『毒親サバイバル』から考える「家族の絆」至上主義の罪

絆や愛に飢えることは、時に人を危険に晒す。
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 8月末、17年度の児童虐待が13万件と過去最多であることが報じられた。 その中でも、子どもの心を言葉や行動で傷つける「心理的虐待」が半数を超えるという。3月、東京・目黒で5歳の女の子が命を落とした事件には多くの人が胸を痛めた。「もうおねがいゆるして」「ゆるしてくださいおねがいします」。5歳の女の子が書き残した言葉に涙した人は多いはずだ。 虐待が社会的な注目を受ける一方で、虐待を受けた子どもの「その後」について語られることは多くない。過酷な環境を生き延び、心に大きな傷を負った彼ら彼女らは、その後の人生をどのように歩んでいるのか。過去とどのように向き合い、折り合いをつけ、今は親のことをどのように感じているのか。特に私のような昭和生まれ世代だと、「虐待」がまだ「しつけ」と言われたような時代に育っている。同世代や上の世代には、自分がされたことが「虐待」だと気づくのに数十年もかかっているようなケースもある。「虐待」は、児童相談所に保護される子どもだけの問題ではない。それが、私が日々感じていることだ。

 そんな「元子ども」の「その後」についての漫画が8月、出版された。タイトルは『毒親サバイバル』。著者は菊池真理子さん。彼女は昨年、自身の経験を描いた『酔うと化け物になる父がつらい』を出版した、いわゆる「毒親育ち」の人である。「家族崩壊ノンフィクション」と名付けられた同作では彼女の子ども時代が描かれるのだが、それが凄まじい。

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 父親はアルコール依存症。母親は新興宗教信者。そして妹の4人家族。シラフでは無口で大人しい父だが、酒を飲むと豹変。シラフの父と交わされた約束はいつも破られ、休日には一家団欒などなく、父の友人が自宅に集まって酒を飲みながら麻雀して大騒ぎする。そんな宴会で召使いのようにこき使われる母親は、家から逃げるように夜になると宗教の会合に出ていく。父の酩酊のレベルは度を超え、飲酒運転で車を燃やしたりするほど。そんな日々の中、母親は菊池さんが中学2年生の時に自ら命を絶ってしまう。それでも、酒をやめない父。 『酔うと化け物になる〜』では、その後の父と菊池さんとの関わりが描かれているのだが、『毒親サバイバル』は、そんな菊池さんが10人の「元子ども」にインタビューし、自身も登場する一冊だ。

 小さな頃から母親に医者になることを押し付けられ、支配され続けてきた医療記者。祖父からの暴力を受け続けてきた朗読詩人。祖母に手の込んだ虐待を受けてきた編集者。「誰のおかげで生活できてるんだ」「そんなに食うのか」など、24時間ネチネチと口うるさい父親に自己肯定感を潰され続けてきたライター。子どもの給食費も学費もバイト代も給料も巻き上げていくパチンコ依存症の母に振り回され続け、自己破産までした会社員。「家=戦場」というような365日争いの絶えない家で育ったマンガ家。「男に幸せにしてもらう」という物語の中で生きる、アルコール依存の母親のもとで育った文筆家。中学生で家事だけでなく民宿のきりもりまで任され、その後、借金男、ギャンブル男、DV男などダメ男にばかり尽くしてきたタロット占い師。小さな頃から自らを支配し続けてきた母への「嫌がらせ」としてAV男優となった男性。浮気、不倫を繰り返し子どもを殴る父と、身勝手すぎる母に苦しめられてきたものの、自身に子どもが生まれ「娘に命をもらいました」と語る主婦。 いわゆる「毒親」をめぐっては、この数年、「母と娘」の対立を扱った書籍が多く出版されてきた。が、本書で注目すべきは、登場する半数が男性であることだ。

 思えば多くの男性は、長らく親との葛藤などについて語ることさえできなかったのかもしれない。しかし、「男」だからこそ、時に親から背負わされるものは重くなる。金銭的に頼られることもあれば、将来的に親の面倒を見る役割を期待されることもある。そして本書に登場する男性たちに背負わされる「親からの要求」は、度を超えている。 母親のパチンコ依存症と難病の発症によって自己破産まで追い詰められた男性は、まさに「男だから逃げられない」という呪縛の中にいた。 「死ぬまで面倒みるって約束したし、これから年とっていく女の人たち(母と叔母)を置いていけない」 まだ20代前半なのにそんなふうに思う彼は、「自分の人生」を生きるという発想を奪われている。親のために犠牲になることが当たり前になってしまっている。そんな子どもから、親はあらゆるものを奪っていく。

 家庭という密室で起きていることに、子どもが「変」だと気づくのは至難の業だ。一方で、この国の殺人事件の半数以上が家庭内で起きているという現実もある。他人から殺される確率より、家族に殺される確率の方が高いのだ。 そんな現実がありながらも、世の中では「家族の絆」が何よりも尊いものであるかのように語られている。3・11以降は特にそうだ。また、自民党の改憲草案には、「家族は、互いに助け合わなければならない」と、虐待経験者には地獄のようなことが堂々と書かれている。「あるべき家族像」から漏れる人々の存在は、まるで最初からないものとされているようだ。

 そんなことを考えていて、数年前に見た紅白歌合戦の光景を思い出した。出演する歌手たちは口々に「家族が大切」「お父さんお母さんを大切にして」「とにかく家族が何よりも大切」と呪文のように繰り返していて、なんだか怖くなって思わずチャンネルを替えたのだった。家族至上主義の暴力が、大晦日のNHKでこれほど残酷に牙を剥くことにただただ愕然とした。言う方としては、「別に言うことないから無難に最大公約数の正解っぽい『家族は大切神話』にのっかっとこう」くらいの気持ちなのかもしれない。が、あまりにも繰り返されると、その言葉は脳内で「家族を大切に思えない人間は非国民だから日本から出ていけ」みたいな言葉に変換され、聞いていた私は微妙に追い詰められていった。

 特に虐待経験のない私でさえそうなのだ。家族に複雑な思いを抱える人はこれらの言葉にどれほど追い詰められるだろう。多くの被害者は、どこかで「親に感謝できないなんて」「親のことを悪く思ってしまうなんて」と罪悪感を抱いている。そして親の方は、「親を大切にできないなんて」「親不孝は最大の悪」というような言説を小さな頃から子どもに吹き込んでいる。虐待の多くは、「家族は大切」神話を最大限利用して行われているのだ。しかし、マトモな親は、「親である自分を大切にしろ」などとことさら要求しないし、子どもには、親よりも自分を大切にし、自分の人生を生きろと伝えるはずだ。が、家庭という密室で、子どもはあまりにも無力である。『毒親サバイバー』の解説「親子関係のこれまでとこれから」を書いている信田さよ子さんは、以下のように指摘している。

 「本書に登場する11人の皆さんの家族は、世間からは『ふつう』、時には『恵まれている』と思われていただろう。それどころか最大の悲劇は、本人たちも『これが当たり前』『家族ってこんなもの』と思っていたことだ。なぜなら、家族以外に生きられる場所などないし、世界そのものである家族=親を否定することは、国・もしくは地球を脱出することに等しい、つまり死を意味するので、そう思うしかないのだ。

 そして、親の命令を聞けない自分が悪い、親のことが怖い自分がヘンだ、親を殺したくなる自分は狂っている、と思う。その先に広がる道の方向性は限られている。少しずつメンタル的に壊れていくか、自殺するか、反社会的行為によって非行(犯罪)化するか、それともアディクション(嗜癖)を呈するか、である。酒や薬、ギャンブルや自傷行為などのアディクションは、束の間『痛み』から解放させてくれるからだ。 しかし、どの方向性も理不尽ではないか。親の行為が問われるのではなく、子どものほうがヘンだ、歪んでいると考えられるなんて、ひどすぎるだろう。子どもは決してそんな親を選んで生まれてきたわけではない。『あなたは子どもに選ばれた』というスピリチュアル系のトンデモ説に涙ぐむのは、単なる親の自己満足に過ぎない」

 本書を読めば、「家族の絆」を強調する言説が、いかに当事者を追い詰めるかもよくわかる。例えば、身勝手な母と離れて一人暮らしをした矢先に阪神淡路大震災を経験し、友人を亡くした女性は、震災から数日後、母と離婚した父(女連れ)と偶然会う。 「なんやお前、生きとったんか!」と父に言われた彼女は思うのだ。 「みんなが家族の絆をうたってるのに 私にはそんなものない」「家族が欲しい」「こんな時まっさきに私を探しに来てくれる人が」 父は無関心、母はアルコール依存で自分のことばかり。そうして彼女は自分でもなぜか、わからないまま、男の人をとっかえひっかえして付き合うようになる。 「さびしすぎて愛に腹ペコで 一瞬だけでも満たしてくれる相手が欲しかった」 絆や愛に飢えることは、時に人を危険に晒す。それを持っていない人に強烈な飢餓感を植え付けてしまう。別に、個人的に絆や愛が素晴らしいと思うことに問題はないだろう。しかし、それは押し付けられるものではないし、規範となってはいけないし、ましてや憲法に明記される類のものではないはずだ。

 誰もが抱える、親との葛藤。もちろん、私も多くの葛藤を抱えてきたし、今も抱えている。 「許さなくていいよ。」 この本の帯には、こんな言葉がある。 「家族は助け合おう」なんて一見正論っぽい言葉より、ずっとずっと優しい言葉だと私は思う。

(2018年9月5日マガジン9「雨宮処凛がゆく!」より転載)

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