「論文」という文化をめぐって

なぜ、日本のみで論文総数が2006年頃をピークに減少に転じたのか。種々の原因が考えられるが、貧富の差が拡大していることが背景にあると思う。

過日、都内某所で、とある新書の打合せをした。テーマやら、分量やら、スケジュールやらを相談し、ふと伺ってみた。

「参考文献などは、どういう風に引用したらよいでしょうか?」

「そうですね、できれば巻末にまとめて、章ごとに参考書等を挙げて頂くことを想定しています」

「本文中には入れない、ということですね?」

「はい、どうしても読みにくくなるので......」

我々研究者が書く科学論文や、多数の論文をまとめて研究分野の情勢や方向性を論じる総説などでは「論文を引用する」というのが徹底したルール。多くの場合、著者名と年を括弧内に示すが、番号になる場合もある。これは、自分の意見(賛成であれ、反対であれ)の「根拠」を客観的示すためなので、絶対に欠かせない。なので、大学院生の論文指導の中でも重要なポイントの1つ。

引用論文数に制限が無い場合にはさほど問題ではないが、某レター誌のように20件まで、などの制限があると、どの論文を引用するかは誠に悩ましい。そうすると、どうしても、オリジナルな発見を示した「原著論文」を複数挙げるよりも、それらを引用した「総説」を挙げざるをえないことになり、勢い、総説を掲載した方が引用されやすいので、雑誌のインパクト・ファクターが上がる、というからくりがある。

また、論文をポジティブな意味で引用することは、科学者が他の科学者をリスペクトすることを表す。つまり「あなたの論文を引用させて頂きました」ということは、実に謙虚な形で「あなたの研究が重要だと思っています♡」という気持ちを示すことになる。大学院生には、こういうことも伝えている(往々にしてスルーされることが多いので、覚えているかはわからないが......)。

さて、そのような科学論文全体の動向については、種々の統計に基づく分析が為される。今朝、Facebook経由でたどり着いた以下の記事では、日本からの論文総数、シェアの割合等がどんどん下がっていることが指摘されている。

いったい日本の論文数の国際ランキングはどこまで下がるのか!!

ブログ主の豊田長泰先生は、三重大学学長時代にお目にかかったが、当時からブログやツイッター等で科学技術政策の発信をされてきた方。拙ブログでも何回か取り上げさせて頂いている。

いくつかの解析をされているので、詳しくはそちらを参照して頂きたいが、ここでは私にとってもっともインパクトが大きかった各国の「人口あたり全分野論文数の推移」のグラフを「引用」しておきたい。下の方でほぼ横ばいの赤いグラフが日本。

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なぜ、日本のみで論文総数が2006年頃をピークに減少に転じたのか、種々の原因が考えられるが、研究者人口を増加させたにも関わらず、それに比例して研究費は増加せず、競争の激化も相まって研究者あたりの平均的な研究費は減少し、いわば、貧富の差が拡大していることが背景にあると思う。研究者人口が増えたのは、大学院の定員増加に舵を切ったためであり、そのこと自体は間違いとはいえないが、博士号取得者の人財活用は目論見どおりには進まなかった。大学院教育の負担が増えたことも、大学の法人化等への対応で種々の業務増加と相まって、研究そのもに割く時間が減ることに繋がった。

論文総数はアカデミアからのみならず、企業からのものも含むので、上記の動向には企業での論文に繋がるような研究活動が減少したことも反映されていると思う。勢い、アカデミアには「社会に役立つ研究」をすべし、というプレッシャーも大きくなっている。

いずれにせよ、政治家や行政官も含めた国民全体が、科学者の営みの表れの1つである「論文発表」を軽視する傾向があるのだとしたら、それは大きな間違いだ。ハイ・インパクト・ジャーナルに掲載される論文が出れば、そうではない論文などでなくても良い、なんてことはない。「キラキラ論文」を支えているのは、中堅どころの雑誌に掲載される地味で堅実な論文たちである。裾野の広がりなくして、高みは得られない。

1つの例を挙げておこう。山中伸弥さんはマウスの普通の皮膚の細胞を多能性のある未分化な細胞に初期化することができることを示して、2006年のCell誌に発表し、翌年、ヒトの細胞でも再現できるとCell論文が発表され、それが2012年のノーベル生理学・医学賞受賞に繋がった。この日本中で有名な研究成果のヒントを与えた論文は、京都大学の多田高さんが2006年にMethods in Molecular Biologyという雑誌に発表したものである。この研究では、線維芽細胞という普通の細胞を多能性未分化細胞の本家である胚性幹細胞(ES細胞)と融合させると、線維芽細胞が初期化される、という興味深い現象を示している。

Epigenetic reprogramming of somatic genomes by electrofusion with embryonic stem cells.

第5期の科学技術基本計画の策定にあたっては、直近の成果だけでなく、日本が世界で信頼される論文を持続的に出し続けることに配慮して頂くべきと思う。そうでないと、科学の種は枯渇する。

(2015年5月2日「大隅典子の仙台通信」より転載)