「人手不足」と外国人(1) 「介護士・看護師受け入れ」はなぜ失敗したのか

EPAによる受け入れ開始から6年が経った今、介護士らはどうしているのか。かつて取材した外国人介護士たちの「その後」を追ってみた。
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時事通信社

 日本政府が外国から介護士・看護師の受け入れを始めたのは2008年のことだった。政府間で結ぶ経済連携協定(EPA)に基づき、同年にはインドネシア、翌年にはフィリピンからの受け入れが始まった。これまで来日して仕事に就いた人材は2000人近くに上る。

 筆者はフォーサイト誌で「2010年の開国 外国人労働者の現実と未来」(07年8月―10年4月)を連載していた頃、介護士らの受け入れの実情をリアルタイムでルポした。外国人介護士・看護師は国家試験に合格すると、日本で無期限に仕事ができる。ホワイトカラーの「高度人材」、南米諸国など出身の「日系人」らを除けば、日本が初めて外国人に永住の道を開くケースである。その意味で介護士らの受け入れの成否は、近い将来、日本が必ずや直面する「移民」受け入れの試金石になると私は考えた。

 彼らは人手不足解消の切り札とも期待された。介護・看護分野での人手不足は深刻化する一方だ。厚生労働省によれば、介護職だけで2025年には100万人が不足するという。

 EPAによる受け入れ開始から6年が経った今、介護士らはどうしているのか。かつて取材した外国人介護士たちの「その後」を追ってみた。

成功例はごく少数

 大阪の中心街・梅田から急行電車で約20分。阪急「池田駅」でバスに乗り換えさらに10分ほど行くと、新興住宅地の間に田畑が増えてくる。そんなのどかな風景の中に、フィリピン人介護士のマリシェル・オルカさん(34歳)が働く有料老人ホームがある。

 マリシェルさんは09年6月にフィリピンからのEPA第1陣の1人として来日し、このホームを運営する社会福祉法人の特別養護老人ホームで働き始めた。そして3年後の12年、介護福祉士の国家試験にフィリピン人として唯一合格した。

 EPAで来日する外国人介護士たちは、日本で仕事を始めて3年後に国家試験を受験し、一発で合格しなければ帰国が義務づけられた。現在はある程度の点数を取った受験生に限って翌年の再チャレンジも認められたが、日本語での試験は外国人にとって難関だ。今年の合格率を見ても外国人は36パーセントで、日本人の65パーセントを大きく下回った。看護師の国家試験に至っては、日本人の合格率90パーセントに対し、外国人はわずか10パーセントに過ぎない。

 マリシェルさんは国家試験合格後に正社員として採用され、職場は特養から有料老人ホームへと変わった。

「今の仕事では(特養よりも)さらに利用者の方、1人1人に合った対応が求められます。ほんまに大変ですが、やりがいはありますよ」

 彼女と前回会ったのは国家試験合格直後の2年前だが、今では関西弁もすっかり板についた。職場ではリーダーを任され、正社員4人を含めて計6人の日本人部下も束ねている。

 しかし、マリシェルさんのような成功例は少数だ。国家試験で不合格になった外国人は、日本人と結婚するなどして在留資格を得た人を除いて皆、母国へと帰国していった。さらには、合格しても日本に見切りをつけて去っていく者まで続出している。

 2008年から昨年までに来日した1869人のインドネシア人、フィリピン人介護士・看護師のうち、国家試験に合格したのは402人。「読売新聞」6月27日朝刊によれば、合格者の約2割の82人がすでに母国へと戻ってしまったという。日本での就労機会を蹴ってのことだ。

EPA帰国者たち

 国家試験合格者で帰国する割合がとりわけ高いのがインドネシア人だ。合格者の4人に1人以上が日本を去った。2012年にインドネシアに帰国したナニンさん(29歳)もそうした1人だ。

 ナニンさんはインドネシアで看護大学を卒業した後、08年にEPA第1陣で介護士として日本にやってきた。配属先となった三重県の介護施設で働きながら国家試験に向けた勉強を続け、介護福祉士の資格を取得した。しかし、せっかく難関を突破したというのに、彼女は日本で仕事を続ける道を選ばなかった。その理由を尋ねると、流暢な日本語でこんな答えが返ってきた。

「仕事に不満はありませんでした。でも、両親からインドネシアに戻ってくるように言われたのです」

 インドネシアに帰国すると、すぐに日系企業の通訳の仕事が見つかった。月収は6万円程度で日本にいた頃の半分にも満たないが、不満はなかった。ちなみにインドネシアの給与水準は、一般的な病院に勤める看護師で月4万円ほどである。

 ナニンさんは帰国後、公務員のインドネシア人男性と結婚して子供をもうけた。出産で中断している通訳の仕事も、子供が少し大きくなったら再開するつもりだ。

「日本でまた働いてみたい気持ちもありますが、家族がいるので......」

 首都ジャカルタ市内のクリニックで働くスリスさん(28歳)も、ナニンさんと同じく08年に介護士として来日した。国家試験には合格できなかったが、結果が出る前からインドネシアに戻ろうと決めていた。

「介護の仕事は大変でした。もともと私は、インドネシアで看護の勉強をしていましたから」

 スリスさんも看護大学の卒業生で、インドネシアでは看護師の有資格者だ。日本にも看護師として行こうとしたが、応募資格の「2年以上の実務経験」がなく叶わなかった。そのため仕方なく、看護師の資格さえあれば応募できる介護士として申し込んだ。

 彼女は今、看護師として働いている。勤務先のクリニックは日本語が通じることが売りで、患者の9割は現地在住の日本人だ。同僚の看護師にはEPA帰国組が16人もいて、そのうち2人は国家試験の合格者である。

「給料は月に8万円ほどです。(介護士として)日本にいたときの半分くらいだけど、仕事はとても楽しい」

 スリスさんは希望した看護師として日本に入国できず、国家試験に不合格になって介護士としても「失格」とみなされた。そんな彼女がインドネシアで立派に看護師として、日本人駐在員やその家族を相手に仕事をしている。

「日本には遊びに行きたい。でも、働きたいとは思いません」

 インドネシアでは日本企業の進出ラッシュが続いている。日本語が堪能で、しかも日本での生活で文化や慣習も覚えたEPA帰国者たちは、通訳や看護師として引っ張りだこだ。ただし、ひとつ忘れてはならないことがある。彼らは、私たちの税金を遣って育成された人材なのである。スリスさんらが日本での経験を生かして祖国で活躍するのは喜ばしいことだが、それはそもそもの政策目的に適ったことなのだろうか。

国の「支援」は有効か

 国家試験に合格しながら帰国者が相次いでいることを報じた読売の記事は、介護人材の不足を指摘したうえで、「合格者の就労継続の支援や、不合格者の再受験の支援の必要性」を訴えて終わっている。これは同紙に限らず大手紙に共通するスタンスだ。毎年、外国人介護士らの国家試験の結果が発表になるたび、新聞各紙は揃って外国人への「支援」を促し続けてきた。だが、単に「支援」すれば問題は解決するのだろうか。

「支援」ということでは、これまでゆうに80億円を超す税金が投じられてきた。その大きな部分は日本語習得のための「支援」である。外国人介護士を採用した施設には、1人につき年23万5000円も支払われる。国家試験に向けた「対策費」の名目だが、実際は外国人を採用する施設が急減したことに慌てた厚労省が、受け入れ数を確保しようと始めた補助金のバラマキである。だが、結果的には採用施設は増えなかった。本来は当初の2年間でインドネシア、フィリピンから2000人の介護士・看護師を受け入れるはずが、6年経っても枠は埋まっていない。しかも、国家試験の合格率も大して上がっていないのだ。

 ナニンさんやスリスさんを見てもわかるように、「支援」があれば日本で仕事を続けたり、国家試験に再挑戦したかといえば、そういうわけでもない。問題の本質は「支援」の有無ではなく、EPAの受け入れ「スキーム」自体にある(2012年4月4日「根本が間違っている『外国人介護士』問題」参照)。それは介護士たちの声に耳を傾ければ明らかだ。

 インドネシアで看護師の資格を持つナニンさんやスリスさんは、母国では"エリート"とみなされる存在だった。しかしEPAには看護師として応募できず、どんなに日本でがんばっても「介護福祉士」以上の夢は描けなかった。大阪の有料老人ホームで働くマリシェルさんには、フィリピンで1人暮らしをしている母を日本に呼び寄せたいという思いがある。だが、そのために必要な永住権を取得しようとすれば、少なくともあと5年は日本で働かなければならない。親思いの彼女が、それまで辛抱できるかどうか。

 こうした彼女たちの本音は新聞には載らず、厚労省も理解していない。そもそも厚労省はEPAが始まって以降、EPAによる介護士らの受け入れは「人手不足とは無関係」という態度を崩していない。目的すら明確にせず受け入れているのだから、いくら税金を遣おうと効果が出ないのも当然だ。

人材獲得競争

 EPAによる受け入れは、今年からベトナムとの間でも始まった。一方で政府は、「外国人技能実習制度」で介護士を受け入れる方針も打ち出している。実習制度は今から20年以上前、発展途上国の若者が日本で技術を学ぶためにつくられた。ただし、それは建前に過ぎず、現実には日本人の働き手不足に悩む中小企業の工場や建設現場に対し、入国が禁じられているはずの「単純労働者」を供給する"裏口"の手段となってきた。就労期間を最長3年から5年に延長することが検討されているが、短期労働者の受け入れ策であることに変わりない。

 介護現場に実習生を入れることは、ついに政府が介護の人手不足を認め、外国人に頼ることを意味している。しかし、それでは「人手不足とは無関係」としながら多額の税金を投じ、少なくとも形だけは国家試験合格を目標に受け入れてきたEPAとはいったい何だったのか。

 厚労省を始めとする政府には、実習制度で介護士を受け入れる前にやるべきことがある。EPAの何が良くて、何が間違っていたのかを詳細に分析し、総括することだ。EPAに対する介護現場の期待は、時が経つにつれ萎んでいった。多額の税金をつぎ込みながら「期待外れ」に終わった原因すら総括せず、新たに実習制度を採用したところで同じ轍を踏むだけだ。

 どういったやり方で外国人の人材を受け入れようとも、彼らの「質」を確保することは重要だ。とりわけ介護や看護は、私たちの暮らしや命に関わる仕事である。ただし、もはや日本は、アジアの若者にとって何が何でも働きたい「憧れの国」ではなくなった。とりわけ、ある程度のレベルに達した人材にとってはそうだ。その象徴が、国家試験合格者から相次ぐ帰国組の姿である。

 アジア諸国では軒並み経済成長が続き、国内にいてもそれなりの仕事に就けるチャンスも増えた。わざわざ日本に「出稼ぎ」に来る必要もなくなりつつある。そこにきて最近では、日本にとっては手ごわいライバルも増えている。アジアの若い人材を巡って、先進国間で獲得競争が起きようとしているのだ。(つづく)

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今は有料老人ホームで働くマリシェルさん(筆者撮影)

出井康博

1965年岡山県生れ。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙『THE NIKKEI WEEKLY』記者を経てフリージャーナリストに。月刊誌、週刊誌などで旺盛な執筆活動を行なう。主著に、政界の一大勢力となったグループの本質に迫った『松下政経塾とは何か』(新潮新書)、『年金夫婦の海外移住』(小学館)、『黒人に最も愛され、FBIに最も恐れられた日本人』(講談社+α文庫)、本誌連載に大幅加筆した『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(新潮社)、『民主党代議士の作られ方』(新潮新書)がある。最新刊は『襤褸(らんる)の旗 松下政経塾の研究』(飛鳥新社)。

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(2014年9月9日フォーサイトより転載)