小学校からの英語教育スタートなど、最近は以前にも増して、英語教育が注目を浴びているようです。
英語に限らず、言語の習得に必要なことは何でしょうか。
言語というのは面白いもので、勉強の一科目として学ぶ時、苦手意識を持つこともあります。しかし母国語を考えてみると、ある程度の年齢になると当たり前のように使えるようになっています。
「母国語だからできるようになるのは当然」という意見はもっともですが、なぜ母国語だと最終的に誰もができる言語が、外国語だと時に難しいのでしょうか。
その答えの一つが、その言語に対する接触時間です。当然ながら、接触時間が長ければ長いほど、理解が深まります。子どもの語学教育に関して言えば、その吸収力は大人の何倍も優れています。若い頃は記憶力があったのになあ、という経験は誰もが持っていると思います。
ただ子どもでも大人でも、いくらスポンジ並みの学習能力があったとしても、週に1回程度の学習で、語学習得が可能でしょうか。ネイティブスピーカーは、母国語をしっかり話すようになるまでに、その言語環境で何年も育ち、教育を受けます。であれば、母国語でないからこそ、その分しっかりとした英語環境をつくることが重要になります。
語学は時間さえしっかりこなせば、誰でもできるようになるものです。当然ですが知能や才能に関係なく、アメリカ人であれば、ほぼ全員が英語を話せます。
もちろん、外国語学習に母国語並みの時間を割くことは難しいので、効率的に楽しく学習できる環境作りが大切です。ただここで強調したいことは、週に1回程度では、絶対的に総量が足りないということです。
1日5時間勉強しても、その後1週間あいてしまえば、その時に勉強したことを、覚え続けていることは難しいです。であれば、日々15分でもいいので、毎日英語にふれた方がいいでしょう。
非常に大切なので、もう一度だけ繰り返しますが、語学はある程度誰でも身につけられるスキルです。ただ、その習得は長期戦です。語学力アップのためには、寝る直前でも、通勤・通学電車の中でも、日々その語学に接触することが肝要です。
ではひたすら聞けば、どうにかなるのでしょうか。正直、聞くだけで、話したり書いたりできるようになるのは難しいと思います。ただし、聞かないことには何も始まらない、ということも事実です。
ここでちょっと、言語の習得プロセスについて考えたいと思います。
結論から言うと、言語は「聞く」→「話す」→「読む」→「書く」の順で学ぶことが正解だと思います。
母国語であろうと、そうでなかろうと、実は言語を学ぶプロセスというのは同じです。日本では語学の話になると「読み・書き」という表現がすぐに出てきて、学校の英語の授業でも、それが中心になります。しかし、読む・書く・聞く・話す、にも学ぶ順番があります。
赤ちゃんがどうやって言語を習得するかを考えるとわかりやすいのですが、まず「聞く」です。赤ちゃんはそれこそ胎児の時から、親からたくさん話しかけられ続け、それこそ「話す」ようになるまで、何万時間も「聞く」ことに費やします。
そして、次に来るのが「話す」です。日本語学習を始めた外国人でもよくいますが、話すことはペラペラなのに、「読み・書き」がまだうまくない人がいます。これは、赤ちゃんの例も然りですが、「聞く」ことの次は、「話す」ということなのです。そしてその次が「読む」です。当然ながら、読めないものを書くことはできません。
こう考えると、語学の習得プロセスというのは非常にわかりやすいのですが、なぜか「言語」という学問習得になると、このプロセスを忘れて学習するケースが多いようです。
例えば中学校で旧来式の学習方法では、いきなり文法で「読み」から入っています。少なくてもこれまでの日本の英語教育では「読み」「書き」から入って、そればかり勉強するイメージが強いです。その結果が、「文法は比較的できるのに、何を言っているのかわからないし、話せない」という現象ではないでしょうか。
勿論語学学習にあたって、とにかくたくさん「聞く」だけでいいかというと、それも極端な議論です。
個人的に感じることは、日本の英語教育は、文法ばかりの「読み」「書き」受験英語と、会話に特化し過ぎの、外国人がひたすら話すだけの英会話スクールに断絶しているように感じます。
大切なことは、この言語の学習プロセスを認識して、バランスよく学んでいくことです。例えば初学者であれば、「聞く」「話す」などの割合が多くなるでしょう。年齢や語学レベルによって、「聞く」「話す」「読む」「書く」の適切なバランスが違うので、これを意識した学習がとても大事です。