一昨年、約20年振りに新潟県南魚沼市の故郷にUターンしたら、街は変りはてていた。当時、家から車で10分以内で行けたスキー場が三つあったのだが、それが今は一つだけに。潰れたスキー場周辺の宿舎の多くは廃業に追いやられた。そして、最後に残った市営の八海山麓スキー場も、人が4‐5人しか滑っていない日があったり、滑っている人の9割以上が小学校のスキー授業の参加者だったりと、経営が苦しそうだ。私は27000円のシーズン券を買ったが、一人の力ではどうにもならない。少子高齢化で私が通っていた中学校の生徒数は半減し、仕方がないのかと思っていたが、スキー場衰退の理由はもっと別の所にあるのではないかと思い始めてきた。
先日、シリア人の友人家族4人を連れて八海山麓スキー場に出かけた。彼らは市内にある国際大学の留学生で、シリアは雪は降るがスキー場がなく、2歳と4歳の息子二人にソリ滑りを体験させたいとのことだった。私は自宅にあるソリ二つを持ち、彼らにソリの滑り方を簡単に教えたら、子どもも大人もおおはしゃぎ。私は「じゃあ、1時間くらい楽しんでいてください。私はスキーをしていますので」と1歳の長男を背中に乗せて、スキーをするためリフトに乗った。
2,3回滑った後、ソリ滑り場に彼らの姿が見えなかった。辺りを見渡すと、リフト乗り場の方へ歩いていく彼らを見つけた。「どうしたの?」と尋ねると、「1回、リフトで上まで登ってみたい。景色を見てみたい」と言う。確かに、頂上からの景色は絶景だ。
真っ白な平な地の周り360度を大小の山々が連なっている。私は「一回券を買うといいよ。一枚300円だったと思う」と伝え、彼らはチケット売り場へ行った。そしたら、売り場にいる30代くらいの女性が「スキーかスノーボードを履いていないとリフトに乗ることはできないのです」と言う。私は、「前に、友人がスノーシューでリフトに乗って、歩いてゲレンデを降りてきましたけど」と言うと、女性は奥に座る年配の男性の所へ行った。その男性が出てきて、「すいませんが、スキーかスノーボードを履いていないとダメな決まりなんです」と同じことを繰り返し、私がスノーシューの件を言っても、「いや、それは本来ならダメなんです」と言う。私が、「じゃあ、リフトに乗って、そのまま同じリフトに乗り続けたまま、下に降りてくるのはどうですか?」と尋ねても、「いや、うちは、リフトの下りはやってないのです」と言われ、仕方なくあきらめた。(上で働く職員さんはどうやって下りてくるのか不思議には思ったが)
この瞬間、私は悟った。スキー場が潰れ、地方が衰退したのは少子高齢化だけが原因なのではないと。15歳で故郷を出るまで、私にとってのスキー場はスキーかスノーボードをするためだけの場所だった。しかし、その後、9カ国に暮らしてみて、スキー場というのは、世界の人にとって「雪を楽しむ所」なのだということを思い知った。アゼルバイジャンにいたとき、同国初のスキー場がオープンし行ってみたら、来場者の9割がスキーもスノーボードも履いていなかった。若い女性がハイヒールでリフトに乗り、頂上でアゼルバイジャンの旗を掲げて記念撮影をしていた。タイでは、富士山や清水寺など観光地の写真と生まれ故郷の写真を何枚か友人に見せ、「どれでも一枚好きなのとっていいよ」と促したら、何と、魚沼の雪景色の写真を選んだ。昨年、ベトナム人が遊びに来た時、スノーシューで雪の上を歩くのが楽しくてたまらない様子で、それだけで半日くらい過ごしていた。スイスやフランスでは、普通に観光客がゴンドラに乗ってスキー場の上に行って景色を楽しんでいた。
近年、日本へ来る外国人スキー客が増えたが、多くは北海道や長野へ行ってしまい、元祖雪国の魚沼は完全に出遅れている。外国人観光客を呼び込んで地方活性化につなげたいのなら、地方の衰退を少子高齢化のせいばかりにせず、昔からの慣行にばかりとらわれ、時代のニーズの変化に対応できない自分たちの姿を反省するところからやってみてはどうか。
仕方なく、私は、せめて子どもにはこの絶景を見せてあげたく、友人の4歳の長男を前に抱きかかえ、自分の1歳の息子を後ろに背負い、リフトに乗って、頂上まで行き、二人の体重合計27キロを背負って滑り降りた。子どもは大はしゃぎで、友人は「次は俺を担いで行ってくれないか」と苦笑していた。