電子カルテ改ざん

これまで大病院での電子カルテ改ざんはないとされてきた。しかし、複数の情報から、ある大病院グループで電子カルテ改ざんが常態化しているらしいことが分かってきた。

●カルテ改ざん

19歳息子を虫垂炎の手術で喪った母親の手記がネット上におかれていた。この事例の詳細を知る立場にないが、日本で診療録(カルテ)の改ざんが繰り返されてきたことは間違いない。

「息子のカルテは、同じ場面のカルテが内容を少しずつ違えて3枚もあり、どれが本当なのか解りづらくしたり、薬量を微妙に変えていたり、間違った治療法を書き換えたり、それはひどいものです。」「あろうことか、裁判の場でもそれがまかり通ってしまうのです。」「改ざんは死因を工作し、隠ぺいすることになるのです。」

逆に、カルテを改ざんされたと執拗に主張する患者も存在する。

「子息としても控訴人は家庭でも手に負えないので、被控訴人のほうで適宜対処してもらいたいという態度であった。」「被告病院がカルテを偽造したとか、カルテが黒く塗りつぶされていた旨の控訴人の主張には理由がない。」「控訴人は、被告病院が真正なカルテを示して説明しているのに、それは真正なカルテではないとして被告病院に『本物の』カルテの提出を要求して被告病院に長時間とどまるなどしたのであって、被告病院に不誠実な対応があったとか、警備員が控訴人を退去させた行為が違法であるということはできない。」

カルテには医療に関わる重要な情報が蓄積されている。多くの人たちが関わり、様々な利害の対立がある。患者と病院の対立の陰で、病院開設者と医師、病院管理者と医師、病院開設者と病院管理者、医師と医師もしばしば対立する。看護師など医師以外の医療従事者にもそれぞれの立場がある。地方厚生局は、指導・監査を定期的に行い、カルテの記載の不備を見つけて、診療報酬の返還を求めようとする。あるいは、医療機関への支配を強めようとする。

●紛争解決コスト

虎の門病院泌尿器科部長だった時期、カルテには事実を正確に書くよう、部下の医師を厳しく指導した。嘘をつかないというのは、道徳的に正しいからということもあったが、最終的な紛争解決コストを小さくするためでもあった。嘘をつきとおすのは、不慣れな者には容易なことではない。紙カルテの場合、記載内容以外に、紙質、字体、紙の余白、インクなどさまざまなアナログ情報が残るので、改ざんは発覚しやすい。

私は、虎の門病院在職中、病院全体の医療事故の対応にも関わっていた。

個人的に重要だと考えていたのは、紛争解決のための人的ならびに金銭的コストの総量を下げることだった。刑事責任は最悪のコストである。不適切な医療が野放しにならないようにするため、内部告発制度までつくった。私のみならず、病院全体として、責任逃れをせずに、とるべき責任をとろうとしていた。

理不尽な要求は可能な範囲で退けた。黒白を無理に明らかにしようとせずに、正当な範囲で上手に見舞金など金銭を使うことも有用だと思っていた。カルテ改ざんは、疑われるだけで、紛争解決コストを高める。改ざんそのものが、不法行為として損害賠償の対象になりうる。状況によっては刑事事件として扱われる可能性さえある。改ざんがあると、事故についての裁判所の判断に影響する。

虎の門病院在職当時、電子カルテは導入されていなかった。電子カルテについて初めて聞いたとき、最も印象に残ったのは、改ざんできないということだった。素晴らしい機能だと思った。カルテを改ざんできないことが、患者側、医療側で共通認識として確立されると、カルテが議論の出発点になる。起点が安定すると、紛争の泥沼化を防止する方向に機能する。

●ヘルシンキ宣言と虎の門病院の医師の行動規範

私は、2003年、虎の門病院で医師の行動規範を起草した。冒頭で、「医師の医療上の判断は命令や強制ではなく、自らの知識と良心に基づく。したがって、医師の医療における言葉と行動には常に個人的責任を伴う」と明記した。当時、他の職種に適用される行動規範を起草する立場になかったので、医師に限定したが、他の職種でも同じことである。個人的責任を伴う以上、病院は医療従事者に不正行為を強制することはできない。不正行為の守秘義務を負わせることもできない。

逆に、医師は、命令されたのでやむなく不正行為や不適切な医療に手を染めたという言い訳ができない。当時、厳しすぎると一部でささやかれたが、個人責任の原則は、私自身の考えではなく、第二次大戦後に世界で確立された医療倫理に則ったものである。「自らの知識と良心」という文言はヘルシンキ宣言から借用した。

ニュルンベルク綱領やそれを受けて作られたヘルシンキ宣言のような一般化された医療倫理は、攻撃性をもつ。ニュルンベルク医師裁判では、23名が裁かれ、7名が死刑になった。虎の門病院の行動規範は、患者を守るためでもあったが、個人的には、医療従事者を守りたいという意識が強かった。

●電子カルテの真正性

厚労省は、医療情報システムの安全管理に関するガイドラインで、電子カルテに求められる3条件を提示した。改ざんを防止し正確さを確保する「真正性」、必要に応じ容易に肉眼で見たり書面に表示したりできる「見読性」、所定の期間安全に保存できる「保存性」の3条件である。

「真正性」が担保されなければ、医療の信頼性を保持できない。権限のない者による不正アクセス、改ざん、毀損、滅失、漏洩、権限のある者による不当な目的でのアクセス、改ざん、毀損、滅失、漏洩があってはならない。

真正性を担保するために、「電子署名」を用いる。電子署名法で示された下記2条件のいずれも満たす必要がある。

1 当該情報が当該措置を行った者の作成に係るものであることを示すためのものであること。

2 当該情報について改変が行われていないかどうかを確認することができるものであること。

これを具体的に保障するのがタイムスタンプである。電子カルテへの記載が確定された時点で、作成者と時刻が刻印され、関連付けられた記録が保存される。以後、この記録の変更、追記が不可能になる。

●IT時代の新しい犯罪類型

煤煙を排出する企業で、排出データの改ざんが発覚すると、企業は信用低下により危機的状況に追い込まれる。フォルクスワーゲンの排ガス不正も、カルテ改ざんに似ている。不正行為によるフォルクスワーゲンの損失は、10兆円にも達するといわれている。

カルテは病院の信用の要である。このため、第三者による電子カルテの真正性の証明が、ビジネスになっている。医療機関は信用を得るために金を支払っている。

時代に合わせて刑法も改正された。電子カルテの改ざんそのものが、電磁的記録不正作出罪というれっきとした犯罪になった。

刑法第161条の2

人の事務処理を誤らせる目的で、その事務処理の用に供する権利、義務又は事実証明に関する電磁的記録を不正に作った者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

●診療所での電子カルテ改ざん

2013年5月23日の読売新聞は、精神科診療所での電子カルテの改ざんを報じた。被害者団体は「電子カルテの改ざんができるなら手書きより巧妙化しかねない」と懸念を表明した。

確かに、アナログ情報が欠如している分、手書きより改ざんを発見しにくい。タイムスタンプなどの改ざん防止機能が、痕跡なしに一時的に解除できるとすれば、改ざんの証拠は残らない。国立大学病院の担当者は、大病院では、仮に改ざんしようとしても多大な手間と専門知識が必要で、「現実的には無理だと思う」と述べた。

東京3弁護士会の証拠保全のあり方を研究する小委員会の棚瀬慎治弁護士は、「カルテ改ざんは患者だけでなく医療機関にとってもマイナスでしかない。厚労省は指導を徹底すべきだ」と指摘した。この記事には、「世の中に100%完璧な技術はない。改ざんしにくいとしても、できないということはないと考えるべきだ」とする秋山昌範東大教授のコメントが掲載されていた。

●人の信頼性

改ざんが技術的に不可能ではないとすると、関係者の信頼性が極めて重要になるが、人はあてにならない。コメントを述べた秋山昌範東大教授や、森川富昭慶応大学准教授は、電子カルテについて日本有数のエキスパートだった。秋山教授は研究費詐取で、森川准教授は医療情報システム導入に関する贈収賄事件で、いずれも逮捕起訴された。森川准教授は、逮捕直前まで、亀田総合病院の新しい電子カルテの開発に関与していた。

厚労省のガイドラインには「技術的な対策のみで全ての脅威に対抗できる保証はなく、一般的には運用管理による対策との併用は必須である」と記載されている。運用管理の主体が不正に走る可能性がある。電子カルテでも利益相反は重要である。電子カルテ開発者が病院の強い影響下におかれていると、病院開設者が目先の利益のために、カルテ改ざんの誘惑に負けたとき、電子カルテの真正性が損なわれる事態が生じかねない。電子カルテの開発者は、資本関係を含めて病院から独立した組織でなければならない。

●大病院の電子カルテ改ざんのインパクト

これまで大病院での電子カルテ改ざんはないとされてきた。しかし、複数の情報から、ある大病院グループで電子カルテ改ざんが常態化しているらしいことが分かってきた。不正行為に手を染める者は、目先の欲望に忠実で行動の制御が弱い。放置すれば、徐々にエスカレートする。地方厚生局による指導・監査対策から、患者との紛争対策に、改ざんの目的が拡大するのは、容易に想像できる。既にエスカレートしているかもしれない。将来、条件が整えば、改ざんを金で引き受ける事態だってないとはいえない。

改ざんは、患者はもちろんのこと、医療界、電子カルテ業界に対する裏切り行為である。電子カルテの改ざんが行われている病院は、「目先の欲望に忠実で行動の制御が弱い」。患者は、安心して、手術など、リスクの高い治療を受けることができない。医師や事務職員は刑事事件に巻き込まれるかもしれないので、就職するにも覚悟が必要になる。

都内のある精神科病院は、ホームページで、電子カルテシステムを採用していること、厚労省のガイドラインが求める真正性を含む3条件を満たしていることを、病院の信用を高めるものとしてアピールしている。改ざんの影響はこの病院にも及ぶ。

電子カルテのような大規模で複雑なシステムの安全性をチェックすることは不可能に近い。過去の行動は大きな判断材料である。電子カルテ改ざんは、医療全体の信頼性を損ねる大不祥事である。秋山教授や森川准教授の事件よりはるかに影響が大きい。医療の信頼性を高めるためには、情報提供者を徹底して守りつつ、改ざんの実態を明らかにしなければならない。明らかになれば、市場を含めて関係する社会システムが社会正義の回復に動き始めるだろう。

(2016年2月17日「MRIC by 医療ガバナンス学会」より転載)