エマ・ワトソンは自分自身も、こんな展開になると思わなかったかもしれない。ワトソンのヴァニティ・フェア誌最新号のインタビューは、ある真実を多くの人の前にさらけ出した。
真実とは、ワトソンがファンと自撮りをしない理由ではない。トランプのTwitterを忘れてしまうような"下胸"の写真でもない(トランプのTwitterを忘れることができて私は嬉しかったけれど)。
それは「私たちの社会は、ナオミ・ウルフの言う『セクシーで真面目』な女性を受け入れられていない」という真実だ。
つまり、「すでに2017年であるにも関わらず、私たちの社会は、女性がセクシーな方法で自己表現しながら、同時に平等な権利を求めることを受け入れていない」のだ。
まるで、「自分の美しさを表現することと、フェミニストとして活動することは相容れない」と告げられているようだ。
ワトソンはこれまで、女性が平等な権利を手にするために、精力的に活動してきた。UNウィメンの親善大使となり、ジェンダー格差をなくすために、男性に協力を呼びかけるキャンペーン「HeForShe」も立ち上げた。
また、女性の権利について知ってもらうため、女性を勇気づける本を紹介する「Our Shared Shelf」というブッククラブも立ち上げた。
そう、エマ・ワトソンは、フェミニズムの活動を導く存在だ。
しかしヴァニティ・フェア誌の写真がインターネットを騒がせた後、Twitterに投稿されたのは「ワトソンにがっかりした」という非難だった。
「この写真のせいで、ジェンダー間の賃金格差をなくそうとするこれまでの取り組みがダメになった」「平等な権利なんて偉そうなことをいうくせに、体をみせる偽善者」
なかでも、最もひどい侮辱的な言葉は「悪いフェミニスト」だろう。
Emma Watson: “Feminism, feminism... gender wage gap... why oh why am I not taken seriously... feminism... oh, and here are my tits!” pic.twitter.com/gb7OvxzRH9
— Julia Hartley-Brewer (@JuliaHB1) 2017年3月1日
エマ・ワトソン「フェミニズム、フェミニズム、男女の賃金格差、どうして私の話をみんな真剣に聞いてくれないのかしら......私の胸なら興味あるかな」
「悪いフェミニスト」という非難が最も侮辱的である理由、それはこの言葉がフェミニズムとその本質的な価値を完全に勘違いしているからだ。
ジェンダー平等の闘いとは、女性が「選択」を手にするための闘いでもある。仕事をするか家庭にいるかの選択。子供を生むか中絶するかの選択。自分の好きな格好をするという選択。そして体を使ってどんな表現をするかの選択。
その一つ一つの選択をすることで、ジェンダー平等を求める努力が無駄になることはない。むしろ選択は、ジェンダー平等を目指す努力を後押しする。いや、勢いづかせると言ってもいい。フェミニズムに内在しているのは「選択を可能にし、多様な人間を受け入れる社会をつくる」という考えだ。
頭脳明晰な女性、セクシーな女性、生意気な女性、洗練されている女性。どんな女性になるかを自分で選択しながら、男性と同じ金額が支払われることを求める。それがフェミニズムだ。女性は、マルチタスクをこなすのが得意なのかもしれない。もしくは、一定の型にはめられて人間らしさを失うことに、うんざりしているだけなのかもしれないけれど。
ひとつの自己表現をしたことで、他の表現が意味を失うことはない。フェミニズムのメッセージと女性たちの自己表現がひとつになり、オンナを多面的で多層的で多才にする。
まさに、今の私たちがそうだ。これからも、そうあり続けるだろう。
ハフィントンポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。