ニセ科学がダメな理由(高畑紀一)

「ニセ科学」って何?っていう方もいらっしゃると思います。公式な定義ってされていないと思いますが、私は「科学的ではないのに、科学を装うもの」と考えています。
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Yagi Studio via Getty Images

こんにちは、木曜日担当のPlus Action for Children 高畑です。

いよいよ師走です。

何かと気ぜわしくなる季節ですし、実際に多忙を極める方も多いと思います。

気温が低く乾燥しがちなこの季節は感染症のリスクも高くなりますし、忙しい中でも十分な睡眠、休養、栄養摂取を心がけたいですね。

さて、今回のタイトルは「ニセ科学がダメな理由」です。

「ニセ科学」って何?っていう方もいらっしゃると思います。

公式な定義ってされていないと思いますが、私は「科学的ではないのに、科学を装うもの」と考えています。

「無いことを証明する」ことは「悪魔の証明」ともいわれ、無理難題の類とされています。

この世に人の言葉を話すヘビが居ない証明をしようとしたら、地球上のすべてのヘビを確認して「ほら、1匹も話さないじゃん!」というプロセスを経なくてはなりません。

「無いことを証明する」ことは無理なのですから、「ある」と証明されたもの以外は「無いものと見なす」と考えるのがリーズナブルです。

しかし、残念ながらこのような考え方は社会全体で共有されているとは言い難く、「あるかも」という類の話が、あたかも「事実」であるかのように認知され広がっていくことがあります。

そういった話の中に、存在について「科学を装った」論理をまとって広がっていくものがあります。

私はそういったものを「ニセ科学」と考えていますし、それらはどうしても許容したくないんですね。

「ニセ科学」とされるものは、「確かに存在する」という証明が伴っていないにも関わらず、あたかも科学的に存在を説明できるかのような「理屈」をまとっています。

しかし、現在の科学的知見からは「ある」とは証明できないものを、「ある」というのですから、今ある「科学」とは異なる論理を必要とします。

この「今ある『科学』とは異なる論理」は、必然的に「今ある『科学』」と矛盾しぶつかります。

したがって、「ニセ科学」と「科学」は共存しがたい存在になるのです。

「ニセ科学が正しいと考えようとすればするほど、人類が積み上げてきた科学から離れていく」、私が「ニセ科学がダメな理由」と考える大きな理由のひとつがここにあります。

ニセ科学は、「善意」や「感動」を伴うエピソードとセットになっていることがあります。

それが、よくよく考えると「ファンタジーだよね」という事柄であっても、「事実」としたまま、「怪しいけど、悪い話じゃないから、まあいいか」と黙認されたりすることにつながります。

そして、「こんな良い話があるのだよ」という情報の伝達に乗っかって、拡散していきます。

善意による黙認も、感動による誤解も、ニセ科学の正当性を補強することはできません。

残念ながら、このように拡散していくニセ科学は、より科学的に正しい方向へ進むのではなく、ニセのまま、拡散されていくのです。

ニセ科学は、科学的な正当性を装う限り、既に証明されている科学とはいずれ矛盾していきます。

矛盾が拡大していくと、いずれ「どちらを『信じる』のか」という選択を強いられる場面が近づいてきます。

その選択時に「感動」や「善意」が作用してしまうと、人は意外なほど簡単に、ニセ科学を選択し、確かなものを捨て去ります。

このことは、ニセ科学を選択することというよりも、人類が積み重ねてきた英知を捨て去ること、と考えるべき危険な行為です。

ニセ科学は、現在の科学と矛盾する論理を正しいと主張するが故に、同じようなニセ科学同士で論理を補強しあう傾向がありますので、ひとつのニセ科学を鵜呑みにしてしまうと、それと補強しあうようなニセ科学を次から次へと受け入れやすくなってしまいます。

そのため、ニセ科学にはまっている人は、何から何までニセ科学、という状態になりやすいといえます。

故に、「感動」や「善意」からであっても、私は小さなことであっても「ニセ科学はダメ」と考えています。

その「小さなこと」を容認してしまったら、その先には「論理を補強しあうニセ科学」がわんさかと待っているからです。

医療や食、環境など、特に小さな子どもを育てている保護者にとっては、できる限り「リスクを避けたい」、「より安全なものを」という欲求があります。

残念ながら「ゼロリスク」というのはありえず、量・確率といった「程度の問題」としてリスクと向き合わなければならないのですが、ニセ科学は平然と「ゼロリスク」を掲げたりします。

リスクを軽減したいという思いと、ゼロリスクを掲げるニセ科学は、どうしても接触する機会が増えていきます。

しかし、ニセ科学を選ぶことは更なるニセ科学を受け入れやすくし、より確かなものを捨て去る危険を伴います。

子どもたちから、「確かなもの」を遠ざけることのリスクを考えたら、子育て世代の私たちは、より「ニセ科学」に対して神経を尖らせていたほうが良いのではないでしょうか。

今年の流行語大賞は「ダメよーダメダメ」でした。

「ニセ科学」も「ダメよーダメダメ」です。

木曜日担当・高畑紀一@一般社団法人 Plus Action for Children

2004年、当時3歳だった長男がインフルエンザ菌b型(Hib/ヒブ)による細菌性髄膜炎に罹患、「今晩一晩が山」という状況に陥る。

幸い、奇跡的に回復することができ、「運悪く稀な病気に罹り、運良く回復できた」と考え、それ以降は病気のことを考えない、思い出さないようにして日々を過ごす。

その後、ヒブによる細菌性髄膜炎がワクチン(ヒブワクチン)で防ぐことができる疾病であること、2004年当時、既に多くの国々でヒブワクチンが導入され子 どもたちが細菌性髄膜炎から守られていたことを知り、「運悪く稀な病気に罹った」のではなく、ワクチンで防ぐことのできる疾病から守ってあげることができ なかった、自分自身を含む大人たちの不作為で生死の淵を彷徨わせたのだと後悔する。

この経験をこれ以上、繰り返さないため、ワクチン後進国と揶揄されるわが国の状況を改善し、子どもたちがワクチンで防ぐことのできる疾病から守られる環境を整えるため、活動に参加。

その後、ワクチン・予防接種だけにとどまらず、子どもたちを取り巻く環境を改善するため、そしてそのために行動する大人を支援するため、「一般社団法人 Plus Action for Children」を設立、現在に至る。

(2014年12月4日「ムコネットTwinkle Days 命耀ける毎日」より転載)