「歴史を変えた50人の女性アスリートたち」(著:レイチェル・イグノトフスキー、翻訳:野中モモ)の創刊を記念したトークショーが6月2日、東京都内のブックストアで開かれた。
トークショーには、本の訳を担当した野中モモさんと、元マラソン選手で、順天堂大学の准教授の鯉川なつえさんが登壇し、女性アスリートをめぐる歴史や現状について語った。
この著書は、スポーツ界における女性差別や偏見と立ち向かい、乗り越えてきた女性アスリートたちの活躍が、イラストとともに描かれている。
テニスの元世界チャンピオンのビリー・ジーン・キング(1943-)は、女性の社会進出に否定的で、「男女対抗試合」を持ちかけきた男子テニスの元世界チャンピオンを破った。
女性初の英仏海峡横断を達成した長距離水泳ガートルード・エダール(1905-2003)は、彼女の挑戦をあざ笑う新聞を物ともせず、当時の世界新記録を大幅に更新した。
日本人では、女性柔道のパイオニア福田敬子(1913-2013)や、女性として世界で初めてエベレストを制した登山家の田部井淳子(1939-2016)が描かれたほか、 現役選手では、数々の偉業を成し遂げてきたテニスのセリーナ・ウィリアムズも紹介。また、男女の賞金格差や女性スポーツがメディアに取り上げられる機会が少ない点にも指摘している。
感想を問われた鯉川さんは、本に登場する女性アスリートについて「先入観を打ち破っている。『女性だからダメ』という考えをしていない」と説明。
「この本のすごいのは、すべての絵の女性が笑顔。色々な差別と立ち向かってたのに笑顔で描いているのは、いかにこの人たちが、(スポーツを)楽しんでいるかですよね。だからこそ、実現できたのかなと思いました」と語った。
「空いている種目に出たい」勝ち取った初メダル
近代オリンピックの歴史を紐解くと、女性アスリートに対する差別や偏見、それを乗り越えて活躍した女性アスリートの存在が見えてくる。
近代オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタンは、女性の参加には反対の立場で、アテネ開かれた第1回大会には女性の参加が許されなかった。2回大会以降から認められ、出場できる種目が徐々に増えていった。
日本の女性スポーツにとっての大きな分岐点は、第9回アムステルダム大会。日本女子選手として初めてオリンンピックに出場した陸上の人見絹枝さんが、日本女子初のメダルに輝いた。
鯉川さんによると、人見さんは、世界記録を持っていた100メートル走で予選落ちしてしまったが、「なんでもいいので空いている種目に出たい!」と直談判したという。
急きょ、一度も走ったことのない800メートル走にエントリーすると、決勝まで進んで銀メダルに輝いた。
「日本女子はそこからスタートで、彼女の『なんでもいいから出たい』の一言がなければ、多分メダルもなかったし、もっと日本の女性スポーツが遅れていた可能性はあると思います」
この大会で、800メートルのレース後に女子選手が相次いで倒れてしまったことを理由に、オリンピック運営側は以降5大会、800メートルへの女子選手の参加を認めなかった。
「男性だったら、同じ状況でも言われてなかったでしょう」
『女子は小さな男の子』で指導
鯉川さんによると、オリンピックと女性アスリートは、時代によって、次のように変遷を辿ったという。
人見選手が活躍した1920年ごろから、女性アスリートのオリンピックや世界大会への出場が活発となり、1920〜70年代は「この本に載っているような、一握りの天才が努力したことで発展していったのでは」と説明する。
80年代に入ると、ロサンゼルス五輪に代表されるスポーツ商業化の波に押されて、女性スポーツも増加。シンクロナイズドスイミングなど女子だけの種目も追加された。
90年代以降は、女性選手を指導するコーチの増加で女性アスリートが増えたが、ある問題が起きたと鯉川さんは指摘する。
「男子を指導してきた人たちがそのまま女子のコーチになり、『女子は小さな男の子』というイメージで指導したことで、精神、身体的にも不具合が出てきました」
過度なトレーニングや体重・食事制限など、女性の体の特性への配慮が不足した指導で身体や心に支障をきたすアスリートが続出したが、そうした状態が長らく放置され、実態の把握もされていなかった。
国立スポーツセンターが2012年、683人のアスリートを対象に実施した調査で、40%が月経周期に異常があったことが明らかになった。このうち、体操選手は75%が無月経の症状だった。
無月経の症状がある10代のアスリートの約40%が、疲労骨折をしていたことも判明した。
ここ最近は、女性の指導者も増え、生理学的な知識も学べるようになったことを踏まえて、「少しづつ改善している時代に入ってきたのではないかと思っています」と分析する。
セメンヤ選手、男女の線引きの限界
話は、リオデジャネイロ五輪女子800メートルの金メダリスト、南アフリカのキャスター・セメンヤ選手にも広がった。
セメンヤ選手は、インターセックスと呼ばれる、女性と男性それぞれ性的特徴を持っており、生まれつき男性ホルモンの一種テストステロン値が高い。
国際陸上連盟(IAAF)は、テストステロンが競技力の向上になるとして、薬の服用などで一定値以下に下げない限り、400メートルから1600メートルの各レースを対象に国際大会への出場を制限する規定を設け、物議を醸している。
これに対してセメンヤ選手は、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に撤回を求めたが退けられ、スイス連邦最高裁に控訴している。
野中さんは「インターセックスと言われる人たちは、たくさんいると言われています。性別は二分化できない。それが人間」と、スポーツ競技における男女の“線引き”に疑問を呈した。
鯉川さんは「スポーツをやっている女性にしてみると『規制して欲しい』という人もいます」と、直接影響を受けるかもしれない人たちの複雑な心境を紹介。
一方で、マイケル・フェルプス選手を例に挙げ、次のように問いかけた。
「彼は、激しい運動時に発生する乳酸の除去能力が高い。かといって、規制はしませんよね。じゃあなぜ女性のテストステロンだけを規制するのかというと、それは差別になる」
「親からもらった体で、何か秀でたもので、マイナスをプラスに変えたことを評価すべきです。ドーピングではなく、体から分泌されているものを規制し出したら、全てを規制しなくてはならなくなるので危険。人と同じじゃない人を否定し出したら、オリンピックの世界記録なんて出てこない」と、セメンヤ選手への理不尽な扱いを批判した。
野中さんはまた、スポーツが男性に有利な形で発展してきたのではないかと指摘し、「短期的な筋力が問われるものだけでなく、もっと他の体の使い方を見せたり競ったりするスポーツもありうるのではないか」と提言した。
スポーツするハードルをいかに下げるか
女性スポーツを盛り上げる上で、スポーツに関わる女性が増やすことが大きな後押しとなる。
参加者からの質問で、そのためには、アスリートのスポーツ以外の面にも注目することも必要ではないかという疑問が出た。
鯉川さんは、女性のスポーツ参加率が劇的に伸びた一例として、2012年ロンドン五輪の後の、イギリスのスポーツ団体の取り組み「This Girl Can」を紹介した。
「トップアスリートを見て『すごいと思うけど私とは違う』と思った人が大半でした。そこで、スポーツをするハードルを下げるため、アスリートが活躍する姿ではなく、人種も体型もさまざまな一般の人たちが自由に体を動かす映像をキャンペーンに使いました」
「女性は価値観が多様なので、その琴線に触れさせることで、スポーツ参加につながりました。日本でもそれをやろうと試みているところです」
野中さんは、「一つのことで結果を出した人のパーソナリティはみんな興味を持つと思う。いろんな人がいろんな形でスポーツに関わっているという、バリエーションがあることが紹介されるといい」と付け加えた。