イスラム国が去って~イラク北部で見た民族対立の兆し~

ここ、イラク北部の村バルザンは、クルド自治区の首都アルビルの北にある。クルド自治政府の治安部隊「ペシュメルガ」によってイスラム国の支配から解放された村だ。しかし、同様に解放された近隣の町や村と違い、この村には、誰一人として住民は戻ってきていない。
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写真:破壊されたバルザン村の家々

ここ、イラク北部の村バルザンは、クルド自治区の首都アルビルの北にある。クルド自治政府の治安部隊「ペシュメルガ」によってイスラム国の支配から解放された村だ。しかし、同様に解放された近隣の町や村と違い、この村には、誰一人として住民は戻ってきていない。

1軒1軒回ってみて、何故かがわかった。ここには、戻ってくる理由が何もないのだ。ほとんどすべての家が、修復不可能なまでに破壊されていた。

米国の空爆を受けた家もあるだろう。イスラム国の戦闘員を追い出そうとするペシュメルガに攻撃されたのかもしれない。だが、多くの家は、どう見ても建物の中から吹き飛ばされている。

人権状況の調査員と一緒に、ペシュメルガの兵士から前に話を聞いたことがある。兵士たちが言うには、住民がイスラム国を支援したから、我々が爆破したのだと。

今、この村に駐屯しているペシュメルガの兵士の中には、まったく逆の説明をする者もいる。イスラム国が退去する前に爆破したというのだ。しかし、クルド人の住む他の村は爆破せずに撤退したのに、アラブ人の村をわざわざ爆破していくのも妙な話だ。

別の兵士は、爆弾が仕掛けられていたから、仕方なく爆破したんだと話す。今も通りに仕掛け爆弾が残っているから、立ち入るなと。だが、これはあからさまなウソだ。仲間の兵士たちは、その辺をぶらぶら歩きながら、この村の唯一の住民(?)である犬や、瓦礫の写真を撮っている。爆発はない。私も家々を回りながら、無事でいる。

家が吹き飛んだのは戦闘のせいだと言う者もいる。しかし、この村に戦闘があった形跡はない。壁には銃痕はなく、弾薬の薬莢も転がっていない。戻ってくる住民が見なくて済むように、回収したんだと話すが、仲間の兵士ですら、その説明を聞いて困惑していた。緊迫した戦闘ではふつう、薬莢を拾うようなことはしない。時間の無駄だからだ。彼らが言うようにあちこちに爆弾が仕掛けられているなら、なおさらだ。

兵士たちは大量破壊のわけを説明することはあきらめて、今度は正当化を始めた。住民であるイスラム教スンニ派アラブ人は、イスラム国が村を支配する前からテロリストだった。奴らはイスラム国と一緒にここを去って、もう戻ってこない、と。

ペシュメルガが取り戻した近隣の村々に戻ってきたのは、クルド人だけだ。そして、これからも戻ってこられるのはクルド人だけだと決めているようだ。

皆口々に同じことを言う。「アラブ人はイスラム国の味方だ。戻ってこられるわけがない」と。

モスルの北西にあるクルド人の町ズマルで出会った若者は、礼儀正しく柔らかな口調で、「僕たちは、アラブ人が戻ってこられないように、彼らの家を爆破します。アラブ人にとって、ここはもうおしまいです」と口にした。その穏やかな物腰と、恐ろしい内容のギャップに、私は衝撃を受けた。

ズマルの目抜き通りにあるいくつかの商店のシャッターには、「クルド人」と書かれている。新しく書かれたようだ。店先にいた数人の若者に、なんのためか聞いてみた。

「誰なのか、一目でわかるようにだよ。そうすりゃ、他の奴らは寄ってこないから」

「じゃあ、アラブ住民がやってた店や住んでた家はどうなの? 戻ってきちゃいけないみたいだけど」と聞くと、彼らは肩をすくめて答えなかった。

ズマルから100キロかけて戻ってくる道中で、年配のペシュメルガ兵士と話をするようになった。若い頃は、サダム・フセインに対抗する勢力の戦士だったため、最近、やっとロースクールを卒業したばかりだそうだ。バルザンで見た破壊の光景が頭から離れないと言うと、「ああした村にはクルド人が住んでいたのに、フセインがアラブ人を住まわせたんだよ。だから今、クルド人が取り戻してるんだ」と教えてくれた。

ペシュメルガがイスラム国から取り戻した地域は、今のところ比較的小さい。しかし、もっと解放が進んだら、スンニ派アラブ人の一般市民に対する報復の危険は差し迫ったものになる。宗派対立や民族対立はさらに悪化するだろう。

対立の火種を消すために、クルド自治政府は手を打たなければならない。まずは治安部隊の蛮行の真偽を調査すべきだ。そして、ペシュメルガに武器と訓練を与えている米国、欧米諸国は、ペシュメルガが国際人道法(戦争法)を守って行動するように、監視の措置を怠ってはいけない。

(ドナテラ・ロベラ、アムネスティ・インターナショナル)