たちはさらなる不安と疑念に対処していかなければならない。この法律に含まれた内容には、私たちの存在、家族、選択権を脅かす不平等さが存在する。多くの他のカップルと若いカップルが祝福しているのは、よく理解できる。しかしどうか、私がそうする気分でない理由を理解しようとして欲しい。話を元に戻すが、私はこの40年間のこの瞬間を望み、祈ってきた人々に感謝し、覚えておくことしかできないのだ。
残念なことには、ミケーラ・マルツァーノ下院議員が既に指摘した通り、この法律は生まれつき「古い」古代的な法案だったのだ。
追記:彼らはその法律を通過させた!ハレルヤ!私は祝福したくないが、とても感動している。喜びと悲しみが同時に押し寄せて、泣きたい気になってくる。ラブレーの著したガルガンチュワ物語のようだ。ガルガンチュワは、彼の妻の死のために泣くべきか、彼の子の誕生のために祝うべきか、判らなかった。
この記事は最初にハフポストイタリア版に掲載され、その後ハフポストUS版に翻訳・掲載されたものを翻訳しました。