今年は戦後70年ということで広島、長崎の原爆もアメリカのメディアによって大きく取り上げられた。多くのアメリカメディアは、広島、長崎の原爆について取り扱う時、当時の政府の判断の正当性に重点をおいている。つまりアメリカメディアにとって広島、長崎の原爆とは70年前を論じる事であるからだ。私はそれらの報道について違和感を感じた。
8月に私はニューハンプシャー州に仕事で来ていた。仕事は大統領選に出馬する某候補者の撮影だったのだが、演説が始まるのを待つ間、先輩であるアメリカ人の報道写真家に広島、長崎の原爆について聞いてみた。彼は少し顔をこわばらせて、自分が戦争終了から10年後に生まれた事を先に述べ、『原爆は戦争を終わらせるために必要だったと学校で習った。しかしアメリカは原爆を落とすべきではなかった』と早口で言ったあと話題を終了させた。私はその答えは多くのアメリカ人の広島、長崎への認識を代弁していると思った。アメリカの視点なのかもしれない。私たちは広島、長崎の原爆を歴史の時間だけではなく、平和教育として朗読、詩、本、など感性をとおしても学んだ。広島、長崎は過去だけの問題ではなく、未来への課題でもあるべきだと思う。被爆者の方々がなぜ語り続けるのか。被爆体験の伝承は大切なことである。しかし6月に出会った被爆者の方々の多くが被爆体験を『思い出したくもないこと』と話している。それでも被爆者の方々が伝えたい事はなにか、ということを私たちは考え、真摯に受け止めて、現在の在り方、未来への行動を模索するべきである、と思う。今私は、6月に聞いた被爆者の方々の原爆体験談を英訳している。多くの方々と未来のための対話をはじめたい。