アメリカ人のノーベル平和賞作家、エリ・ヴィーゼルさんが死去した。87歳。第2次世界大戦でのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の生き残りとして、生涯にわたってユダヤ人犠牲者や圧政に苦しむ世界の人々のために活動した。
イスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」やノーベル財団が7月2日、明らかにした。
ルーマニア出身。代表作となる小説『夜』で「死者を忘れることは、2度殺すことだ」とホロコーストの記憶の継承を訴え、1986年にノーベル平和賞を受賞した。
1945年4月16日、ブーヘンヴァルト強制収容所で撮影されたヴィーゼルさん(寝台の中央列、左から7番目)。この数日後、アメリカ軍によって収容所は解放された
ロイターによると、ヴィーゼルさん一家はルーマニア北部のトランシルバニア地方に属するシゲトゥ・マルマツィエイから、アウシュビッツ強制収容所に送られた。母と妹はガス室で死亡。ヴィーゼル氏と父はブーヘンヴァルト強制収容所に送られ、父親はそこで死亡した。ブーヘンヴァルトがアメリカ軍によって解放されたとき、ヴィーゼルさんは16歳で、腕に「A-7713」という入れ墨が彫られていた。この収容所での経験が、ヴィーゼルさんを生涯にわたって苦しめることになる。
ヴィーゼルさんは19歳からフランス・ソルボンヌ大学で学び、ジャーナリストとして活動する。ホロコーストの経験をしばらく語ることはなかったが、1955年に自身の経験をイディッシュ語(ユダヤドイツ語)で記した自伝的小説『夜』を出版した。世界各国語に翻訳され、ニューヨークタイムズによると2008年までに1000万部以上が売れた。
1963年、アメリカの市民権を取得し、1986年にノーベル平和賞を受賞。その後はエリ・ヴィーゼル人道財団を設立し、イスラエルやユダヤ人以外に、カンボジア難民や南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)、アフリカ各国の大量虐殺などの被害者救済にも力を入れた。
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イスラエルのヨルダン川西岸地区入植を支持し、イランの核開発を巡る国際交渉ではイランに対し強硬な立場を国際社会に迫るなど、親イスラエルの立場で発言を続けた。こうした立場が言語学者のノーム・チョムスキーらから非難された。
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