アインシュタインもフロイトもグロリア・エステファンも、みんな難民だった(画像集)

彼らは迫害を逃れ、世界を変えた。

歴史は繰り返すのかもしれない。

1938年にフォーチュン誌が実施した世論調査結果によれば、67.4%のアメリカ人が、ドイツやオーストリアといった国からの政治難民受け入れに反対していた。難民のほとんどはユダヤ人だった。

1938年7月アメリカ:ドイツやオーストラリア、その他の国からの政治難民受け入れをあなたはどう思いますか?


2015年、アメリカは同じような難民問題に頭を悩ませている。11月13日にパリで起こった同時多発テロの後、過激派組織「イスラム国」(IS)のテロリストが、難民にまぎれてイラクやシリアからアメリカに入国するのではないかという不安が広がっているからだ。

CNNによれば、アメリカ人成人の53%がシリア難民のアメリカへの入国を望んでいない。難民1万人を受け入れるというオバマ大統領の計画を支持するのはわずか28%だ。

賛否両論あるだろうが、難民受け入れを巡る議論が熱を帯びる今、アメリカだけでなく世界を素晴らしい場所に変えた難民たちがいることを思い出したい。何人かをご紹介しよう。

M.I.A.
Tim Mosenfelder via Getty Images
グラミー賞を受賞したミュージシャンのM.I.A(マータンギ・\"マーヤー\"・アルルピラガーサム)は、内戦を逃れるために9歳の時にスリランカからロンドンに移住し公営住宅で暮らした。
ジークムント・フロイト
Universal History Archive via Getty Images
精神分析学の父フロイトは83歳の時にロンドンに逃れた。ヒトラーがオーストリアを攻撃しドイツとの併合を宣言したためだ。彼は79年間過ごしたオーストリアを離れねばならなかった。
グロリア・エステファン
ASSOCIATED PRESS
キューバ生まれの歌手グロリア・エステファンは、キューバ革命中に家族と共にマイアミに逃れた。
アルベルト・アインシュタイン
m.gross196/Flickr
ドイツ生まれの科学者アインシュタインは、1933年にナチス・ドイツによって国家反逆罪で告発されアメリカに亡命した。
ヘンリー・キッシンジャー
ASSOCIATED PRESS
ドイツ生まれのアメリカ外交官キッシンジャーは、ナチスの迫害を逃れるために1938年に家族と共にニューヨークへ移り住んだ。ニクソン政権下で国務長官を務め、1973年にノーベル平和賞を受賞した。
アンネ・フランク
ASSOCIATED PRESS
ナチス・ドイツが政権を掌握した後の1933年、アンネとその家族はドイツからオランダ・アムステルダムに移り住んだ。しかし、1940年にオランダもドイツ軍に占領された。一家はアメリカのビザを手に入れるためにお金を集めたがビザは却下された。そのためアンネたちはアムステルダムで潜伏生活を送ることとなった。
カール・マルクス
PA/PA Wire
マルクスは1845年にパリから追放され、ブリュッセルに移り住んだ。
マデレーン・オルブライト
Van Tine Dennis/ABACA USA
アメリカ初の女性国務長官オルブライトはチェコスロバキアのプラハに生まれた。彼女とその家族は、第二次世界大戦中にナチスから逃れるためにイギリスに移住した。戦後プラハに戻ったが、共産党が政権を握ったため、1948年にアメリカ合衆国に亡命した。1997年、アメリカ上院満場一致の承認を得て第64代アメリカ合衆国国務長官に就任した。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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