超高速取引でウォール街を席巻する『フラッシュ・ボーイズ』

マイケル・ルイスの新作『フラッシュ・ボーイズ』は、強欲と不正がつきものだったウォール街の今後に、ほのかな期待を抱かせてくれる。
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マイケル・ルイスの新作『フラッシュ・ボーイズ』は、強欲と不正がつきものだったウォール街の今後に、ほのかな期待を抱かせてくれる。米国の証券市場を題材とした前の二作(『ライアーズ・ポーカー』および『世紀の空売り』)と対比しながら、この本の特色に注目してみよう。

『ライアーズ・ポーカー』は、証券化(モーゲージ債とジャンク債)と企業買収(M&A)によって爆発的に拡大した1980年代の米国の債券市場の狂騒ぶりを描き出していた。そこでのヒーローは、投資家や企業を食い物にして巨利を貪る投資銀行と、そのトレーダーたちだった。これに対し、『世紀の空売り』でのヒーローは、証券格付け会社まで巻き込んだ全業界的な「サブプライム・ローン」詐欺によってバブルを演出していた投資銀行に対して、大規模な空売りで立ち向かっていった男たちだった。

彼らは見事にそれに成功したのだが、投資銀行のトレーダーたちは、バブル崩壊の前に多額の報酬をすでに懐に入れていたし、破産の瀬戸際に追い詰められた巨大投資銀行は政府の支援を受けて次々に立ち直っていった。つまりウォール街の性格はそのままに残った。

他方、その傍らで、米国の証券市場には大きな構造転換が訪れていた。ゼロ年代の後半には、証券取引所の設立が自由化され、証券取引委員会による新たな規制の導入が行われたが、今度はその規制の網を――いまのところ「合法的に」――かいくぐる手段を持つ、高速・高頻度取引事業者の一群が出現したのである。彼らは、大手の投資銀行や、たちまち何十もが乱立した「証券取引所」を籠絡して、大口投資家の取引意図に関する情報をいち早く入手する。

そして、それをもとにして、コンピューターのアルゴリズムによる高速取引技術と、証券取引所のごく近傍に設置した自社のサーバーによる高速情報伝達力を活用した、百万分の1秒単位の「フロントランニング(抜け駆け)」による「スカルピング(あたまはね)」を高頻度で繰り返す。それによって彼らは、合計すると年間数十億ドルにも上る――と見積もられているが、その実態は定かではない――巨額の利益を、安全確実に入手できるようになったのである。

その結果として、株式取引にはこれまでになかったような奇妙な現象が次々と起こり始めた。それに疑問を持ったのが、カナダロイヤル銀行のブラッド・カツヤマだった。カツヤマは、米国の証券市場の新しい仕組みについて詳しく調べ、それが大口投資家を食い物にする、違法ではないにしてもフェアとは到底言えない仕組みであることを突き止めた。そこでカツヤマはカナダロイヤル銀行を退職し、何人かの同志とはかって、昨年の十月に、高頻度取引事業者によるフロントランニングを不可能にするような仕掛けを内蔵した、新しい証券取引所(IEX)を立ち上げた。

当初は投資家たちの無理解や、市場関係者からの敵視に苦しんだIEXだったが、 十二月に入って、巨大都市銀行のゴールドマン・サックスが、大口の注文を回してくれるようになると、順調に動き始めたという。ルイスの解釈では、それは、ゴールドマン・サックスの担当者が、巨大投資銀行もまた、証券市場に対するこれまでのような支配力を失い、甘い汁が吸えなくなり始めたことを、見てとったためらしい。あるいは、現状のままだと、いずれはより深刻な「フラッシュ・クラッシュ」が起こって市場が混乱し、その責任を投資銀行が問われるようになることを恐れたためかもしれない。

IEXの試みがきっかけとなって、米国の証券市場が公正で健全なものになっていくかどうかは、まだ明らかではない。現在でも、別に不公正ではないという反論もある。その一方では、ルイスが本書の末尾で示唆しているように、早くも別の悪巧み(?)も始まっている。

シカゴの先物市場とニューヨークの現物市場との間を超高速のマイクロウェーブでつないで、それを一部の関係者に排他的に利用させることによって、新しいフロントランニングの手段を提供しようとする試みがそれである。ネットで検索してみると、この試みはかなりスキャンダラスなものであるようだ。

それにしても興味深いのは、ルイスの新著で取り上げられているヒーローのタイプが、前二作とは大きく異なっていることだ。カツヤマは、強欲なトレーダーでもなければ、反体制の闘士でもない。社会的に有用で公正な仕組みの考案と導入を目指しているという点で、彼はまさに、スティーブン・ジョンソンのいう「仲間進歩主義者」の典型だ。私はそこに、情報社会での「新しい楽観主義」の台頭の、もう一つの実例を見る。