太平洋にある人口27万人の小さな国・バヌアツを知っていますか。日本ではまだまだ馴染みのない国です。私はその国のクリニックで保健師として2年間働きました。そこで出会った患者さんのストーリーは、日本の常識からはみ出るようなことばかりでした。でも、恋愛をして、結婚して、家族が出来て、という過程は国が違っても、根本は同じです。
全10回の連載で、バヌアツのディープな性事情を紹介しながら、そこから見える日本の性や生きることを皆さんと考えていきたいと思っています。
ひとりの女性が産む子供の平均数は約4人。子だくさんの国、バヌアツ。
自然に妊娠して出産して、という人がとても多いですが、やはり「妊娠したいのに子どもが出来ない」という人も一定数います。
日本では不妊治療は選択肢にありますが、バヌアツでは「子どもができない」となると、病院に頼るよりも「祈り」や「伝統的習慣」に頼ることが多いと感じます。
しかし、今やバヌアツにも現代的な医療が発展しつつある現状。
配属先のクリニックにも不妊の相談に来るカップルや女性が来ます。ただし、バヌアツの医療レベルで出来ることは限られるので、日本の様な人工授精などの最先端治療は出来ません。
クリニックでアドバイス出来ることと言えば、効率よく「自然妊娠」が出来るようなアドバイス、そして簡単な検査です。
では実際に現地ナースはどのようなバヌアツ式不妊カウンセリングをしているのか。
ステップ1・薬は使わない、まずは自然な方法で
排卵日の予測方法:
日本でも一般的ですね。アプリもあるぐらいだし、日本人女性は自分の生理日とか、基礎体温を記録するのは妊活中であればごく一般的なこと。しかし、バヌアツでは「生理はどんな仕組みで起こるのか、受精ってなに、排卵ってなに、どのタイミングが妊娠しやすいの」という、基本的なことを学校で学ぶ機会がないので、「妊娠の仕組み」を説明するところからカウンセリングが始まります。
膣分泌液の観察方法:
ホルモンバランスによって膣分泌液の性質は変化するもの。排卵日が近くなると分泌液がどう変わるか、どのようにその性質を判断するのか説明します。
性交渉を一定期間しない:
妊娠したいからという理由でむやみやたらに性交渉を持っているカップルもいる。毎晩はあたりまえ、一晩に何度もという感じ。それでは女性も男性も疲れてしまうし、ストレスもかかる。一定期間離れて、排卵日あたりでの性交渉をするよう説明します。
性交渉する場所を変える、整える:
バヌアツスタイルの住居でプライバシーを確保するのは難しい。大家族だし、カップルや夫婦だからといって個室がある訳ではない。家の構造も簡素なので、穴や隙間も多い。プライバシーを保てる場所をつくりなさいというのは、バヌアツらしいアドバイスです。
ステージ2 薬を使った方法
ピルの処方:
月経周期が不定期な女性に対して処方します。ピルを処方する理由は、ホルモンバランスを整えること。まずは3か月ピルを内服して生理周期を一定に整えて、性交渉のタイミングを測るという指導をしています。
性感染症の治療:
性感染症も不妊の確率を上げる一つの要因。バヌアツの性感染症の罹患率は大洋州の中でも上位にランクインする高さ。そして感染していても症状がなかったり、症状はあるのに受診せずに放置していたり、というパターンが多いのです。第1回のコラムでも紹介した通り、カップルや夫婦であっても他のパートナーがいる、という状況も多いバヌアツ。なので、疑わしき例は症状のあるなしに関わらずまずは治療、ということで性感染症治療薬が処方されます。
ステージ3 検査を使った方法
自然な方法でも無理、薬を使っても無理となると、最後の手段で病院での検査となりますが、ここまできちんと出来るケースは少ないのです。なぜかというと、病院スタッフのマンパワー不足と「不妊治療」というニーズがまだまだ小さいという現状のため。バヌアツの産婦人科のメインの仕事はやはり「お産」をとること。不妊治療のニーズはあるものの、現実的にそのニーズに対応できないのです。
自然妊娠を促す方法以外で医療者が出来ることも限られるので、他の方法にも頼るのがバヌアツ流。
どんなものがあるのか、というと、、、
1.教会で牧師に祈ってもらう
2.「これをすれば妊娠する」という噂の食べ物や物を試す
3.霊媒師的な所に行って祈り、腹部のマッサージをしてもらう
以上のように、 バヌアツと日本では大きな差があることは事実です。では、将来的に日本のような不妊治療が受けられるようになるか、と聞かれると「到底その段階ではない」というのが私の意見です。不妊症の女性にとっては残念だし、悔しいとは思いますが、バヌアツ人はそういうことも「神様がそうなさったこと、神様にはそうなさった考えがある」という風に考えて受け入れているように感じます。自分の子どもが出来ないならば「養子をもらい、自分たちの子どもとして育てよう」という考えるカップルも多い。
「命に対する価値観の違い」もバヌアツと日本では大きく違います。
それを実感したエピソードを一つ紹介します。
バヌアツで仲良くしていた友人の旦那さんが32歳の若さで亡くなりました。亡くなる1週間前にはみんなで遊びに行ったばかりで、最後に会った時の彼はとても元気で笑顔だった記憶しかありません。
元々体の不調が多い方でしたが、亡くなった時の様子を聞いたところによると、喘息の発作が起きて、病院に行ったけれども適切な処置が受けられず呼吸不全で亡くなったのだそうです。
医療水準が良ければきっと助かった命だったと思います。
霊安室で御遺体に会った時、家族・親戚・友人・知人が集まり皆でお祈りをしました。その際に、牧師さんは「彼の命は途中で終わってしまったけれど、それは神様が決めた、彼に与えた試練なのです」と話していました。
その話を聞きながら、私は心の中で「いや、それは医療の問題でどうにかなったはず。神様が決めたからと言って、簡単に納得出来ない」と心の中で思いました。でも、ここはバヌアツ。生きることも死ぬことも、神様が与えてくれることだ、と人生に対するとらえ方が違うのです。
バヌアツに来た当初は、そのような考え方を受け入れることが出来ませんでした。「だって医療者が頑張れば救える命だし、医療水準をあげることが優先でしょ」と思ったからです。でも、少しずつバヌアツでの生活が長くなり、バヌアツ人の友達が増えるにつれて、彼らは「命の長さは、頑張る、頑張らない」の問題として捉えているのではない、と感じました。
自然に生まれて、生きて、死んで、、、理由がどうであれ、それが人生だと考えている。
倫理的な考え方は国が違えば異なるものです。だから、どちらの考え方が良いか悪いかなんて判断出来ません。けれども、日本とは180度違う命への価値観をリアルに経験できたバヌアツの環境は貴重だった、と感じます。「命」に対する考え方の幅がとても広くなりました。
不妊治療の話から大分ずれてしまいましたが、医療の水準が違う、という背景には、単純にお金がないという経済的な問題もあります。しかし、命への価値観も医療の発展具合を左右するのではないか、ということをバヌアツでの不妊治療の様子や友人の死から感じたことでした。
そして、国際社会が目指している「寿命を延ばす」という医療の方向性は、彼らの社会には適合しないのかもしれない、と感じたのです。
医療における「正義」って何なのでしょうか。
日本とバヌアツ、それぞれの国で違う答えがあるのではないかと思います。