「4257頭の象が空を飛んでいた」。この文章には、あなたが信じ込んでしまう"仕掛け"がある

少し前までの楽観的なインターネットの可能性論は大きく後退し、フェイクニュースという言葉が流行する中で、コロンビア出身の大作家の文章論に耳を傾けてみよう。
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東京大学安田講堂
HuffPost Japan

この9月から東京大学で、非常勤講師を務めることになった。といっても私は研究者ではないのでこれまでの経験をもとに考えてきたことを、伝えるのが講義の目的だ。

テーマは大きく「ニュースの未来」とした。インターネットの登場でニュースの価値は大きく揺らいでいる。少し前までの楽観的なインターネットの可能性論は大きく後退し、フェイクニュースという言葉が流行する中で、その存在意義が問われている。

4257頭の象が空を飛ぶ!

第1回は主に全体のイントロダクションと位置付け、コロンビア出身のノーベル文学賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの謎めいた言葉から講義を始めた。

私が敬愛するノンフィクション作家の沢木耕太郎がエッセイの中で取り上げていて、そして私自身も好きな言葉である。

 「たとえば、象が空を飛んでいると言っても、ひとは信じてはくれないだろう。しかし、4257頭の象が空を飛んでいると言えば、信じてもらえるかもしれない」(ガルシア=マルケス「想像力のダイナミズム」『すばる』1981年4月号)

 20世紀を代表する大名作『百年の孤独』を書き上げた小説家として知られているが、キャリアをたどれば元ジャーナリスト、つまりニュースの世界の住人だった、彼の言葉がニュースの本質を見事に表現している。

ガルシア=マルケスが磨き上げた小説手法は魔術的リアリズムと呼ばれた。特徴はとてつもなく不思議で幻想的な世界を描きながら、その表現が異様なまでに細かいところにある。

例えば彼の小説では人が空を浮く。これだけならファンタジー小説でおなじみの表現になのだが、ただ浮くのではなく「12センチほど」浮く。

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ガブリエル・ガルシア=マルケス
The Oprah Magazine

ニュースと魔術的リアリズム

 『百年の孤独』のなかで、美女レメディオスはシーツと一緒に空に舞い上がり姿を消してしまうのだが、それはこんな風に描写されている。

 「目まぐるしくはばたくシーツにつつまれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した」(『百年の孤独』より)

後のインタビューで、ガルシア=マルケスはこのシーンの元ネタを明かしている。

曰く、彼の家に洗濯にやってきた女性が、風の強い日にシーツを干そうとしていたときのこと。彼女はシーツを吹き飛ばないように風に語りかけていたそうだ。そこで彼は思いつく。

レメディオスを昇天させるには強い風に舞ったシーツに乗せればいい。シーツという身近にあるものを使い、風に舞っている様子を詳細に描写することで、いかにも起こりそうだと思わせる工夫ができると語っていた。

その工夫を彼は「ジャーリズム的方法」と呼ぶ。確かに『百年の孤独』は、神話的な世界をまるで作家自身が見てきたかのように第三者的な視点からディティール(細部)が書き込まれている。

状況を事細かに描き、シーンからシーンへと物語が連続していく。これはルポルタージュの技法そのものなのだ。

「これって僕が新聞で言われ続けてきたこと?」

 20代後半、毎日新聞の記者だった頃に、わけがあって読み返す必要があったときに驚いた。

「これって僕が新聞で言われ続けてきたことを、全部盛り込みながらフィクションが書かれているじゃん」、と。

ガルシア=マルケスはニュースの方法論、具体的にはディティールという「事実」を盛り込むことで確からしさを増していくという方法を文学に応用していた。

細部の力がニュースを決める

ニュースの現場でも、現場の記者は、指導役のデスクからとにかく「ディテールを取材しろ」と口酸っぱく言われる。

・事件に使われたのは「刃物」ではなく、ナイフなのか包丁なのか刀剣なのか

・刃渡りは何センチなのか

・身近な店で市販されているものなのか、手に入れるのが難しい特別なものなのか。

・犯行に使われた「車」なら色は何色か、セダンなのかワンボックスなのか

・軽乗用車なのか、メーカーはどこなのか。

・「男」ではなく、背は何センチくらいか、体型は太っているのか痩せているのか、職業は、年齢は、住所は……。

ディティールの効用は、私が作った、次のような適当な文章からでもよくわかる。

 「男は一人で野球場で野球を見ながらビールを飲んだ。美味しいと思った」

 「男は一人で浜風が吹き抜ける真夏の甲子園の外野席に腰掛け、白球を追う球児たちを見ていた。日差しは今日もきつい。彼は右手に持ったビールを、一気に飲み干した。時計は午後1時を少し回ったあたりを指している。平日の真昼間ではあったが、飲み慣れた刺激が心地よかった」

ある野球場で起こった事実自体は同じだが、前者に比べて後者のほうがリアリティが増しているように思えないだろうか。

あるいは、こう聞かれたらどうか。どちらの文章を読んだときにが本当に男がいそうだなと思えるのか。これも断然、後者であると思う。

こうした細かい情報の積み上げが、読み手の想像力を刺激する。

リアリティとは何か?

人は細部が描かれることによってリアリティを感じてしまう性質がある。冒頭で紹介した文章に再び戻ろう。

 「ある日、ふと空を見上げると象が空を飛んでいた」

「ある日、ふと空を見上げると4257頭の象が空を飛んでいた」

リアリティがあるのはどちらか。これも後者だ。ただ象が空を飛んでいたと聞いても「見間違いでしょ」となりそうなものですが、「4257頭の象が空を飛んでいた」と言われたら空一面に象が飛んでいる様子を思い浮かべることができる。

ガルシア=マルケスは「レメディウスが空に舞い上がり、昇天した」と一言で記しても、それが凡庸な描写に過ぎないということを知ってた。だからこそ、意識的にニュースの方法を使ったのだ。

ディティールを書き込むことで、確からしさを増していくという方法を知っていれば、フェイクニュースは簡単に作り出すことができる。

そのくらい、ニュースの方法論は強いものだ。応用すれば、毒にすることも容易であり、その代わりに強力な薬にもなり得る。

事実の力を知り、そこに自覚的であることがニュースの世界で生きる上では必要なのではないかーー。いくつかの事例とともに、こんな話をして終わった。

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OSAKA, JAPAN - AUGUST 19: Tower of the sun is a building created by Taro Okamoto, Kansai region, Osaka, Japan on August 19, 2017 in Osaka, Japan. (Photo by Eric Lafforgue/Art In All Of Us/Corbis via Getty Images)
Getty Editorial

「太陽の塔」で知られる芸術家・岡本太郎は若き日に『今日の芸術』という本を書き上げ、従来の芸術論に対して、その実力と知性で真っ向から挑戦的なテーゼを叩きつけた。

《芸術はここちよくあってはならない

芸術は「きれい」であってはならない

芸術は「うまく」あってはいけない》

この講義は岡本太郎のオマージュでもある。終わった頃に、私なりの「今日のニュース」の骨格ができあがることを目指している。

#表現のこれから 」を考えます

「伝える」が、バズるに負けている。ネットが広まって20年。丁寧な意見より、大量に拡散される「バズ」が力を持ちすぎている。

あいちトリエンナーレ2019の「電凸」も、文化庁の補助金のとりやめも、気軽なリツイートのように、あっけなく行われた。

「伝える」は誰かを傷つけ、「ヘイト」にもなり得る。どうすれば表現はより自由になるのか。

ハフポスト日本版では、「#表現のこれから」で読者の方と考えていきたいです。記事一覧はこちらです。