皇后さまの「日本国憲法」への言及が意味するものは?

皇后さまがは10月20日、誕生日の記者会見において憲法改正に関する異例ともいえる政治的発言を行った。このご発言について、過去の事例と比較してみる。
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民主主義の大切さを訴えた皇后陛下による異例の発言をどう解釈すべきか?

このところ、皇室と民主政治をめぐって、これまでにはなかったような出来事が相次いでいる。皇后陛下は10月20日、誕生日の記者会見において憲法改正に関する異例ともいえる政治的発言を行った。その直後の10月31日には、山本太郎参議院議員が天皇陛下に福島原発の被害者問題を直訴するという前代未聞の事件が発生した。また皇太子さまの皇位継承を疑問視する論調がメディアに目立つようになってきているなど、皇室をめぐっては異様な雰囲気が漂っている。

これらの出来事には、日本の国力低下という現実が大きく関係している。というのも、同じような状況をかつての日本は体験しているからである。

日本が坂道を転げ落ちるように転落し、最後は勝ち目のない無謀な戦争で破滅寸前に追い込まれた昭和初期には、現在と似たような出来事が相次いで起こっていた。

皇后陛下による10月20日の発言は極めて異例といってよい。皇后陛下は憲法改正問題に言及し、幻の民主憲法といわれた戦前の「五日市憲法草案」を紹介し、「日本国民の民権意識は世界でも珍しい文化遺産です」と述べた。

このところ日本では憲法改正の議論が盛んになっているが、当初の目的であった9条改正の議論はおざなりになってしまい、むしろ改憲のための改憲という議論に変貌しつつある。中には法の支配を否定するような内容の草案が提示されるケースも出てきており、皇后陛下の発言は、一部のこうした動きに警鐘を鳴らしたものと理解されている。

民主主義を擁護する皇后陛下の発言を高く評価する声が上がる一方、日本がよくない方向に向かいつつあることのサインとして受け止める向きも少なくない。昭和天皇もかつて「君臨すれども統治せず」という原則を曲げ、異例の政治的発言を行ったことが何度かあるが、皇族が政治的発言をしなければならない時というのは、すでに抜き差しならない状況まで追い込まれていることが多いからである。

もっとも有名なのは、2.26事件における昭和天皇の発言である。2.26事件の首謀者達は、クーデターによって議会を無力化し、天皇中心の絶対的な政治制度を確立しようとした。クーデターはギリギリのところで鎮圧されたが、それはほかならぬ昭和天皇の確固たる意思によって実現したものである。

当時の日本が置かれている状況は現在と非常によく似ている。昭和恐慌によるデフレが極限に達し、日本は今と同様、量的緩和策と公共事業によって何とか沈没を免れた。だがインフレの進行(日銀直接引き受けによる国債の乱発)で国民の生活は苦しくなり、日中関係の悪化で日本は国際的にも追い詰められていた。

グローバル化と構造改革が叫ばれる一方、既得権益者を中心にそれに反対する声も根強く、世論はまとまらなかった。日本が軍国主義化、官僚主義化し、精神論が幅を利かせ始めるのはこの時期からである。ちょうどそのタイミングで2.26事件は起こり、昭和天皇の退位論が世間を賑わせた。

昭和天皇の弟である秩父宮は、学者肌の昭和天皇と異なり、スポーツマンタイプで国民からの人気が高かった。秩父宮を天皇にという声の背景には、何かカリスマ的なものにすがりたいという国民の願望があったのかもしれない。

明治憲法下の日本と現在の日本を単純に比較することはできないが、現在の日本において、何か父性的なものにすがりたいという後ろ向きな願望が見え隠れしているのは多くの人が認識しているところである。左翼陣営に属するはずの山本氏が、こともあろうに天皇陛下に直訴するという行動に出たことは、本人がその意味をどれほど理解しているかはともかく、まさに父性願望のメタモルフォーゼと考えるべきだろう。

だが、精悍な風貌の君主を戴いたり、勇ましい発言を繰り返したところで、国力低下という現実を打開することはできない。また民主主義の拠り所を皇室に求めたところで根本的な問題は解決しない。日本は立憲君主制に基づく民主国家であり、日本の将来を決めることができるのは国民のみである。本当に強い国家を作るためにはリアリズムに徹するしかないということは、歴史が証明している。

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