金銭解雇の導入で給料は上がる。

従業員からすればトンでもない仕組みに見えるかもしれないが...

先日、金銭解雇に関する法改正の議論が今夏にも始まると報じられた。

------

解雇のトラブルをお金で解決する「解雇の金銭解決制度」を巡り、厚生労働省は22日、解雇された労働者が職場復帰を求めなくても、解決金の支払いを要求できる権利を与える新たな制度の導入について本格的に議論する方針を明らかにした。

------

解雇の金銭解決制度は、乱暴に要約するとお金を払えば解雇が出来る仕組み、という事になる。小泉政権時代に二度議論がなされたものの、導入には至らなかった制度だ。

■お金を払えば解雇が可能になる......?

乱暴に要約すると、と説明したように、今回の議論はもう少し複雑だ。企業は正当な理由なく社員を解雇出来ない。結果的に不当解雇、つまり解雇が正当でないと裁判等で認められた場合に社員は復職できる。その際に復職だけではなく企業からお金を貰って辞めるという選択肢も作ろうというのが今回の制度だ。

つまり乱暴に要約すると不当を承知で解雇をしてもお金で解決が可能な場合もある、という事になる。ただし、労働者側にも経営者側にも以下のようにまだ不満・不安の残る状況だ。

------

労働側は「会社が解決金に近い金額を示して労働者に退職を迫るリストラの手段に使われる」と制度の導入に猛反発。経営側にも「企業によって支払い能力に違いがあり、一律に定めるのは難しい」などとして、解決金に限度額を設定することに慎重な意見がある。

------

今回の法改正はあまりに中途半端だ。金銭解決は不当解雇であると認められた際に、あくまで「労働者が要望した場合」にのみ使えるということで、懸念はあるものの実質的には金銭解雇と呼べる仕組みにはなっていない。

お金を払えば解雇が出来る......

従業員からすればトンでもない仕組みに見えるかもしれないが、金銭解雇が実現すれば企業側にも従業員側にも大きなメリットがある。シンプルに言えば従業員は給料が増える。

■なぜ派遣社員が存在するのか?

金銭解雇のメリットを考える際に、参考になるのが派遣社員だ。本来は一定期間だけ仕事をしてほしい場合に使われる仕組みのはずだが、現実には正社員とほとんど変わらない形で働いている人も少なくない。受け取る給料も多くのケースで正社員より低い。

ではそれによって企業は金銭的に得をしているのだろうか。短期的に見ると、確実に損をしている。派遣会社が手数料として給料のおおよそ2~3割程度を中抜きしているからだ。これが短期間の業務であれば求人広告を出して面接をして採用して......という手間に対するコストで特に問題は無いと思われるが、長期間にわたる雇用であれば直接雇用したほうが余計なコストを払わずに済む。

それにもかかわらず、あえて派遣会社を間に挟む理由は契約を終了する権利、直接的な表現をすれば解雇のオプションを確保するためだ。解雇が極めて難しい状況ではちょっと業績が悪化した程度で解雇はできない。そこで多額のコストを払ってでも派遣社員を雇う。

派遣社員からすれば本来自身が受け取るべき給料の一部を派遣会社に中抜きされ、企業は全ての費用を給料として払えばもっと優秀な人を雇う事が出来るはずだ。強い解雇規制は双方にとってマイナスの効果しか生まない。

金銭解雇が可能になれば中抜きされた2~3割は社員が受け取る事ができるようになる。厳密に言えば2~3割の手数料から金銭解雇の支払いリスクを考慮した分だけ差し引かれるが、いずれにせよ大幅なアップが期待できる。

※派遣会社が何か悪い事をやっているという事ではなく、現在の法規制の結果生まれているスキマ産業であり、解雇規制が緩和されれば上記の通り従業員の給料は増える。

■解雇を規制する事は出来ても、採用を強制する事は出来ない。

強い解雇規制は簡単にクビに出来ないなら従業員にとっては素晴らしい制度じゃないか、と思われるかもしれないが、経営者目線で見ると全く違う世界になる。

一度採用すれば会社の業績が多少悪化しようが、業務への適正が無かろうが、素行に問題があろうが、簡単に解雇は出来ない。社員の雇用は数億円の設備投資と同等の意思決定となる。

このような状況で社員を雇いたいと思うだろうか。結果的に社員は最小限にしぼり、仕事量の波は残業時間で調整する事になり、長時間労働が慢性化する。定時帰りなど夢のまた夢だ。

過去に何度も書いたが、解雇を規制する事は出来ても、採用を強制する事は出来ない。そしてハイリスクだから社員を雇うのはやめておこう、と考える企業が多いほど給料は低くなる。労働市場という言い方があるように、給料は市場、マーケットで決まるからだ。

マーケットの原則はオークションと同じだ。買い手が多いほど値段は釣りあがる。結局、日本人の低賃金も長時間労働も全ては強い解雇規制の裏返しであることはハッキリしている。

■労働市場と株式市場の共通点。

労働市場は市場と言っても魚市場のように一度売買されると消費される市場とは違い、株式市場と極めて良く似ている。株式市場は株が一度の売買で消費されることはなく、株を買った人はいつかまた売ることになり、買い手が売り手にまわる。つまり一度就職しても再度転職する可能性がある。

株価は流動性(売買される取引の数)が高いほど価格が上がりやすくなる。今の労働市場を株式市場に例えるなら、一度株を買ったら40年間売買できませんよ、あなたが自己破産寸前に陥ったりしない限りは。それでも良かったら買って下さい......という異常な状況だ。そんな条件で投資をする人が現れるわけもない。

株はいつでも売れるから安心して買える。それによって株価が上がる。これを労働市場に置き換えると、いつでも解雇を出来るから安心して雇用が出来る、その結果給料が上がる、というマーケットの特徴そのもので、労使双方にメリットがあると書いた通りでもある。

株式投資では、リスクを取ることによって利益を得られる状況をリスクプレミアムという。派遣社員の仕組みはリスクプレミアムを派遣会社が得て、損失を企業と従業員が引き受けるという奇妙な形になっている。社員が多少の解雇リスクを引き受ければリスクプレミアムによって給料は上がる。

いつでも解雇できるから全員クビになる、というのは市場の特性を知らない人の間違った認識だ。

今後の議論では支払い額の下限と上限も決めるというが、これも正しい。事前に雇用のリスクを数字で見積もれないのであれば経営者が雇用に後ろ向きな姿勢は変わらないからだ。株式投資の損失上限は投資額とイコールである。100万円の投資で1000万円とか1億円も損をする可能性があり、しかもそれが事前に不透明であるのなら誰も株を買わない。これも共通点と言える。

今も裁判や和解の結果、金銭解決になっているのだから金銭解雇の制度は不要という意見もあるようだが、事前にリスクを見積もれるかどうかは企業経営で極めて重要な要素となる。繰り返すが事前のリスクが限定され、見積もりが可能になれば雇用は容易になる。そのメリットは雇用される従業員の側にも大きく発生する。

■守るべきは雇用ではなく生活である。

これから議論される雇用に関する法改正は労働者にだけ選択肢を与えるという、あまりに中途半端な仕組みだ。明確に企業側の金銭解雇を認めれば、給料は上がる。そして不景気になれば失業者は今まで以上に増えるが、そこは失業保険(雇用保険)でしっかり支えれば良い。守るべき対象を雇用ではなく生活へとターゲットを移動させるべきだ。不景気でも雇用を維持しろ、という話は失業保険を企業が払えという意味に他ならない。

「雇用を守ることで生活を守る」と間に企業をはさむことで労働市場がいかに歪んでいるかは、長期にわたる低賃金を原因としたデフレが証明している。解雇の代替措置としての賃金引き下げがデフレにつながったことは多くの識者が指摘する通りだ(勘違いされていることも多いが、デフレは不況の原因ではなく結果である)。

解雇規制に反対をする人は目先のリスクを無理に避けたことで日本の経済全体が沈没したことを認識すべきだ。企業経営にリスクがあることは否定できない事実である。その企業が人を雇う際にもリスクがゼロのはずがない。なのにリスクゼロであることを求める。そんな不自然な状況が経営をゆがめ、景気もゆがめている。

■なぜ外資系企業の給料は高いのか?

自分は普段FPとして住宅購入の相談に乗っている。そこで実感する事が外資系企業で働く人の給料の高さだ。男女問わず30代で1000万円を超えることは珍しくない。日本企業と比べても明らかに給与水準は高く、福利厚生も手厚い。

多額の家賃補助やストックオプション、ノルマを上回った時にはボーナスが急増、死亡時には子供が成人するまで現在の給料を遺族に支払う等々、日本の企業では考えられないほど手厚い制度や福利厚生が準備されていることも多い。

当初はなぜここまで給与水準が違うんだろうかと不思議でしょうがなかった。外資系企業は大儲けしていて、そこで働く人は飛びぬけて優秀ということなのか? それだけでここまで大きな給料の格差は説明できるのか? と疑問は絶えなかった。

自分なりの結論は「解雇が出来るから」という事になる。解雇が出来る前提ならば今の仕事に将来の昇給で報いる、といった日本企業のような遠回しなことをする必要はなくなる。従業員の立場から見れば、解雇リスクを受け入れているから給料が高い、ということになるだろう。

当然、外資系企業とはいえ国内で経営する以上適用される法律は日本企業と同じである。一方的な解雇は許されていない。外資系企業が解雇にあたって何をやっているかは本稿の本筋からずれるため「ブラック社労士が必要とされる理由」を参考にして頂けばと思うが、現状では黒に近いグレーゾーンの行為であることは間違いない。ただし、それによって高い給料を実現していることもまた事実である。

■金銭解雇導入は極めて難しい。

自分は制度として金銭解雇には賛成する。それが労使双方にとってプラスになるからだが、導入は決して容易ではないと思われる。今回話し合われる事になった労働者が自ら申し出た場合に限る、といった制度でも徹底的な反対にあう事は間違いない。そして導入も出来ない可能性もある。なぜなら経営者も政治家も行政も、労働者から全く信用されていないからだ。

つい先日、宅配便大手のヤマトホールディングス(HD)は未払い賃金(サービス残業)の存在を認め、7万人の従業員に対して190億円を支払った。厚生労働省のデータによれば日本全体の未払い賃金はここ数年おおむね年間100億円程度、対象は10万人程度となっている。

ヤマトHD一社で日本全体の未払い賃金を3倍に増やしたことになる。そしてこれだけの未払い賃金を発生させたにも関わらず、今に至るまで役員や企業が刑事的な処分を受けたとは一切報じられていない。

■コンプライアンス重視でもサビ残だけは別腹?

今のところ確認出来るものとしては、昨年末に労働基準法違反で法的な拘束力のない「是正勧告」を受けただけだ。この是正勧告が未払い賃金の支払いにつながったことは間違いないと思うが、それで経営者が処分を免れるのであれば、万引きが見つかったら商品を返却すれば罪をまぬがれる、というメチャクチャな話になる。

これだけコンプライアンス・法令順守が叫ばれるご時世になっても未払い賃金に限ってはゴメンで済んだら警察は要らないという事なのか。

そしてヤマトHDは東証一部の上場企業でもある。190億円の未払い賃金とそれに伴って発生した社会保険料30億円、合計で220億円も過去の利益を水増ししていたことになる。

■190億円の未払い賃金も後払いすれば許されるのか?

ライブドアはかつて50億円の粉飾決算で強制捜査を受けて、役員は次々と逮捕され上場廃止となった。

電通は新入社員が一人自殺したことで強制捜査を受け、上司と法人が書類送検もされている。

ヤマトHDは190億円もの未払い賃金を発生させたにもかかわらず、後出しじゃんけんのように2年分に限って支払うことで全ての罪が免れるのか。これだけ巨額の未払い賃金は粉飾決算にならないのだろうか? 

軽々しく巨額の未払い賃金を発生させるような企業には証券市場からも圧力をかけるべきではないのか、と「ヤマト運輸で発生した空前絶後のサービス残業は数百億円分? 強制捜査の可能性は無いのか」でも書いたが、いまだにそのような動きは無いようだ。

証券市場は国内外の年金資産も運用されている。つまり日本人はもちろん世界中の国々に対して責任を負っている。先日は年金を運用するGPIFが東芝の監査法人を提訴したと報じられた。不正会計を見抜けなかったため年金資産にダメージを与えたことに対する損害賠償請求だ。東芝は今後上場廃止も濃厚と言われており、その際には現在と過去の役員も責任を問われるだろう。

上場企業として証券市場から資金調達をすることの責任はそれだけ重く、190億円分もの給料を「後払い」するような企業が何のペナルティも受けずに上場を許されている事は極めて問題がある。

企業がルールを守ること、行政がルールを守らせること、そして違法行為を行う企業には厳罰を適用すること、これが徹底されない状況では正しいルールすら導入できない。資本主義も市場経済もルールの無い弱肉強食の世界ではなく、サッカーや野球のように高度なシステムとルールが守られて初めて機能する極めて難易度の高いゲームである。

金銭解雇の導入は日本に残された岩盤規制を突破する起爆剤となりうる可能性がある。しかし現状では残業代すら払わない企業が多数あり、それを取り締まることも出来ず、後払いが許されるような状況で法改正は出来るのか。

今後行われる議論は全ての労働者に関わる重要な論点となる。改めて注目をしたい。

【関連記事】

中嶋よしふみ シェアーズカフェ・オンライン編集長 ファイナンシャルプランナー