青野慶久:1971年、愛媛県生まれ。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工株式会社(現 パナソニック株式会社)入社。1997年サイボウズ株式会社を設立。2005年より代表取締役社長。育児休暇を2度とる自称・イクメン社長。著書に『ちょいデキ!』がある。
サイボウズ・青野社長の本名は、「西端慶久」だ。妻のほうの姓を名乗る「妻氏婚」をしたためである。仕事上は、旧姓の「青野」を使用しているのだという。この話を聞いて、筆者は衝撃を受けた。現在、初めて結婚する際に妻の姓を選ぶ夫婦はたった3%だ。ビジネスでは常識を揺さぶるような発言をしていても、私生活ではコテコテの旧タイプという人も少なくないが、この人は違うらしい。ちょっと、やるじゃないさ? 俄然興味が沸き取材をすると、話は思わぬ方向へと展開。「名前とは、なんぞや?」から、深遠なる宇宙の真理にまで広がったのだった......!
人がやっていないことをしたい
大塚:結婚して苗字を変える男性は、まだまだ珍しいですよね。どんな経緯で、そうされたんですか?
青野:じつを言うと、僕自身は「青野」の姓になると思っていたんです。それが結婚する直前に、妻から「わたし(苗字を)変えたくない」って言われたんですね。「え? あ、そうなの、じゃ僕が変えようか?」みたいな感じで、僕が変えることにしました。
大塚:あっさりですね(笑)。
青野:やっぱりベンチャー精神が強いんでしょうね。人があまりやっていないことだったら、やってみたいな、と思うんです。
あとは、「青野慶久」という名前は既に世に出ていたので、これとは別の「知られていない本名」があると使い勝手がいいな、というのも思いました。調査のために競合他社のイベントに参加申し込みするとき、本名を書いても相手にバレないとか(笑)。
大塚:そんなメリットも!
青野:そのとき(2001年当時は、副社長)考えたことは、それくらいですね。ぼくのなかでは、「面白さ」が勝っちゃうから。大変だったのは、それからですよ。
夫婦仲が悪くなったとき、モヤモヤするくらい
大塚:どんなとき大変だったんですか?
青野:夫婦仲が悪くなったときに、「相手の名前をつけてあげたのに!」というのが、自分のなかで蘇ってくるんです。そういうの、ないですか?(笑)
大塚:あります! わたしも以前結婚していたとき、不満が募ると「ちぇっ、せっかく名前変えてやったのに!」とよく思いました(笑)。苗字を変えた側は、そう感じやすいんじゃないですかね。
青野:「そのことに、おまえは感謝してるのか? 当たり前だと思ってないか?」みたいなね(笑)。もう最近は慣れたからないですけれど、結婚したばかりのころは、よく思いました。
大塚玲子:1971年生まれ、東京女子大学文理学部社会学科卒業。フリーの編集者&ライター。子ども、結婚、家族、PTAなどをテーマにした仕事を多く手がける。都内の編集プロダクションや出版社に勤めたのち、妊娠を機にフリーに。著書は『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』などがある。
大塚:ほかに嫌だったことは、何かありますか?
青野:そうだなぁ、特にないですかね。あとは、べつに嫌じゃないですけれど、「養子に入るのか?」と聞かれることはありました。
大塚:妻の姓になるのは、婚姻届を出すとき戸籍筆頭者を妻にするだけのことで、相手の親と「養子縁組」をするのとはまったくべつの話なんですが、「男性が妻の姓になる=養子に入る」だと誤解している人は多いみたいですね。
株式の名義変更で何百万円もかかった!
大塚:手続き上、面倒だったことはないですか?
青野:それは、いろいろありました。たとえば、株式の名義変更。会社が何百万円か負担したと思います。いまは株式が電子化(ペーパーレス化)されたので、そんなにかからないと思うんですけれど。
大塚:ずいぶんな額でしたね!
青野:株主総会のときは、いまでも違和感があります。このときだけ、議長席に「西端慶久」と書かれるんですよ。ふだん仕事では「青野」、プライベートでは「西端」と切り分けているので、すごく違和感がある。東証から指導があって、IR関係では戸籍上の氏名を使っています。
インターネットの掲示板なんかでは、いまでもときどき「誰だ? この西端って」と勘違いされてますね。「いや、おれですけど!」って(笑)。
大塚:一般人のわたしが結婚や離婚で苗字を変えたときも十分面倒でしたが、もっともっと大変なんですね......。
青野:会社の役員だと、そういうのがありますね。ほかの人は、どうしているんだろう?
大塚:役員登記が旧姓不可(戸籍上の氏名じゃないとダメ)ということで、困る方々はいるみたいです。女性役員が増えてくると、もっと問題になりそうですね。
青野:ほんとだ、大変だよね! その辺から変わるかもしれないね。
旧姓不可の話でいくと、いろいろありますよ。いっぺん、ホテルに泊まれなくなりそうになりました。アメリカって大概、ホテルに泊まるときパスポートを見せますよね。そのときは、誰か社外の人が招いてくれたので、「青野」の名前で予約がとられていたんですけれど、僕がホテルに行ってパスポートを出したら「西端」って書いてあるから、「違う!」というわけです。
大塚:あらら、どうされたんですか?
青野:そのとき偶然、名義変更していない「青野」のカードが、財布に一枚だけ残っていたんです。それを見せて説明したら泊まれましたけど、あれは危なかったですね。
大塚:海外に行くと、また不便がありますね。夫婦別姓を選べる結婚制度(選択的夫婦別姓制)を求める人が多いのも、頷けます。
ありたい名前を自分で決めてもいいのでは?
青野:ぼくの究極的な理想は、自分が「これがいい」っていう名前を、自分で決められたらいいと思うんです。「うちの家族は、伊集院で行く!」とかね(笑)。
大塚:それは思いつきませんでした、斬新!
青野:基本は「みんな好きにしたらいい」と思うんですよ。男の人がスカートをはいたって、本人がいいなら、いいじゃないですか。人に迷惑をかけるようなことじゃなければ、自由にすればいい。というのをまず前提にするならば、名前なんてその最たるものです。
大塚:どうして自由にできないんですかね?
青野:昔は不都合があったのかもしれないですね。人を公的なところで認識しないといけないときに、名前を自分で勝手につけられると、ややこしくなるから。 でも、今度「マイナンバー(※)」ができたら、その人はそのナンバーで認識できるようになるわけだから、公的にはそれでいいような気がするんですよ。
※「マイナンバー」...住民票を持つすべての人に1つずつ番号を付し、社会保障、税などの情報を効率的に管理するもの。平成27年10月から番号の付与が始まる。
大塚:ナンバーが名前を代替するわけですね。
青野:まず「名前とはなんぞや」という、そもそもの目的を考えないといけないと思うんですよ。「名前って、なんで必要なの?」ということを。
大塚:要するに「これが誰である」という認識を共有できればよいと。
青野:そうなんです。そこを考えると、究極的な話、べつに名前はなくてもいい。
ぼくたちはグループウェアの会社なので、ユーザー情報は、社員が入れ替わったりして、変わることを前提にしているんです。そのとき何を見ているかというと、ユーザーIDの番号なんです。ユーザーさんのログイン名やパスワードは途中で変わる、ということを前提にしたうえで、データを引き継げるように、ぼくらは番号を持っているんです。
大塚:サイボウズのシステムはすでに、「名前は好きにつけられる」というのが前提なんですね。
青野:そういうことです。名前は変わる・変えられる、というのが理想だと思うんです。「二十歳になったから、名前変えよう」とか、べつにいいじゃないですか(笑)。
もし名前を好きにつけられるとしたら?
大塚:もし名前を自由につけられるとしたら、青野さんなら、どうされますか?
青野:何がいいかなぁ...。とりあえず「青野」でも「西端」でもない新しい名前をつくるでしょうね。そうしたら夫婦でけんかしても「お前の姓をつけてやった!」みたいなのはなかったかも(笑)。どっちの苗字にしたところで、どっちかがいやな思いをするわけだから、それならふたりで決めた新しい苗字にするのが、いいんじゃないですかね。
大塚:「お互いが変わった」のであれば、精神的にフェアですね。みんな、好きに名前をつけたら楽しそうです。
青野:「トム・クルーズです」とか言い始めるやつが、絶対出てきますよ!(笑)
大塚:どうせなら、憧れの人の名前をつけてやろうと(笑)。
青野:よくばかにされますけど、「キラキラネーム」だっていいですよね。多様な社会をつくるんだったら、やっぱり名前も多様なほうがいい。って、最近は思うんですけれど、ぼくも以前は「ふつうの名前がいいんちゃうの?」「名前で目立とうとするのはアカン」とか言って、妻とけんかしたことがあるので、偉そうには言えない(笑)。
未来の人間は、自分で好き勝手に名前をつけている
青野:予言しておくと、未来の人間は、かんならず(力をこめて)、自分で好き勝手に名前をつけてると思います。ぼくの生きている間は無理かもわかりませんけど、絶対、世の中はそっちに向かいますよ。
大塚:そ、そうですね...、青野さんのその確信の根拠は、なんでしょうか?
青野:それはですね。世の中は必ず、多様化と合理化、この2つのセットで動くと思っているんですよ。(やおら立ち上がり、ホワイトボードに向かう)
たとえば、太古の昔は、いっぱいいろんな恐竜がいたらしいですよね。ところが、環境変化についていけなくなると、生存するための条件が揃わなくなるので、合理的に消えるんですよ。
大塚:おお、恐竜の絶滅は、環境に対する「合理化」なわけですね。
青野:それで適応した種族が残る。さらにまた、残ったやつが多様化していく。これを繰り返しているんです。ぼくらはそもそも、この宇宙の法則に沿っていくようにしか、できないんです。名前も、これと同じなんですよ。
大塚:おおおおお。
青野:いままで名前って、いまいち多様化してきていませんよね。選べないという、制限のなかにいる。それはたぶん、合理的でなかったからなんです。「そんなことをされたらもう収拾がつきませ~ん!」ということで、無理だったと思うんですね。
ところがですね、マイナンバーが出てくると、名前を変えてもらっても受け入れられますよ、ということになります。そうすれば、必ず、変わります。これは絶対!です。逆らうことができない流れです。
大塚:サイボウズさんは会社自体、こういう流れを体現しているところがありますね。
青野:会社としても受け入れられる範囲を広げていくと、もっと多様化できるわけです。インクルージョンの範囲が広がると、多様性が広がる。
ぼくは子どもが2人いるんですけれど、同じ両親から生まれてきたとは思えないくらい、違うんです。ぼくとも違うし、ヨメさんとも違う、全く新しい個体が、ぽこぽこと2人いるんですよ。すごいことですよね! それはもう神の思し召しというしかない。宇宙の法則として、全ての生物は、多様化しようとしているんです。
大塚:なるほど......。
青野:それができたから、ぼくらは生き残っているんですよね。なんで人間という種族ができたかというと、必死に多様化して、生き残れる種をみつけたわけですよ。たぶんその前にもう、何千、何億通りの失敗があったと思うんです。
子どもの遺伝子も、両方の親のかけあわせなんだけど、どっちの親にも似ないところを持って生まれてくるわけじゃないですか。それって、多様化の実験を続けてるんですよね。すごいことですよ。
大塚:そうか、名前も、そういった流れの中で考えればいいのですね
青野:そうです。だから絶対、多様化すると思うんです。
文:大塚玲子 編集:渡辺清美
■お知らせ■ 11月1日(土)16時より、サイボウズ本社ラウンジにて大塚玲子さんら主宰の「家族の形のダイバーシティ」という交流イベントを行います。多様性を受け容れる社会についてご関心がある方は、ぜひお越しください。
(2014年10月29日のサイボウズ式 「『名前なんて絶対多様化する』──妻氏婚を選んだ社長の未来予測」より転載)