1月1日のテレビ番組で竹中平蔵氏が「正社員をなくしましょう」と発言し、大きな反響を呼んだのは記憶に新しい。多くの日本人にとって、「正社員」は当たり前のコンセプトであり、それをなくすという提案は考えられないだろう。しかし私は以前から、日本独特の正社員システムはマイナス面が多く、日本企業の人事管理を歪ませているのではないかと考えて来た 。竹中氏の発言は多くの人を驚かせたかも知れないが、日本は正社員を中心とする人事制度を脱することを真剣に考えるべき時期を迎えているのではないか、と思う。
「正社員」の雇用に対する日本企業のアプローチは、「会員制の雇用」とも呼ばれている。これは、日本企業への就職を、クラブ、コミュニティー、または家族のメンバーとなることに例えたものである。毎年、大学の新卒から新規採用を実施する。新卒の採用にあたっては、特定の経験や技術よりも、性格や態度、素性(出身校、課外活動、教授からの推薦、会社との関係など)が重視される。会社から将来割り当てられる仕事を、それが何であってもこなしていく潜在能力を候補者が持っているかどうかに焦点があてられる。人事部が社員に仕事を割り当てるプロセスは、全くのブラックボックスであると言ってよい。多くの場合、割り当ての理由は不明瞭で、個人の興味、願望、才能、事情が考慮されることは殆どない。偶然興味がある仕事を割り当てられることもあるが、それは決して保障されているものではない。 つまり、正社員は自分の将来を企業に任せることになり、キャリアパスを自ら選べない。
その一方、日本の正社員は雇用者への服従を誓う代わりに雇用の保障を与えられる。竹中平蔵氏が指摘するように、「日本の正規労働は世界の中で見て、異常に保護されている」。この雇用の保障は、経済的、精神的、社会的、および情緒的な何事に関しても、安定性に価値を見出す傾向のある日本文化において、非常に魅力的なものである。
しかしながら、日本の正社員システムには大きな問題が存在する。まず一つは、労働市場の流動性の欠如である。日本企業は社外にいる人材と比べて専門性が低くても、既存社員を育てることを好む。正社員は別の企業へ転職する機会を殆ど持たず、基本的に自分の職場に封じ込められている。そのため、ベンチャー企業や中小企業にタレントが流れないことから、人材の有効活用が妨げられている。さらに再就職が難しいことから、企業は社員が辞めないだろうと考え、扱いがひどい「ブラック企業」さえ存在している。また、日本企業は社員の献身、やる気、動機付け、熱意といったものを当然と考えているため、これらの態度を積極的に推進するための方法を自ら開拓することがない。これは重大な過失であり、日本の労働人口の才能が充分に活用されないだけではなく、日本企業と日本経済に害を与えるものとなっている(私の著書『日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?』参照)。
上記で触れた人事管理への伝統的なアプローチは、もはや無傷で残されているものではない。正社員に安定を約束するためには、不安定な非正規社員の存在も必要である。正社員の雇用がどんどん縮小される一方で、非正規社員の採用は益々増加している。その結果、社内の雰囲気に悪影響を及ぼす二階層システムが確立され、少数となった正社員への負担がより一層大きくなっている。尚、非正規社員には女性が圧倒的に多いので、正社員システムは女性に不利な点が多い。また、グローバル化した企業は、海外での現地採用や国内での外国人採用を必要とするが、彼等を正社員システムに当てはめるのは丸い穴に四角いくいを打つようなものだ。日本企業の正社員中心の人事は、 多様な人材の活用を妨げているといえる。
日本企業は、権利を放棄し極端な服従の態度を示す「正社員」のコンセプトを捨てるべきである、というのが私の見解だ。しかし、そう言っても、私は、アメリカのプロ野球やプロフットボールのように、社員が毎年契約を再交渉するようなシステムに即座に変更すべきだ、と日本企業に提言しているのではない。現在のシステムに柔軟性を取り入れる一方で、社員の能力開発と企業の知識の蓄積という伝統的な日本式人事管理の最も優れた側面を保持すべきだと私は考える。
まず重要なのは、外部労働市場が発展を遂げることだ。そうすれば、日本企業はスキルの不一致から社内で埋めることのできない職務を、外部労働市場から選択した人材で埋めることができるようになる。また社員は現在の企業が提供する仕事の条件やキャリアパスが自分の希望に沿っていない場合、外部労働市場で他の雇用者を探すことができるようになる。この柔軟性は、社員が自分に一番合った仕事に就くことで自分の状況を最大限に向上し、その後もニーズや機会に合わせて調整していくことが可能な環境を与えてくれる。同時に、雇用者が企業に一番合った社員を選択し、その後もニーズやビジネスの変化に合わせて調整していくことが可能な環境を与えてくれる。更に、流動性のある労働市場は良くない職場からの逃げ道を提供するため、日本企業の社員に対する過剰な要求を削減し、魅力的な職場を提供することの動機付けとなる。社員が楽しく生産的に働くことができる社内環境であれば、外部への転職の機会があってもそれを辞退して留まりたくなる。流動的な労働市場は必ずしも、不安定な混沌と短期的思考に直結するものではない。
さらに日本企業は、総合職と一般職、正社員と非正規社員といった職務の範疇、または年齢に基づいて社員の取り扱いに差異を付けるのを止めなければならない。社員が所属する範疇や年齢に伴う固定概念から外れていても、その個人のユニークな才能を見出して活用することに焦点をあてること、そして報酬とステータスの関係を切って、社員はどんなカテゴリでも同一労働・同一賃金にすることが求められる。報酬を決める際は、社内のシステムより、社員のスキルと経験が外部労働市場にどんな価値を持っているかを考えて給与を判断し、外部市場に焦点をあてて報酬システムを調整することも必要だ。
今の「正社員」のコンセプトに取って代わるべきなのは、「限定正規雇用」とも呼ばれている正社員と非正規社員の中間のアプローチである。これはアメリカで「at-will employment(退職および解雇自由の雇用)」と呼ばれている雇用形態と似ている。このアプローチは、社員は理由に関わらずいつでも辞めることができ、雇用者も理由に関わらずいつでも解雇することができるというもので、そのため双方のたゆまぬ努力が必要となる。つまり、社員は良い業績を残すことが必要で、雇用者は満足できる仕事の内容、報酬、職場環境などを提供することが必要となる。企業が社員を惹き付けてやる気を起こさせるためには、雇用の確保を約束するより、魅力的な機会を提供することの方が大切である。
実質上、アメリカのat-will employment制度においても、社員を気軽にまたは正当な理由無しに解雇することは許されていない。 通常会社は社員を解雇する時、不当解雇や差別的解雇の訴訟への対策として、問題となる行動やパフォーマンスの問題などを記録しておく。尚、今の日本では、解雇されると再就職が非常に大変である場合が多いが、労働市場に流動性があると、解雇された社員も新しい仕事を見つけやすい。
人事管理への新しいアプローチを実現するためには、日本企業は「雇用の保障」から「雇用適性の保障」(英語でemployability)へ移行する必要がある。雇用適性の保障とは、ハーバード大学大学院経営学研究科教授 のロザベス・モス・カンター氏が、1980年代末期に作り出した表現である。これはちょうどアメリカ企業が、急激な経済と技術の変化に伴い、安定した雇用の約束が守れずに人員削減が必要となった時期と重なっている(つまり、昨今の日本の状況と同じである)。カンター氏は、社員が必要に応じて別の仕事を見つけることができるように、企業が継続してスキルの開発・更新の場を与えることで「雇用適性の保障」を提供することが必要であると提唱した。雇用適性を保障するため企業は、教育だけではなく能力開発の機会を提供することが必要である。これには、挑戦的な仕事を与えることで社員が学習し成長できるようにすることも含まれている。これは日本企業の伝統的な長所である社員の能力開発と一致しているが、より計画的かつ体系的に行なう必要がある。
雇用適性の保障のモデルは、社員の一番良い側面を引き出すための環境を育むものである。これは日本が今一番必要としているものではないか。